外山滋比古著「乱談のセレンディピティ」(扶桑社)
を以前読んで、印象に残っている箇所がありました。
この本に「三人の力」という箇所があります(p70~)
そこに間違いがありました。
まずは、間違いを引用。
「『三人寄れば文殊の知恵』ということわざがある。
読書信仰の強い日本である。このことわざの意味が
半ばわからなくなっている。
辞書に当たってみる。
『平凡な学者でも、三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意』
(岩波ことわざ辞典)
本当は、そんなことを言っているのではない。
学者が三人集まるのではなく、
人が三人集まって、話し合っていると、
文殊のような知恵が飛び出してくることがある、
といっているのである。
三人が学者である必要などまったくない。
・・だたの人でいい。三人が集まって
考えを出し合えば、たいへんな名案が浮かぶ。」
うん。うん。すごい指摘だなあと
印象に残った箇所でした。
さてっと、今日
あらためて
時田昌瑞著「岩波ことわざ辞典」(岩波書店)。
その2000年10月18日第一刷発行の本です。
それをひらいて確認をしてみました。
それはp277にありました。
はじまりは、こうです。
「平凡な者で三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意。・・・・」
辞書には「平凡な者」とあります。
外山滋比古氏の著書には、「平凡な学者」に
いつのまにかかわってしまっておりました。
もう岩波書店から、苦情が、扶桑社へと
いっているかもしれませんね。
それにしても、調べもせずに、
しばらくの間、私は時田昌瑞氏の著作を
不審に思ってしまいました(笑)。ゴメンナサイ。
を以前読んで、印象に残っている箇所がありました。
この本に「三人の力」という箇所があります(p70~)
そこに間違いがありました。
まずは、間違いを引用。
「『三人寄れば文殊の知恵』ということわざがある。
読書信仰の強い日本である。このことわざの意味が
半ばわからなくなっている。
辞書に当たってみる。
『平凡な学者でも、三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意』
(岩波ことわざ辞典)
本当は、そんなことを言っているのではない。
学者が三人集まるのではなく、
人が三人集まって、話し合っていると、
文殊のような知恵が飛び出してくることがある、
といっているのである。
三人が学者である必要などまったくない。
・・だたの人でいい。三人が集まって
考えを出し合えば、たいへんな名案が浮かぶ。」
うん。うん。すごい指摘だなあと
印象に残った箇所でした。
さてっと、今日
あらためて
時田昌瑞著「岩波ことわざ辞典」(岩波書店)。
その2000年10月18日第一刷発行の本です。
それをひらいて確認をしてみました。
それはp277にありました。
はじまりは、こうです。
「平凡な者で三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意。・・・・」
辞書には「平凡な者」とあります。
外山滋比古氏の著書には、「平凡な学者」に
いつのまにかかわってしまっておりました。
もう岩波書店から、苦情が、扶桑社へと
いっているかもしれませんね。
それにしても、調べもせずに、
しばらくの間、私は時田昌瑞氏の著作を
不審に思ってしまいました(笑)。ゴメンナサイ。
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