古本で買ったのに読まなかった本。
そのまま読まずじまいが普通です。
今回は対談なので手にとりました。
佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』(文化出版局・2002年)。
はじまりは、佐藤忠良氏の2ページの文でした。こうはじまります。
「北海道から上京し、22歳で初めて粘土に手を触れてから、
もうじき90歳になる今日まで、僕はほとんど何の変哲もない
彫刻をつくり続けてきました。・・・」
おしまいは、安野光雅氏で「佐藤忠良さんと素描」と題されてます。
そのなかに、
「彫刻家がヌードデッサンするというのはわかるが、
どうして風景や木や果物などを描くんだろう・・・」(p155~156)
「佐藤さんの素描作品については、まだまだたくさん言いたいことがあるが、
ここでは、『なぜ樹を描くか』という疑問についてだけ憶測を述べた・・」
(p159)
はい。まえがきと、あとがきを読めば、
それだけで読んだ気になるわたしです。
対談の本文には、木の素描やら、アトリエの彫刻の写真やら、
お二人の顔写真など出てきて、ついついひらいてしまいます。
読むつもりでなくても、余白の多い活字なのでさそわれます。
佐藤】 我々美術家というのは――彫刻でも何でも――
素描、デッサンですね、それに力量がすべて出ちゃうんです。
だから僕は、素描を人に売りたくないし、
人のは盗み見しても見たいですよ。
どんなに有名な人でもデッサンを見ると
『えーっ?』と思うようなことがありますが。
これは職人どうしの目ですよ、・・・・・
素描がその作家の力を露呈してしまうということ、
これは僕は身をもってお話できると思うんですけれども。
(p58~59)
佐藤】・・・・・
素描というのはいちばんボロが出るんですよ。
ちょうど雑談しているときと同じでね、
構えていないのに力量がわかる。(p64)
はい。わたしはこれだけで、満腹。
そういえば、福音館書店の絵本「おおきなかぶ」の
あの絵は、佐藤忠良氏だったのですね。
はじめて知りました。