和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

昭和85年「産経抄」

2010-08-17 | 他生の縁
いままで、石井英夫氏がひとりで書かれていた産経抄を楽しみに読んでいた者にとって、そのあとのコラムは、数人で手分けして書いておられるとのこと、なんだか、読者にとっては読むリズムがかみ合わなくて、私など丁寧に読まずにおりました。
ところで、この二日間のコラム産経抄は楽しめました。

今日の産経抄(2010年8月17日)は、こうはじまります。

「倉本聰さん作の『帰国』を先週末、舞台とテレビドラマの両方で観た。戦後65年たった『昭和85年8月15日』の未明、東京駅に軍用列車が到着する。乗っていたのは、大東亜戦争の最中に南の海で玉砕した英霊たちだ。彼らの目的は、故国の平和を目に焼き付け、南の海に漂う数多(あまた)の魂に伝えることだった。早速靖国神社に向かった英霊たちは、仰天する。参拝する閣僚を、大勢のマスコミが追いかけていた。『国の為に死んだオレたちを、どうして国の要人が夜中にこそこそ詣(まい)らなきゃならないンだ』。脚本が書かれたのは昨年の夏だった。全閣僚が参拝しない政権が生れるとは、倉本さんも予想しなかったようだ。・・・」

これが前半でした。
『帰国』というのは、舞台でも上演されていたのですね。
とりあえず、テレビドラマ『帰国』を録画してあったので、あらためて後半を見てみました。テレビドラマでは、東京駅に軍用列車が到着する場面からはじまっておりました。
思い浮かんだのは、井上靖の詩『友』でした。

    友 
  
  どうしてこんな解りきったことが
  いままで思いつかなかったろう。
  敗戦の祖国へ
  君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
  ―――海峡の底を歩いて帰る以外。


産経抄の最後の箇所も引用しておきたいと思います。

「政府のばらまき政策にもかかわらず、景気回復の実感はない。心理学者の岸田秀さんによれば、『日本の経済繁栄の理由は、砲火を浴びて死んだ兵隊たちに対して日本国民が感じた罪悪感』だった(『「哀しみ」という感情』)。それを忘れた日本が沈滞するのは当然かもしれない。英霊たちを絶望させたまま南の海に帰らせた報いを、いまわれわれは受けている。」


とりあえず。岸田秀著「『哀しみ』という感情」を古本屋へと注文。
あとは、山折哲雄著「涙と日本人」・「悲しみの精神史」。
そして齋藤孝・山折哲雄対談「『哀しみ』を語りつぐ日本人」を開いてみたいと思いました。


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