谷崎潤一郎著「文章読本」(昭和19年・140版発行)の古本を棚からとりだして、パラパラ。その本の最後は、こうありました。
「私は、文章道の全般に亘り、極めて根本の事項だけを一と通り説明致しましたが、枝葉末節の技巧について殊更申し上げませんのは、申し上げても益がないことを信ずるが故でありまして、もし皆さんが感覚の練磨を怠らなければ、教はらずとも次第に会得されるやうになる、それを私は望むのであります。」
ここにある「感覚の練磨」というのは、
第二章「文章の上達法」にある、「感覚を研(みが)くこと」で、具体的に触れられておりました。そこを少し引用。
「そこで、感覚を研くのにはどうすればよいかと云ふと、
出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと
が第一であります。次に
実際に自分で作つてみること
が第二であります。
右の第一の条件は、敢て文章に限つたことではありません。
総じて感覚と云ふものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になるのであります。」
本棚の整理をしていると、
こういう本を忘れていたと、
思い出させてもらえます。
「私は、文章道の全般に亘り、極めて根本の事項だけを一と通り説明致しましたが、枝葉末節の技巧について殊更申し上げませんのは、申し上げても益がないことを信ずるが故でありまして、もし皆さんが感覚の練磨を怠らなければ、教はらずとも次第に会得されるやうになる、それを私は望むのであります。」
ここにある「感覚の練磨」というのは、
第二章「文章の上達法」にある、「感覚を研(みが)くこと」で、具体的に触れられておりました。そこを少し引用。
「そこで、感覚を研くのにはどうすればよいかと云ふと、
出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと
が第一であります。次に
実際に自分で作つてみること
が第二であります。
右の第一の条件は、敢て文章に限つたことではありません。
総じて感覚と云ふものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になるのであります。」
本棚の整理をしていると、
こういう本を忘れていたと、
思い出させてもらえます。