和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

家屋転覆

2024-08-01 | 安房
大正13年9月1日。つまり関東大震災から1年後に
『 震災記念碑 』というのが安房郡南三原村に建立されております。
原稿用紙(400字)一枚ほどの漢字が彫られている石碑で、
櫻翁 加瀬駒太郎 撰」とある(撰とは、詩や文を作ること)。

その文中に『 家屋転覆 』とあるのでした。その前には
『 突如地大震 山野鳴動 黄塵濛冥 』とありました。

うん。船が転覆するように、家が転覆したという表現でしょうか。
『 安房震災誌 』の、「家屋其の他の被害」のページをひらくと
各町村からの被害報告が、数値とともに、文として語られております。
そこから、当日の直下地震が、どのように表現されているかを引用。

     稲都村にては初め微弱なる震動を感じて後
     僅か10数秒にして急激なる震動起り、
     続いて襲来せし激烈なる鳴動に、野も山も、
     大地はあたかも波打つが如く忽ち崩壊、亀裂を生じ、
     家屋其の他の建造物はみるみる中に倒潰し、
     砂塵の中に大音響をあげて、壊滅して了った。・・ (p114~115)


     千倉町に於ては、家屋の倒潰と同時に黄塵空を覆ひ
     余震引きもきらず、人をして世の終焉を想はしめた。 (p123)


     千歳村。人々が慌てふためいて、屋外へ飛び出した頃には、
     どの建物もさながら怒濤に弄ばるる木の葉の様であった。
     またたく間に壁は潰れ、柱は挫け、
     濛々土煙は天地を閉ぢこめてしまった。・・(p124~125)


     丸村・・・突発せる震動は次第に烈しく、
     水平動より忽ちにして上下動に凄まじき激震となり、
     俄然、一大震動来り、轟然たる音響と共に
     忽ち大地波打ち、壁はくづれ、屋根は落ち、堀は倒れ、
     ・・・・   (p126)


はい。 『 大地は恰も波打つが如く 』『 忽ち大地波打ち 』
『 どの建物もさながら怒濤に弄ばるる木の葉の様であった 』
こうして、各町村のありさまの文を並べてゆくと、
『 家屋転覆 』という言葉が、直下地震の現実感として浮んできます。

あとは、神社仏閣などの倒壊をあげておきます。

  北條町。 房州で有名な八幡神社の拝殿も、鳥居も
  其處の紀念碑も、惜いかな此の地震で悉く倒潰に会った。(p106)

  館野村。 有名な国分寺は、地震の為めに全潰して了った。(p114)

  那古町。 房州で有名な那古観音は、坂東三十三観音札所の一であるが、
  地震で山崩れの為め堂宇は大破損を来した・・   (p116)

  船形町。 此處の有名な船形観音が、地震の為めに大損害を
  うけたのは惜しいことである。又西行寺も、地震で倒潰した。(p117) 

  白浜村。 明治2年佛人某の設計に成れる野島崎灯台の倒潰した・・
  この灯台は高九丈八尺、海抜十三丈三尺、十七海里を照す、
  房総南端の航路の標識として、又本村の偉観の一つとして
  明治大正を通じて房州名物の一つに数えたのであった。・・(p123)

  千歳村。 本村の真野寺は惜しむべし、全部潰倒に帰した。(p125)

  大山村。房州の名刹高倉山、大山寺、不動尊、仁王門は倒潰し、
  金剛仁王の像を滅裂せるは遺憾の極みである。(p129)


はい。各町村の神社仏閣はほぼ倒潰しておりました。
その数値も記載されているのですが、ここでは省略しました。


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