磯田道史氏の新刊2冊を注文する。
「無私の日本人」(文藝春秋)
「歴史の愉しみ方」(中公新書)
最初の本は、雑誌「文藝春秋」に何回かにわけて連載されていたもの。
私は、この雑誌を購読していないので、今回がはじめて。
二冊目。おお、中公新書じゃないですか。
そういえば、新聞に加藤秀俊氏の顔写真が載っていたなあ。
2012年11月6日の読売新聞。
「中公新書は『百科事典』」とあり、
「『刊行のことば』執筆 加藤秀俊さん」とあります。
うん。その最新刊が
磯田道史著「歴史の愉しみ方」なんだ。
ここでは、「中公新書刊行のことば」をすこし引用してみたい。
そこには、日付が記載されておりました。1962年11月とあります。
今年の11月は、創刊50周年なんだ。
ちょっと、その前に記事を引用。
「中央公論新社の中公新書が、1962年11月の創刊から50周年を迎えた。その記念に刊行された『中公新書総解説目録』で、『刊行のことば』を創刊時に執筆したことを明かにしたのが社会学者の加藤秀俊さん(82)。・・・・」と、はじまっております。
最後の方には、こうもありました。
「自宅には創刊時から送られてきた新書のほぼ全てがそろう。『中公新書は百科事典の一項目になるようなものが多い。百科事典とすれば、グーグルよりもはるかに充実している』と加藤さんは話した。・・・(文化部川村律文)」
それではと、
「刊行のことば」の後半の箇所を引用。
うん。笑わないでください。
この機会がなければ、私は、読まずじまいだったと思います。
「・・・私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない。中公新書が、その一貫した特色として自らに課するものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである。現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実もまた、中公新書によって数多く発掘されるであろう。中公新書は、現代を自らの眼で見つめようとする、逞しい知的な読者の活力となることを欲している。」
「無私の日本人」(文藝春秋)
「歴史の愉しみ方」(中公新書)
最初の本は、雑誌「文藝春秋」に何回かにわけて連載されていたもの。
私は、この雑誌を購読していないので、今回がはじめて。
二冊目。おお、中公新書じゃないですか。
そういえば、新聞に加藤秀俊氏の顔写真が載っていたなあ。
2012年11月6日の読売新聞。
「中公新書は『百科事典』」とあり、
「『刊行のことば』執筆 加藤秀俊さん」とあります。
うん。その最新刊が
磯田道史著「歴史の愉しみ方」なんだ。
ここでは、「中公新書刊行のことば」をすこし引用してみたい。
そこには、日付が記載されておりました。1962年11月とあります。
今年の11月は、創刊50周年なんだ。
ちょっと、その前に記事を引用。
「中央公論新社の中公新書が、1962年11月の創刊から50周年を迎えた。その記念に刊行された『中公新書総解説目録』で、『刊行のことば』を創刊時に執筆したことを明かにしたのが社会学者の加藤秀俊さん(82)。・・・・」と、はじまっております。
最後の方には、こうもありました。
「自宅には創刊時から送られてきた新書のほぼ全てがそろう。『中公新書は百科事典の一項目になるようなものが多い。百科事典とすれば、グーグルよりもはるかに充実している』と加藤さんは話した。・・・(文化部川村律文)」
それではと、
「刊行のことば」の後半の箇所を引用。
うん。笑わないでください。
この機会がなければ、私は、読まずじまいだったと思います。
「・・・私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない。中公新書が、その一貫した特色として自らに課するものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである。現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実もまた、中公新書によって数多く発掘されるであろう。中公新書は、現代を自らの眼で見つめようとする、逞しい知的な読者の活力となることを欲している。」