迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

またまたたこやき

2012-01-24 09:58:46 | つれづれ
きのうは東京教区同朋ネットボランティアの皆さんにお声をかけて頂き、

再び仮設でのたこ焼きを実施しました。

折からの寒波襲来。

雪こそ降りませんでしたが、冷え込む~。

でも、一生懸命たこ焼きを焼いていると、

その寒さも忘れてしまうほどでした。

外側カリッ、中がふわふわ。

近頃は熟練の技に達してきた我がたこ焼き隊。





東京からの皆さんは、前回と同じく足湯、お汁粉。

そして夕方からは、おでんに焼き鳥の居酒屋と、たくさんの材料を準備して

おいでくださってました。

熱々のお汁粉美味しかったよ~。


つくりん、足湯を満喫。



肝心のタコが無くなったところで我々は撤収。

おでんのいい匂いに後ろ髪をひかれつつ、帰ってきました。



今回は、集会所で富岡町から避難の3人の方から、

震災当日からのお話を伺いました。

夜のNHKクローズアップ現代でも取り上げていましたが、

今、一番重要なのは補償の問題。

原発から近くに住んでいた人ほど、

帰るのは無理だと感じています。

今の状態では、生きる意欲も削がれてしまう、

土地の買い上げなどを含めた訴訟の問題を一日も早くクリアしてほしいというのが、

率直な願いのようです。

新たな警戒区域の設定などを理由に、具体的な補償の提示を先送りにしている東電。

住むところによって、仕事の状況によって、家族構成によって、

それぞれ受け続けている被害の内容は異なります。

きめ細かい対応が必要ですが、実態はそれに追いついていません。

被災者は決してわがままを言っている訳でも、無理を言っている訳でもありません。

当たり前の生活を取り戻したいだけ。

こうして取りあえずは自分の家で暮らすことのできる私でさえ

ときに落ち込むことがあるんですから、

家や故郷を離れなければならなかった方々の気持ちはいかばかりかと、

あらためて思います。


夜、ガタガタっとつきあげるような大きな地震。

たこ焼きの日に地震って、けっこうリンクしてるんで、やな感じ。






籠もる日々

2012-01-21 18:29:40 | つれづれ
寒~い、ですねえ。

雪こそ降りませんが。

久々の雨、ってことは実際の気温はやや高かったんですね。

でも、寒い。

これまでの乾燥っぷりときたら、はんぱなかったですから

こんな程度のぽつぽつしとしとじゃ、

あんまり解消にはなりませんね。

風邪が完全に治っていないので、いまだ喉がムズムズして、

いちど咳き込むと止まりません。

鼻水はだいぶおさまりました。

まあ、元気です。


コタツに入って、もくもくと編みぐるみでクマを作ったり、

折り紙に専念していました(笑)。

ただただ、つくりんのご機嫌取りにやってみたのが、

はまりました。





世の中のことを深く考えると、体調が悪化しそうなので

見て見ぬふり。

原発に関しては、この姿勢が一番いけないことだったんだけどね・・・。


汚染コンクリートの行方。

当方に関して言えば、墓地の修復に使われたりはしなかったか、と

ふと思ったり。

イヤ、そんなことはたいした問題じゃない。

実際に自分が住んでいる家の土台に使われていた、

という人たちのことを考えたら、

たまらなく腹が立って仕方がないんだ。

生活のサイクルが根底から崩されて、どこにも行き場の無い感情が

ぐるぐる渦巻いてる。


それでも時間はどんどん過ぎてゆく。

いろんなことが希薄になって、いつか忘れられていくのかな。

ダルの大リーグ契約が、民放ばかりかNHKのトップニュースになるぐらいなんだから

もはや平時、平穏というべきなのかな。

つい先日の電源トラブルで原子炉の冷却機能が全面ストップしたことなんて、

たいした報道もされなかったし。

私は、そりゃあドキドキしてましたけどね。






相馬へ

2012-01-15 23:26:15 | つれづれ
先日、妹たちとともに、ご無沙汰していた相馬の叔母に会いにいきました。

以前だったら、いわきから相馬まで海沿いのR6を走り車で2時間ほど。

でも今、その道は原発事故によって断たれています。


先日の皇居での歌会始で、かって福島高専の校長をしておられたという方が、

途絶えた常磐線のその先へ思いをこめて読んだという歌がありました。


「いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く」


もともと、いわきー仙台間の特急は、東京方面へ向かうそれにくらべて本数も少なく、

仙台に行く機会の多い私も、あまり利用頻度は高くなかった。

基本、浪江の母の実家や、相馬に行くときも車で行っていたしね。

それでも、途切れてしまった常磐線を思うと、寂しさが募ります。



ということで、かなり遠回りしないと相馬には行けません。

いざ行くとなったら、私は中通り(県の中央部)を通って、相馬に出る道を知らなかった

今まで一度も行ったことの無い県北地方の地理にはほんとに疎い。


雪の心配もあるので、福島まではバスで行き、

そこからは福島市に住む妹の車に乗せてもらうことに。

結果、雪の心配はまったくありませんでした。


相馬に出るには、福島市や伊達市の中でも、比較的放射線量の高い地域を通っていきます。

なので、参考のため一応線量計を持参。

途中、米からセシウムが検出されたという地区や

ホットスポットがあるなどというところを走ると、

やはり数値があがります。

あるところでは、いっきに2マイクロシーベルトを越えました。

モデル事業なのか、道路沿いで大掛かりな除染作業をしているところもありました。

樹木を切り払い、むき出しになった地面が痛々しかった・・・。


相馬に近づくと、数値はずいぶん下がります。

いわきもそうだけど、海岸線はおおむね低目。

相馬の街中はひっそりしてあまり人も出歩いていないような。

昼食をとるために入ったファミレスはとても混んでいましたが。


叔母の家に行く前に、松川浦に行ってみました。

何度も何度もテレビやネットの映像で見た恐ろしい光景がウソのように

海は静まり返っています。


よく通った松川大橋も通行止め。


がらんどうの漁港。


防波堤の上に漁船がポツンと乗っていました。



この地でもたくさんの人が亡くなりました。

改めてそれを思い胸が締め付けられました。

叔母の嫁ぎ先は本派の寺。

大きく立派な本堂なのですが、かなり地震の影響を受けています。

直せる職人がいないので困っていると、従弟の住職の話。

気になっていた叔父も叔母も、やや不自由な体ながら元気な顔で、

ホッとしました。

でも、叔母の次男は浪江町の寺の住職で、

原発事故で自坊を出ている身。

さらに石巻の三男の寺は、大津波にあいました。

叔母夫婦がこの10カ月、つらく悲しい思いで過ごしてきたことは察せられます。

元気でね、また来るね、と言って

手を握って別れてきました。


なんだかねえ、とっても切ない・・・。

どっちを向いても、やりきれない。

でも、生きていくしかないんだよねえ。







すてきなジェーン

2012-01-14 21:39:39 | 3.11
ジェーン・バーキンは若いころの私のあこがれの女性。

初めて彼女を知ったのは、高1の頃に見た、アントニオーニ監督の「欲望」という映画で。

「欲望」は、大人になってから唯一お金を出して買ったDVDでもあります。

ヤードバーズのジェフ・ベックとあの頃のジェーンが、

どうしても見たかったんだよね。

青くて硬くてアンニュイな雰囲気の女の子だった。

その後、彼女の人生に大きな影響を与えるゲンズブールとの出会いがあり、

そこから導き出されたようなあの囁くような歌声にも、

実は密かにあこがれた(きゃ


3度の結婚を経て、女優として歌手として、さらには社会活動にも身を投じる彼女の生き方は、

多くの女性に影響を与えたと思う。

その彼女が、震災後の日本にいち早くやってきて、

彼女なりの行動とメッセージを残してくれていたということを

実は、今夜初めて知った。

テレビの番組で。


彼女が来日した4月の初め、私はまだ大阪にいて、

テレビも震災のニュースしか見ず、ネットからも遠ざかっていて

他の情報を身に入れることをしていなかったしね。

今夜の番組では(BSなので再放送かもしれないけど)、

彼女が彼女の言葉でしっかりと被災した日本と日本人について話してくれていた。

それはとても温かく私の耳に入ってきて(もちろんフランス語はわかりましぇんが)、

やさしく肩を抱かれている気がして、いつのまにか涙が出てました。

トークの相手役の谷村新司も泣いてたけど。


ジェーンも65歳ぐらいか。

画面に映った彼女の手の甲は年を感じさせる皺ができ、シミも浮いている。

でも、きれいだ、ジェーン。

「老いることを恐れないで、60からでも冒険ができる」と、

女性へ向けてメッセージを贈ってくれたジェーン。

とはいえさすがに冒険はできないが、老いを恐れず日々を生きることはできる。

老いを楽しむことができる、そんな気がしてきた。

日本人バンドとまわるワールドツアー後に、また日本に来るとのこと。

そのときは、行けたらいいな。

歌を聞く、というよりもその人の近くにいきたい。

温もりを受け取りたい、そんな気持ち。



さてさて、住職共々、風邪を押して見てきた「アレクセイの泉」は、

また次の機会に書きます。


留守中、仙台から復興支援センターのKさんたちが支援の水を届けにきて下さり、

玄関先に置いて行ってくれました。

ご苦労さまでした。

ありがとう。

「水」が、もたらすいのちの世界を描いたドキュメンタリーを見てきたばかり。

いろんな思いが胸を満たします。

風邪はいっこうに良くなりそうにありません。

やっと書きましたので、

寝ますワ。





新年会と風邪ひき

2012-01-14 09:59:41 | 行事
一昨日、当寺同朋の会の新年会がありました。

例年のごとく鍋を囲んだ集まりです。

前日から準備をはじめたものの、私はずっと風邪っぽくて、

それがだんだんピークに達しそうな勢い。

さらには住職も、熱っぽそうな怪しい感じ。

それでも予定を動かすことなど出来ません。

がんばりました。

手作りのお料理を持参して下さった方もいて、

テーブルもにぎやかに。


本堂でお勤めをしたあと、座敷に移動。

さてこれから、というときに、

グラグラが来ました。


あわてて立ち上がるやら、鍋の火を消すやら、

私は、歩行器に入って愛想を振りまいていた孫を抱き上げ

廊下でおろおろ。

すぐにおさまったもののイヤあな感じの揺れでした。

年明けてから、多いんですよね、地震。


しかしすぐに気を取り直して会は続行。



いつもどおりのビンゴゲームや○×ゲーム、

つくりん相手のじゃんけんゲームで楽しくなごやかなひと時を過ごしました。


4時近くお開きになって、後片付けを終え、やれやれ。

年末から続いていた、なんとな~く気持ち的に忙しい日々に一区切りつきました。


しかし、私の風邪は最悪。

住職も声が嗄れて熱も出始め、二人でコンコンしておりました。

そのような中、私は昨日仙台で集まりがあり、

出かけてきましたよ。

3時間余りのバスはきついです~。

昨夜は8時過ぎに帰って来たのですが、さすがにダウンしました。

新年会でお会いした同朋会の皆様に、

風邪がうつっていないことだけ念じております。







2012年とっくに明けてました 今年もどうぞよろしく

2012-01-08 17:16:48 | つれづれ
正月休みもほどほどにしなさい、という声が聞こえんばかりの

ブログ休眠でした


年末年始は、わらわらと過ぎてゆきました。

いつものように年越しの鐘をつき、

私はいつものように本堂裏の台所で新年を迎えました。

そして、さまざまな思いの去来する中で、

修正会を勤めました。

さすがに参る人も少なかったですけど。


いつものように・・・。

そのいつもを当たり前と思い、何気なく過ごしていた日々が

とても大切な貴重な時間だったということを

震災を経た人たちの多くが感じていることでしょう。




頂いた年賀状の多くに、

「穏やかな年でありますように」という言葉が

添えられていました。

にもかかわらず、初っ端から大きめの地震がいらっしゃって、まあびっくり。

(おせちの後でだらっとしていたあのタイミングはやめて)


おかげでフクイチも落ち着かないようです。

何が収束なんだか。

中間貯蔵施設の問題があり、補償問題があり、

また年明けて降セシウムの量が一時的に増大したとか、

穏やかにはほど遠い現実が。


それでも、

生きていくよ。

この福島で。

楽しいこともいっぱい見つけて

暮らしていくよ


今年もどうぞよろしくお付き合いください。