本日、わが町内で竜巻が起こっていたそうな。
確かに、突風が吹いて、にわかに黒雲。雷が鳴って・・・でも雨は降らず。
その前後は晴れていて気温が高め。
そんな怪しいお天気だったけどねえ。
お昼は久々に友人に会い、ランチをしました。
彼女も、震災直後に、水戸の娘さんのところに避難をしていたのだけど、
私より1週間ほど早く帰ってきて、仕事復帰をしていたのでした。
積もる話は、この1カ月余りの出来事。
誰にもどの家族にも、語りつくせない出来事がたくさんあるのですね。
家に帰ってふと思い立ち、グーグルアースを開いてみました。
懐かしい地元の風景を・・・と、思ったら、
すでに震災後の画像に切り替わっていました。
息をのみ、変わり果てた地元の海岸線をたどっていきました。
見なれた港町、海水浴をした海岸、友達の住んでいた海辺の町、
津波の爪痕が、くっきりと・・・。
そして少しずつ画面を北へとスクロール。
憎い憎い原発。
第一原発の爆発後の姿が生々しい。
一帯の海沿いの集落は、津波によって更地のようになっています。
まだ、行方不明者捜索のされていない地域も含まれます。
大熊町の、上海から来ていたギョーザ屋のおばちゃんはどうしたろうか。
家族中お気に入りで、相双地区に行ったときは、よくおみやげに買って帰ったっけ。
人のいなくなった町。
組内寺院や知人の家を確認し、ときに食事に立ち寄った店を確認し、
そして子どもの頃の思い出が詰まった母の実家である寺を確認し・・・。
息をつめて北上を続けます。
美しい相馬の松川浦はもう無い。
浦と海を両側に臨みながら走る海岸道路は、途中で道がぞっくり無くなっています。
どんどん北上。
仙台に行くときに国道6号線を走るのが嫌いな住職は
いつも海岸に近いルートを選んでいました。
そこが、ぜんぶ大津波にのまれていました。
目をつむっても思い出せるよく走ったあの道。あの風景。
仙台を越え、姪家族が家を失った七ヶ浜、
石巻、女川、気仙沼、南三陸、陸前高田、大船渡、そしてそして・・・。
悲しくてならない。
最後に、一気に下ってわが家。
本堂前の燈篭が見事に倒れているのが写っていました。
撮影日は、3月12日。
それからは悪夢のような日々。
確かに、突風が吹いて、にわかに黒雲。雷が鳴って・・・でも雨は降らず。
その前後は晴れていて気温が高め。
そんな怪しいお天気だったけどねえ。
お昼は久々に友人に会い、ランチをしました。
彼女も、震災直後に、水戸の娘さんのところに避難をしていたのだけど、
私より1週間ほど早く帰ってきて、仕事復帰をしていたのでした。
積もる話は、この1カ月余りの出来事。
誰にもどの家族にも、語りつくせない出来事がたくさんあるのですね。
家に帰ってふと思い立ち、グーグルアースを開いてみました。
懐かしい地元の風景を・・・と、思ったら、
すでに震災後の画像に切り替わっていました。
息をのみ、変わり果てた地元の海岸線をたどっていきました。
見なれた港町、海水浴をした海岸、友達の住んでいた海辺の町、
津波の爪痕が、くっきりと・・・。
そして少しずつ画面を北へとスクロール。
憎い憎い原発。
第一原発の爆発後の姿が生々しい。
一帯の海沿いの集落は、津波によって更地のようになっています。
まだ、行方不明者捜索のされていない地域も含まれます。
大熊町の、上海から来ていたギョーザ屋のおばちゃんはどうしたろうか。
家族中お気に入りで、相双地区に行ったときは、よくおみやげに買って帰ったっけ。
人のいなくなった町。
組内寺院や知人の家を確認し、ときに食事に立ち寄った店を確認し、
そして子どもの頃の思い出が詰まった母の実家である寺を確認し・・・。
息をつめて北上を続けます。
美しい相馬の松川浦はもう無い。
浦と海を両側に臨みながら走る海岸道路は、途中で道がぞっくり無くなっています。
どんどん北上。
仙台に行くときに国道6号線を走るのが嫌いな住職は
いつも海岸に近いルートを選んでいました。
そこが、ぜんぶ大津波にのまれていました。
目をつむっても思い出せるよく走ったあの道。あの風景。
仙台を越え、姪家族が家を失った七ヶ浜、
石巻、女川、気仙沼、南三陸、陸前高田、大船渡、そしてそして・・・。
悲しくてならない。
最後に、一気に下ってわが家。
本堂前の燈篭が見事に倒れているのが写っていました。
撮影日は、3月12日。
それからは悪夢のような日々。