わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

い の り

2012-08-04 08:58:54 | 癒し
 いのりというのはどういうものかというのは、
考えれば考える程わからなくなる。まじめな
信者さんである程そういう質問をよく受けます。
 そういう人ほど良心的で考え込んでしまって、
自分が出来ていないのに人に薦める訳には
いかないとか、共に祈るような資格は私には
ないんじゃないかとか。そうなるとちょっと
ノイローゼに近い位に悩み込んでしまっている。

 祈りというものは、神様と私の対話なのです。
 と同時に、世界人類と私の祈りでもあります。
 この場合の世界人類というのは、地球の
世界人類だけではなくて、宇宙全体の宇宙の
星の兄弟たちとの一人一人との、その交信も
含みますね。ですから、真に広い幅になる
訳です。
 そこまで考えていくと、私共の世界人類が
平和でありますようにという祈りというのは、
非常に大きいし深い。そして、自分が
出来るか出来ないかということではなくて、
もう向こうの方で抱きとってもらってる訳
なんですね。ですから、何も考えずに祈る
というのが一番いい訳なのです。四の五の
言ってる間は理屈なんです。祈りというのは
理屈を超えたものなんです。

 そんなこと言ったって祈れませんという
時は、祈れなくていいのです。集会に
行きたくないのに無理に集会に行ったり、
何か行事があるから絶対に人数がいるから
といって集めたって、それはどうにも
ならないんです。その人の気持ちがどうにも
向かないという時に、無理に薦めたって
それは萎びるだけなんです。本体と肉体は
違う訳だから、本体は行きたければ、
さっさと霊体が行っちゃってる訳です。
 自分の肉体がどうであれ、霊体は行って
統一会に出たりなどしている訳ですから、
そこまで我々の肉体人間が神経質になる
ことはないんです。

 ですから、真面目な人ほど色々色々
考えるけれども、しかし、そうじゃなくて、
もう一回、子供みたいに無邪気になって、
世界人類が平和でありますようにという風に
祈る。祈って任せる。そこからでないと
我々の道というのは開いていかない。
 そういう風に思います。

         昭和63年6月13日(月)
              五井 昌久