和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

まあだだよ。

2012-11-14 | 短文紹介
徳間書店「まあだだよ 黒澤明」の
第一部「『まあだだよ』と百先生の生きた時代」を
黒澤明さんが書いておりました(語っていたのかなあ?)。

そこに、戦争中の回想が出てきておりますので、
引用しておきたくなります。

「『まあだだよ』で門下生達が、仰げば尊しを唄っていると、空襲警報のサイレンが鳴りだすところがある。そこに効果音の空襲警報の音を入れたときは、嫌な気がした。1945年、僕は渋谷の恵比寿に住んでいたが、そろそろ恵比寿も燃えそうなので、会社からトラック一台出してもらって、世田谷の祖師谷に新婚早々引っ越した。その翌日に、恵比寿の家は燃えてしまった。
しかし祖師谷でも毎晩空襲を受けて、『今晩でお終いかな』という思いをしていた。毎日毎日何百機と、夜となく昼となく飛んで来る。『ああ、今晩も死なないですんだ』という毎日だった。その空襲は、三列縦隊になってB29がやって来る。真ん中の飛行機は小田急線の上を通ってやって来て、もう一機は甲州街道の上、後の一機は玉川線という具合だった。
その頃、成城に労働科学研究所(という名称だったと記憶しているが)というのがあって、その建物の上に高射砲があったが、その高射砲が飛んで来たB29を当ててしまった。そのB29は燃えているから、自分の機体が爆発すると困るので、爆弾を全部落っことした。爆弾は祖師谷大蔵に落ちて、祖師谷大蔵が燃え出したら、そこが攻撃目標だと勘違いして、後からきた飛行機が爆弾を落とし始めた。『よけいなことしやがるな』と思っていると、そのうち止めて都心に行ったということがあった。
東京湾方面から入って来て祖師谷の上を通り、所沢を爆撃する飛行機があったが、昼間、下から見ていると、祖師谷の上で爆弾槽を開けるのが肉眼でも見えた。祖師谷の上で開けたのなら、もっと先で落とすのだけれども、あまりいい気持ちはしないものだ。
日本の飛行機が攻撃して、敵機が撃ち落されたりすると、バラバラになってエンジンやその他の残骸が落っこちてくる。本当は相当離れたところに落ちるのだけれども、そらが全部自分の頭の上に落ちてくるように見える。・・・・」(p31~32)

コメント
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