和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

始まりの翁(おきな)。

2021-05-07 | 枝葉末節
「大倉源次郎の能楽談義」(淡交社・2017年)を手にしました。
あとがきで

「近年の自然災害の中で、能楽の鎮魂の役目も大きな要素
として見直されたことは、素晴らしいことと思っています。」(p269)

本文のはじまりは、「翁(おきな)」からでした。

「かつては、一日の一番始めに上演する演目は
『翁』と決められていました。今でも、
新しい舞台を初めて使う時や、正月などの節目には
『翁』を上演します。・・・・
この本もまた、『翁』の話しから始めてみたいと思います。」(p10)

「目の前に能舞台があると思ってください。・・・
舞台の上には、何も置かれていません。
そこへ、一人ずつ、役者が登場します。
総勢28人。全員が座に着くや否や、
笛が吹きはじめられ、小鼓が打ち出されます。・・・

この『翁』というのは、一般的にいう演劇のような
ストーリーが展開するというものではないのです。
人間ドラマのようなストーリーが始まる以前の、
『世界の始まり』を表しているといったほうがよさそうです。
   ・・・・
神々に模した役者が揃い、風である笛が鳴り、
小鼓が『陰陽』を打ち分けることで、
天地が分かれることを象徴します。」(~p13)

「翁では、他の能の演目にはない、大変特殊な演出が行われます。
それは、大夫(たゆう)が素顔(直面・ひためん)で登場し、
舞台上で面(おもて)を掛けるという演出です。その面は、
『翁』という老人がにこやかに微笑む面なのです。・・・」(p15)

「『翁』は囃子(はやし・音楽)の技術面からみても、
『能にして能にあらず』といえると思います。
他の能楽の曲目とは異なる点として、

一つのリズム体系の中で、謡(うたい)の詞章と囃子とが、
拍子(ひょうし)に合わせて合奏する場面が全くないことが
挙げられるでしょう。

謡は謡で力一杯謡い進め、
囃子も原初的なリズムパターンを間断なく演奏して、
結果的に逆に全てが同期していくような、
『アシラウ』という演奏形態です。

小鼓は、この曲に限り三人で演奏し・・・
地謡(じうたい)のリーダーである『地頭(じがしら)』とともに、
阿吽(あうん)の呼吸で要所要所を同期させ、
段落を決めていきます。」

はい。もうすこし引用を、続けさせてください。

「そして、若さと可能性を想起させる『千歳(せんざい)』の
舞に引き続き、翁は『天地人』を定めた祈りの舞を舞い納め、
面を外して退場します。

『翁』が終わると、続いて、三番叟(さんばそう)が
『揉(もみ)出し』という大鼓(おおつづみ)の入った
賑やかな演奏で登場し、大地踏みの『揉之段』、
苗が芽を出して穂が実るまでを祈念する『鈴之段』が続きます。
  ・・・・・・・・
『揉之段』『鈴之段』という、舞にあたる部分は、
陰陽の鼓が整った器楽曲で、謡は入りませんが、
舞手は掛け声をそこに被(かぶ)せます。
舞手の呼吸のリズムが、囃子のリズムと相まって、
躍動感、生命力が、そこに同座する観客の息と同調し、
不思議な一体感が生まれます。・・」(p17)

はい。これが本文のはじまりの箇所になります。大切な
水先案内人にめぐりあったという手応えを感じさせます。
はい。私の引用はここまで。



コメント (7)
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