本心というのは
いつも光りかがやいて
います
ゆったりとしています
悠々としているんです
その本心が
みなさん一人一人の
なかにある
そうしてこの
いのちを
私たちをみちびいているわけ
ですから
ちっともあせることはない
のんびりやればいいんです
とにかく
世界平和の祈りを祈って
いろいろ湧いてくるおもいを
ああこれで消えていくんだなあ
ありがとうございます
と祈りつづけていけばね
本心のかがやきが
表面にあらわれてきて
あせらなくなるんです
うれしくなってくる
それで本心と一つにとけ合って
祈ってゆくと
自分が祈っているとか
そんなことも忘れちゃう
そういうところを
つきぬけて
自由になってゆくんです
あるがままに
なってゆくんですよ
それは
もとが
そうなんだから
自分というものが
もともと光っていて
かがやいていて
何のこだわりも
とらわれもない
朗らかな
神様から分けられてきた
生命なんだ
本心というものは
いつも
それを教えているし
その光で
私をしっかりと守ってるんだ
ということがわかると
こわいものはなくなります
あるのは
光一元の世界だけ
ということに
だんだんなってくるんです
かなしみも苦しみも
大変だけれど
その大愛をじっとみていると
それは消えてゆくんです
それは
祈りの光で消えてゆく
守護霊さん守護神さんを
呼んでゆくなかで
消えてゆく
五井先生を呼んでゆくなかで
消えてゆく
そして光明だけがのこる
何が起こっても
何があっても
光は闇にまさるんです
光が進軍してゆくとき
あらわれの世界では
それが苦になって出てくるんです
だからそれを消えてゆくんだ
とおもって
苦のまま
祈りつづけてゆくと
本心のかがやきが
光がずっとみなさんを
つつんでゆくんです
そのままでいいから
祈りつづけていると
世界平和の祈りにのって
苦が消えていって
あとは光ばかり
という世界を
しってゆくことになるのであります
平成2年1月14日
いつも光りかがやいて
います
ゆったりとしています
悠々としているんです
その本心が
みなさん一人一人の
なかにある
そうしてこの
いのちを
私たちをみちびいているわけ
ですから
ちっともあせることはない
のんびりやればいいんです
とにかく
世界平和の祈りを祈って
いろいろ湧いてくるおもいを
ああこれで消えていくんだなあ
ありがとうございます
と祈りつづけていけばね
本心のかがやきが
表面にあらわれてきて
あせらなくなるんです
うれしくなってくる
それで本心と一つにとけ合って
祈ってゆくと
自分が祈っているとか
そんなことも忘れちゃう
そういうところを
つきぬけて
自由になってゆくんです
あるがままに
なってゆくんですよ
それは
もとが
そうなんだから
自分というものが
もともと光っていて
かがやいていて
何のこだわりも
とらわれもない
朗らかな
神様から分けられてきた
生命なんだ
本心というものは
いつも
それを教えているし
その光で
私をしっかりと守ってるんだ
ということがわかると
こわいものはなくなります
あるのは
光一元の世界だけ
ということに
だんだんなってくるんです
かなしみも苦しみも
大変だけれど
その大愛をじっとみていると
それは消えてゆくんです
それは
祈りの光で消えてゆく
守護霊さん守護神さんを
呼んでゆくなかで
消えてゆく
五井先生を呼んでゆくなかで
消えてゆく
そして光明だけがのこる
何が起こっても
何があっても
光は闇にまさるんです
光が進軍してゆくとき
あらわれの世界では
それが苦になって出てくるんです
だからそれを消えてゆくんだ
とおもって
苦のまま
祈りつづけてゆくと
本心のかがやきが
光がずっとみなさんを
つつんでゆくんです
そのままでいいから
祈りつづけていると
世界平和の祈りにのって
苦が消えていって
あとは光ばかり
という世界を
しってゆくことになるのであります
平成2年1月14日