和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

田舎のネズミ。

2013-08-20 | 短文紹介
以前買った絵本に
「いなかのネズミとまちのネズミ」(岩崎書店・2009年)がありました。
文が蜂飼耳。絵は今井彩乃。
書評が気になり、新刊で購入しといたもの。

絵の今井彩乃さんは、この絵本が日本でのデビュー作とのこと。
イソップの話に、洋風の絵がマッチして見とれちゃいます。
田舎と町の食物くらべとなるのですが、
蜂飼耳さんの文に
こんな箇所があります。

「いなかのネズミは つかれてしまいました。
 『ぼくは たとえ ここにあるような
  ごちそうは なくても
  きらくで のんびりした いなかのほうが
  やっぱり いいなあ』
 いなかのネズミは まちのネズミにむかって
 ぽつりと いいました。」

うん。この簡潔な場面を、
天草本『伊曾保物語』では
どのように語られているのか。

「・・さて京の鼠その恩を報ぜうずるとて、
同道して都へ上つた。
京の鼠の家は所司代の館でしかも倉の中なれば、
七珍万宝、その外良い酒、良い肴何でも有れかし
乏しいことは一つも無うて、
酒宴の半に及んだ時、
倉の役者(役人のこと)戸を開いて来れば、
京の鼠は元から住み馴れたる所ぢやによつて、
我が栖(すみか)をよう知つて、
たやすう隠れたれども、
田舎の鼠は案内は知らず、
ここかしこを逃げ廻つたが、
とある物の陰に隠れて辛い命を生きてその難を遁れた。
さてその役者出て行けば、また鼠ども参会して、
田舎の鼠に言ふやうは、
『少しも驚こかせらるるな、
 在京の徳といふは、
 このやうな珍物、美物を食うて、
 常に楽しむぞ。
 恣(ほしいまま)に何をもかをもお参りあれ』
と言へば、
田舎の鼠が言ふは
『面々はこの倉の案内をようお知りあつたれば、
 さもあらうず、
 我らはこの楽しみも更に望みが無い。
 それをなぜにといふに、
 この館の人々おのおのを憎むによつて、
 萬のワナ、鼠捕りをこしらへて置き、
 あまつさへ数十疋の猫を養へば、
 十や八つ、九つ程は滅亡に近い。
 我らは田舎の者なれば、
 自然も人に行き逢へば、
 藁芥(わらあくた)の中に
 逃げ入つて隠るるにも心安い』
と言うて、
速かに暇乞ひして馳せ下つた。」


この箇所を平川祐弘氏は、こう指摘しております。

「さて、都の鼠のところで御馳走にありつこうとした時、
人が戸を開いたので鼠が狼狽する、というところまでは、
原作も天草本も同じ筋だった。
そしてギリシャの原本でもホラティウスの
ラテン語風刺詩でもラ・フォンテーヌの仏訳でも、
田舎の鼠は都鼠と一緒に逃げることになっていた。
しかるに、天草本では・・・となっている。
狂言には周知のように都へ出て来て戸惑う
田舎者を笑い物にする伝統があり、
その滑稽味をこのイソップの翻案にも
生かしたものと思われる・・・」(p301「東の橘西のオレンジ」)

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2 コメント

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楽しいですね~ (のりりん)
2013-08-21 09:20:02
こいう比較は楽しいですね~ ^ー^)ノ

江戸時代に すでにイソップが翻訳されていたのですねえ。

江戸時代の日本のモードへの取り込み方が 
ものすごくお上手ですよねえ。

私は長年細々翻訳の勉強を続けていますが
こんな風に自由にアレンジして訳せたらどんなにいいだろうなあと思います。
通信講座では いつも目を見張るほどの低い評価しかもらえません。-(>。<)
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楽しいですね。 (和田浦海岸)
2013-08-21 22:56:54
角川文庫のリバイバルコレクションで平成元年に、
キリシタン版エソポ物語が出たことがありました。
未読のままに本棚に眠っていたのをやおらひらいております。全340頁ほどなのですが、その最初の3分の一ほどが、肝心な天草版の箇所のようで、これなら短くて、ほっとして、楽しみながら読めそうです(笑)。うん。絵本より天草版は言葉の魅力がまぶしい。
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