迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

季、移る

2011-09-30 20:56:23 | つれづれ
10月ですね。

日中は動くと少し汗ばむものの、今朝はぐっと気温が下がった感じです。
朝早く庭に出ると、金木犀の香りがふわ~っと漂ってきました。
うっとりしてたら、そのあとすぐに風に乗ってギンナンの強烈な匂いが。
これでもか、というぐらい毎朝落下して、つぶれております。(>_<)
そういや、彼岸花もあちこちで満開です。
そんな季節なんですね~。

春の桜は虚しい心のまま見送り、
夏は暑さの中、無我夢中で過ぎました。
そして秋。
当たり前の季節のうつろいがこれほど貴重なものだったとは。

それにしても先日の地震。いやいや油断してました。
ここにきてまた震度5強だなんて。
久々にビビりました。
その後もちょっと多めの余震の余震です。
というような相変わらず落ち着かない昨今ではありますが、
今月16日は自坊の報恩講でございます。
例年どおりにいくかどうか、ちと心配。
なんといっても、前述のギンナン、今年は使いません。(T_T)
いつもはお斎のご飯に炊くんですけど、
やっぱりね、あれですから。

今月はほかにも何やかや。
忙しい月になりそうです。




最低マナー

2011-09-27 16:57:34 | つれづれ
皆さんのお近くには、こんな人いないかも。
私は、このひと月で、3人目の最低マナー違反者を
目撃してしまいましたよ。

それは、スーパーのレジで順番を待っているときに、
商品の入ったお店のカゴを床に置き、
前に進むたびに足で押して移動する人。

それっていつもおじさんなんですよね~。
たいして品物も入ってないのにさ。
今日なんかバナナと他に2、3品。

「ちゃんとカゴ持てー!」

「下に置くなー!」

「足で動かすなー!」

「○シウムついちゃうかもしんないじゃん、ばかー!」

小心者なので、心の中で言う。はぁ~ 


お彼岸も終わり

2011-09-26 07:11:48 | つれづれ
お盆と違い、1週間のお彼岸は長いですね。
入ってすぐ台風にも見舞われましたが、その後は穏やかでした。
今日も青空です。
墓地は、まだ修復できていないところがいっぱい。
倒壊した石の上に、お花が供えてありました。

さて、一部の方についてはお盆のときにご報告を受けていたので、
承知していましたが、今回お話を伺ったら、
地震や津波で意外にも数多くのご門徒さんが、
全壊、大規模半壊、半壊の被害を受けていられました。
瓦が落ちたりなど、何らかの形で被災しているとは思っていました。
しかし、これほどだったとは。
予想以上だったので、びっくりです。

引っ越しをされたり、よそに仮住まいの方も多いですが、
取り壊しもままならず、怖いけれどそのまま住んでいるという方も
けっこういらっしゃいました。
台風の暴風雨では、さぞ心配なさったことでしょう。
これからもさらにダメージを受けるような、
大きな地震や台風がおきないといいのですけど・・・。

おととい、昨日と、小さな余震が何回か。


台風

2011-09-22 07:01:50 | つれづれ
昨日は、久々の台風直撃でした。
台風本体でこれほどの影響を受けたなんて、
いつのことだったか忘れるぐらい。

夕方から夜にかけてが最高潮でした。
風雨強く、外では何かが飛んでいく音。
警戒のパトカーや救急車の音。
停電に備えて、懐中電灯を前に並べ、通り過ぎるのを待っていました。
夜の9時を過ぎると、だんだんおさまってきて、
その後はパタッと静かに。
と思っていたら、いきなりグラグラと。
今ではすっかり忘れていた、携帯の緊急アラームが
ギュイーンギュイーンと鳴りました。
台風と地震のダブルパンチはやめてほしいよね、って、
話してたばかりなのに。
茨城県北部が震源とのことでしたが。

さて、一夜明け、早朝から境内参道の落ち葉を掃き集めました。
予想通り、絶句するほどのギンナンが落ちていました。
例年なら10月の自坊の報恩講でご飯にするのですが、
今年は残念ながら取りやめです。
このギンナン拾いと処理が大変で、ブツブツ言いながらも、
せっせとやっていた去年がなつかしい。
イチョウの葉も実も重くて(いい粒でした)、掃き集めるだけでも
重労働でした。

それにしても、台風の影響で避難されている皆さんが、
早く家に戻れる状況になるといいのですが。


休みます

2011-09-17 13:37:49 | つれづれ
東電が20年以上にわたって関係のある3県の自治体に総額4百数十億円の寄付をしていたそうで。
どちらも感覚がマヒしていたとしか思えませんね。
だからと言って、福島県民は何も言う資格が無いなどとは、毛ほども思いませんけど。

地元ばら撒きも含めて気が遠くなるような膨大な費用をかけて、
それでもそれを上回る利を生むのが原発。
確実にその巨利を手にする人がいるから、やめられないんでしょう。

このブログで、もう原発のことを話題にするのをやめようと思います。
どんな形で訴えても、福島に生きる人の心情は、とうてい理解してもらえないだろう。
しかもその福島でさえ、人の思いはまちまちで。

ちょっと疲弊しました。


全面撤退・・・?

2011-09-08 09:56:47 | 原発
ネットに入ったら、

東電社長、全面撤退申し出た

という見出しが目に入りました。
おっ、ついに原発からの全面撤退を決心したのか・・・
と、一瞬でも思ってしまった自分がバカらしい。
撤退とは、作業員を同原発から全面撤退させたいと、枝野さんに申し入れたということでした。

清水氏はまず、海江田さんに撤退を申し出たが拒否され、枝野さんに電話したんだそうな。
で、原発の吉田昌郎所長や経産省だの保安院だの関係機関に見解を求めた、と。
当の吉田所長は「まだ頑張れる」とおっしゃったそうです。
いずれも撤退は不要との見方を示したそうですが、何でしょう、この東電の本社と現場の乖離は。

確かに、事故発生時から現場に留まり、それこそ過剰な被曝を受けながら
作業に当たられている東電の皆さんの過酷な状況は、我々の想像をはるかに超えるものでしょう。
しかし、これだけの事故を起こした会社として、全面撤退ってどういうことなんでしょう。
ふつーに考えて、そういうことが言える、またできる仕組みというものが、よくわかりません。
では誰があの場所で終息に向けた作業を行うんでしょう。
中間処理施設どころか、最終処分場になりかねない。
そういうものを抱える福島の人々の気持ちをただいたぶるだけの記事でしたね。
とにかく事故発生直後の東電関係者の逃げ足の速さときたら、
私の知っているかぎりのところでは、語り草です。


建屋カバーの工事が進み、少しは安心になるのかと思ったら、
逆に内部は高濃度になるため、排気塔からの放出は避けられない、という
アメリカの研究者さんの話もあるようで。
汚染廃棄物の問題は、国や行政のゆるゆるの基準で焼却処分になりそうだけど、
もちろん数値の高いものは行き場が無いし、焼却の際の灰の飛散もあるし、
そもそもその焼却後に残ったものをどうする?
え、国よ、東電さんよ、どうするの?

私たちは何も、わからない。
知らされない。
ただ、除染せよ、除染ありき、で、もくもくと地域住民が汗を流しています。
数日前行った美容院で、私の髪を切りながら、美容師さんが、

「これからさき私ら死ぬまで被曝し続けるんですよね~。
やだなあ~。」

ほんとに、いやだよねえ。
東電どころじゃない、みんな、撤退したいよ。
あの日の前に。

野田さんは財務大臣のときに、東電は絶対無くさないとおっしゃったとか。
東電は無くさなくてもいいけど、原発は無くしてほしいなあ。
でも、京大の小出さんもテレビで、そうはならないのが今の政治と言ってたし・・・。

うちのネコさんも困った顔をしています。


そうそう、先日小名浜に水揚げされたカツオ。
よそではやはり厳しかったようです。
獲れた漁場の名前で市場に出すこともできるけれど、
流通の過程で水揚げの場所もわかるし、また地元漁業者の皆さんだって、
そんなことをする積もりもないでしょう。
価格はキロ100円。通常の3分の1だそうです。
それも、買い手がいないのを無理に頭を下げてお願いして。

海も山も町も人も、厳しいです。
これが原発。

ああ、今日はいい天気だなあ~~~~


台風

2011-09-04 21:38:21 | つれづれ
台風12号が残した爪痕はあまりに大きいものでした。
多くの被害が出てしまい、尊い命も失われて、本当に胸が痛みます。
台風は、地震予知などとは違って、発生時からおおよその大きさ、進行方向も推定できます。
なのに必ずと言っていいほど、大なり小なり何らかの被害を受けてしまいます。
科学の粋を結集したデータも、強大な自然の力に抗することができないこともある。
自然への挑戦は人間が存在し、発展をし続ける限り続いて行くのでしょう。
有り難いことでもあり、空恐ろしいことでもあります。




福島の子どもたちの本音を聞き、未来を考える

2011-09-01 21:36:24 | 原発
東京教区同朋ネットメールニュース【9月1日版】より転載します。



◆福島の子どもたちの本音を聞き、未来を考える

     上田紀行さん(文化人類学者)の同朋ネットへのメールより

「福島の子どもたちの本音を聞き、未来を考える」
この数年東京の子どもたちが福島を訪れて合同キャンプをしていました。
今年はその逆のパターンになり、子どもたちで「福島の今」を考えました。
主催者の志村季世恵さん(バースセラピスト)の報告は、胸が痛くなります。

「福島の子どもと東京の子どもが共に遊び、そして、本気で語り合い
これからの未来を自分たち子どもはどう捉えどう行動したらいいのか
子どもだからできることを考えました。
その内容を大人たちにどう伝えればよいのかにまで話しは至り、
とても有意義な時間を過ごすことができたと思っております。

最終日、福島の子が自分の思いを伝えることがどれだけ自分を
楽にしたか、これからは家でも学校でも自分の思いを伝えることを
あきらめずしていきたいという意見が印象的でした。
東京の子どもたちも自分たちができることを必ず実行すると答え
どんな問題も人ごとで終わらせていけないということを実感したようです。

けれど、福島の子どもたちの行動は想像を越えることがありました。
外で遊ぶ時に10分で屋内に慌てて入ってくる子がいたり
(福島市の小学生は一日トータルで60分の屋外行動と決まっており
外遊びは10分を小分けにしいるのだそうです)
グランドには線量を気にし、出たがらない。参加した地元のお祭りに
子どもを座らせるために用意してある青いビニールシートを見れば、
そこには線量の高い土が積んであると急に怯えたりする子もいました。

食事ではお野菜が出るたびに「この野菜の生産地はどこですか?」と
顔を強張らせ質問してくる子が何人もいて
「この野菜は静岡のここの近く函南の農家の方から頂いたものよ」と
答えると「よかった!安全なんですね。だったらお父さんお母さんの
分もいっぱい食べます!!」と笑うのです。
こんなやりとりが何度も何度も続き、私は胸が痛くて、子どもが安心して
「遊べない」「学べない」その環境を何とかしたいと痛感しました。」

上記の「この野菜の生産地はどこですか?」と聞いた中学生は、
「もし放射能に汚染されている野菜なのだとしたら、ぼくが率先して食べて、
小学生の子どもたちには、もっと安全な野菜を食べさせたい」
と言ったのだそうです。

そして、女の子達は、
「もう私たちは福島で育った女ということで、一生結婚できないかも」
と話しているそうです。子どもたちみんなに共通しているのは、
「僕たち、私たちは見捨てられたんだよね」
という思いなのだと聞きました。

キャンプが終わり、皆が泣きの涙で別れるとき、
東京の子どもたちが「今度は僕たちが福島に行くね」と言ったら、
「ダメだよ、君たちはぜったい汚染された福島なんかに来たら」
と言いつつ、子どもたちは福島に帰るバスに乗り込んでいったそうです。

子どもたちにこんな思いをさせては絶対にいけない!!
私たち大人にいま何ができるのか、考えたいと思います。


9月10日に渋谷でシンポジウムが開催されます。
http://ht.ly/6c5kR
「福島の子どもたちの本音を聞き、未来を考える」
当日はキャンプに参加した子どもたちも自ら語ります。
このシンポジウムの情報をお広めいただけますでしょうか。
またマスコミ関係の方々等、メディアを持っておられる方々、
情報の周知にご協力いただけないでしょうか。

そして、ぜひおいでください!

2011年9月10日(土)
時間 13:30~ 17:00(13:00開場)
場所 東京ウィメンズプラザホール
住所 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67
電話 03-5467-1711(代) FAX 03-5467-1977
womens@tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp
参加費 1,000円(チャリティBOXにお入れ下さい)

未来をどう構築するか

2011-09-01 08:09:04 | 様々な問題
福島県の人口が200万人を割り込み、県はもとより各自治体は危機感を募らせています。
もちろん3.11で被災した岩手や宮城県でも人口減少は大きかったと思うのですが、
福島の場合はやはり原発事故による放射能汚染の問題があり、少し事情が違っているといえましょうか。
警戒区域や、緊急時避難区域にあたる町や村からの県外避難者の中には、
まだ籍をそのままにしている人も多いので、実質県内に居住している数は公表の数字よりだいぶ下回るでしょう。
それでなくとも過疎化しつつあった町村。
何とか故郷に帰ってきて欲しいと、除染にも力を入れていくとはいっても、
若者や子どもたちの流出に歯止めはかからないし、また、気休め程度の数値の減少で、
彼らが安心して戻ってくるとは思えないのです。

今さらながら発表されたセシウムの汚染地図。
読みとりにくい色使いに無数の○印がつけられた地図はいかにもまがまがしい。
しかも、テレビのワイドショーではそれを背景にチェルノブイリとの比較をし、司会者が恐怖感を煽る。
まるで福島県全土が同じ状況にあるような取り上げ方。
もちろんそのような事実もある一方で、いまだ200万近くの人間が住んでいるのが福島県です。
お米や果物、肉、工業製品にいたるまで、放射能の数値に振り回される生産者の苦渋は筆舌に尽くしがたい。

原子炉の封じ込めは、適正な作業方針のもとに一刻も早く為されてほしいけれど、
福島県、そして今ここに生きている福島県民まで封じ込めるのはやめてほしい。



2,3日前、小名浜港にカツオがあがり、地元の店にも並んだというニュースがありました。
他県にあがるカツオと漁場はほぼ同じ。
福島、小名浜となると商品として、流通はどうなるのか、関係者の心配も大きかったと思います。
でも何としてもカツオを水揚げしたいというのは、震災以降の地元の悲願でもあったでしょう。
その喜びをあらわすように、お店のカツオもよく売れたそうです。
福島県の漁港は殆どが使える状態ではなく、小名浜のように復活の兆しを見せても、
現状では、検査目的以外近海での漁は自粛しており、地元の魚が市場に出回ることはありませんのでご心配なく。

私が子どもの頃、刺身と言えばカツオ。
田植えの時期、祝いとしてカツオが1本、2本と丸ごと届いたものです。
わが家では、生きのいいカツオは半身を刺身にしてショウガやニンニクで。
もう半身は、切り身にして生のままから揚げし、生姜醤油に漬け込むというやや日持ちのする一品に。
残った部分は玉ねぎ、生姜を加えてアラ汁で頂きます。
昔、東京に住む伯父が、「そっちに帰って腹が冷えるほどカツオの刺身を食べたい」と言ったことを思い出します。
そして、稲刈りの頃にはこれまた地元の港にどっさり水揚げされるサンマ。
秋には、サンマの刺身が定番だったなあ・・・。

あら、今日の題は「未来をどう構築するか」だったのに、いつのまにか食べる話に落ち着いちゃいましたねえ。
まっ、いいか(苦笑)。