和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大嫌ひだ。

2007-07-18 | Weblog
谷沢永一著「大人の国語」(PHP)の最後には附録として「『文章読本』類書瞥見」があり、本のリストが載っています。そこに61冊の本が列挙されていて。私に面白いなあ、と興味をもったのは、普通に雑書とみなされてもおかしくない、週刊朝日編『私の文章修業』というのもあったりするのです。

そういえば、斎藤美奈子著「文章読本さん江」(筑摩書房)の最後に、引用文献・参考文献として、二つにわけて「文章読本・文章指南書関係」81冊と「文章史・作文教育史関係」23冊のリストが載っております(こちらには「私の文章修業」なし)。
この斎藤さんの本は2002年2月初版。谷沢さんの本は翌年の2003年5月第一刷発行とあります。そして谷沢さんの瞥見リストにはちゃんと斎藤著「文章読本さん江」も載っている。つまり谷沢永一氏ご本人が選ぶとしたら、こういうリストになるという、お二人の選択眼くらべになっている。

それはそれとして、週刊朝日編「私の文章修業」(昭和54年)では52名の文章が載っており、それぞれに池田満寿夫のカット絵が魅力。楽しめる文が並んでいるのですが、そのなかから河上徹太郎氏の文を引用してみます。
その最後の方に、こうあります。

「この頃私は人物の伝記的エッセイを書くのが好きになつた。先に私は、文章といふものは筆者との人間味の溶け合ひだといふようなことをいつたが、この場合、私の文章と相手の主人公とが相擁して、共に生きてゆくやうな気持ちである。・・・・この頃は歴史物ばやりだが、一般にこの共に生きる愛情の不足が目につく。歴史家は相手をすべて割り切つて、『ここに彼の人間的限界がある』などいふ人物論を書くが、私はこの『限界』といふ言葉が大嫌ひだ。まるで自分はこの限界をのり越えた賢者で、振り返つて相手を裁いてものをいつてゐるようだ。文章は計量器ではない。・・・・」(p223)


ここに『私はこの「限界」といふ言葉が大嫌ひだ』とあります。
嫌いといえば、清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)が思い浮かびます。
その最初のページには、こうある。

「良い文章を書ける見込みのある人、文章というものと縁のある人というのは、一体、どういう人なのでしょうか。それは文字や言葉や文章に相当の好き嫌いのある人のことです。」
そして、こんな単純な比喩をもってくるのです。
「文章ばかりではありません。その辺の食堂で粗末な豚カツを食べても、ホテルの食堂の高級な洋食を食べても、同じように美味(おい)しいと感じるような人、両者の区別が出来ないような人は、仕合せな人かも知れませんが、決して立派な料理人にはなれないでしょう。みなさんは、文章に好き嫌いがあるかどうか、それを反省してみて下さい。好き嫌いがあれば、脈がありますが、なければ、まあ、あまり脈はありません。」
こうして文章作法は、はじまっておりました(ちなみに、私は「仕合せな人」タイプ)。

最初にもどると、
斎藤美奈子さんのリストには、清水幾太郎は「論文の書き方」(岩波新書)のみ取り上げられておりましたが、この「私の文章作法」は見当たりません。他の人で6人ほどが一人で2冊取り上げられている方もいたのですが、残念。
一方の、谷沢永一氏のリストには、清水幾太郎の「論文の書き方」と「日本語の技術」と2冊載せてありました。
そして、この「日本語の技術」というのが、じつは「私の文章作法」のことなのです。それを「清水幾太郎著作集19」(講談社)の著作目録で確認できました。
「私の文章作法」は潮新書として昭和46年に出ており、昭和52年にはそれにあらたに加筆して「日本語の技術――私の文章作法――」(ごま書房・新書版ごまブックス)として出たものです。おそらく谷沢永一氏の蔵書に、この加筆された方のごまブックスがあったのだろうと推測するのでした(中公文庫の方は、最後に1971年10月潮出版社刊とあります)。
もう少し脱線すると、山本夏彦著「愚図の大いそがし」(文芸春秋)に「私の文章作法(一)(二)」という文が載っており、清水幾太郎の、この本について書いておりました。他のところで山本夏彦さんは、この本を中公文庫へ入れるように推薦したのだと書いておりました。

そして清水幾太郎の「論文の書き方」「私の文章作法」のどちらにもあって鮮やかなのが、「新聞の真似はいけない」という箇所。
これについて、山本夏彦氏が指摘しております。

「『文章読本』は谷崎潤一郎が昭和九年に書いたものが最も名高い。・・清水幾太郎は自分の文章読本を書くに当って、憶測で恐縮だが何としても谷崎に似ることだけは避けなければならないと思った。窮して新聞の文章をとりあげて、これを徹頭徹尾攻撃して、おのずとそれが文章読本になるという奇手を思いついた。この想を得たとき事は半ば成ったのである。すなわち『論文の書き方』(昭和34年)である。『私の文章作法』(昭和46年、潮新書)はもと談話筆記である。・・・」(「愚図の大いそがし」p80~81)


新聞の活字に飲み込まれそうになったなら。そして、知らず知らずのうちに新聞の書き方をなぞっているようならば、清水幾太郎のこの二冊に現在でも有用な処方箋が明示されているのです。

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