迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

気持ちよか~ヨガ

2012-03-29 11:54:36 | 家族
娘chihirockはヨギーニである。

あ、その道の修行者ではないの。ただ単にヨガやってる人ね。

さらに、自分でやるだけではあきたらず、

仕事の合間にヨガのワークショップを主宰しているという

もう一歩入り混んじゃってる人なのです。

もちろん特別なスタジオなんかないので、以前はアリオス(いわき市文化芸術交流館)でやってました。

彼女も2か月ほど避難していたのですが、戻ってきてしばらくして再開。

被災のため施設が使えない間、自坊を借りていたのがそのまま継続しています。

決して怪しい何かにとりつかれた訳じゃありません。そこんとこご心配無きように。


ワンコインで参加できるので結構人気のようです。

若い女性ってほんとにヨガ好きだよね。

でも、震災後はとくに、心身疲れている人が多いので、リラックスできるという点で

こういうのもアリなのかもしれません。


私も肩こりがあまりにひどく(最近ハワイアンキルト始めました)痛い疲れたと言っていたら

「ヨガやりましょう」とchihirock。

「体曲げたり伸ばしたりはやだよ」

「だいじょうぶ、寝てればいいから」

そこで、夫と二人指導を受けることに。

ほんとに寝てるだけでした。

ちょっと体をひねった程度の姿勢で、専用のマットに頭や腕や足を乗せ毛布をかけて

アイピロウを乗っけて寝てるだけ。

ちょっとポーズを変えながらそれぞれ20分程度。

心地いい音楽とハーブの香りに包まれて、何だ?ここは異空間?

夫は3分で鼾をかいていました。(笑)


リストラティブヨガというんだそうな。

体験してみて下さい。

気持ちよかです。

こちらのコースはいろんな道具を使うため人数も5人程度しかできず、

そのため参加費はワンコインではないようですけどね。

sahasura yogaさんです。


ま、親が宣伝してどうなの?って話ですが。








目を向けなければならないことが多すぎて

2012-03-28 18:20:48 | つれづれ
暖房はまだまだ必要ですけど、日一日暖かくなってきましたねえ。

朝から鶯も囀ってました。

お彼岸が過ぎ、私の日々は単調に過ぎていきます。

一方、避難地域の帰町、帰村の問題で揺れている福島。

状況は大きく変わってきているのか、

それとも何も変っていないのか。

安全の無いところに、安心は無いというのに、

何が何だかわからないところに生きています。



しばらく原発の現状があまり伝えられないなあと思っていたら、

なに?

ストロンチウムを含む汚染水が漏れた?

格納容器の水深が60センチ?

線量72シーベルト?

そこで働く人たちは、ほんとうに大丈夫なのでしょうか。

そして私たちの今は? これからは?



春休みになって、福島の子どもたちの県外への一時保養が行われています。

参加できるのも一部の子どもたちとはいえ、

思いっきり走りまわり、目いっぱい楽しんできて欲しいです。

わが家の孫たちは、当面どこへも行くあてもなく、

何とか考えなければなぁ、なんて思ったり。

しかしこれらのことも、地域により人により温度差があって

一つには語れない、括れない。

難しいね。





いわき市の各家庭に配布された震災の記録誌。

3.11から4月30日までの市内外の動きが時系列で書かれていて、

あらためてそこに自分や家族の行動をあてはめながら読んでみた。

15日に家を離れた私は、肝心の地元の情報はあまり得られず、

(というか分断されたり途切れ途切れだったり重複したりの情報だった)

全体を見極めることができなかった。

市からヨウ素剤が配られたのは15日とかってに思っていたけど、18日だったのね。

それはいくら何でも遅いんじゃ・・・。

結局いわき市民は服用せず、お守りになってしまってるけど。

状況によって飲む必要のあった人は確実にいたと思う。



ようやく梅が満開です。

今年は少しでも春の色や匂いを感じることができたらいいな。

去年は全くの素通りだったから。





宗政報告

2012-03-15 17:56:05 | つれづれ
家の裏に、蕗のとうがたくさん出ていた。

柔らかな緑色がかわいい、ちょうど食べごろの大きさ。

毎年、天ぷらに蕗味噌に、刻んでお味噌汁にと、

春先のわが家の食卓を賑やかにしてくれた蕗のとう。

でも、今年は・・・食べない。

いや、これから先もたぶんずっと。


思い起こせば、最後にこの蕗のとうを食べたのは、

去年の3月12日だったな。

そう、震災の翌朝に摘んだのですよ。

出先で地震に遭い、半日かけて夜中に帰ってきた。

留守中、一人残っていたchihirock(娘)が、余震におびえながら

水道が止まる前に、ありったけのポットに汲み置きしていてくれた。

(しかし、娘よ、なぜに風呂に水を張らなかったの?)

それでご飯も炊けたし、蕗のとうで天ぷらを作ることができたんだった。

贅沢な食卓だったなあと、今は思う。


ゴールデンウィークの頃になると、敷地の山には筍がどっと出る。

去年はもちろん掘るのを見送った。

恐怖心で土に触るなんてぜったい出来なかったものね。

例年5月の寺の行事、永代経には、筍ごはん、煮物に味噌汁と、

自前タケノコオンパレードだったけど、それももう出来ないと思う。

実際の数値がどうというより、気持ちの問題でね。


それにしても、浪江の母の実家の寺のタケノコは太くて柔らかくて

全然アクも無くて絶品だったなあ。

うちのタケノコはアク抜きを丁寧にしたけど、

向こうのは茹でるだけでOK。柔らかいところは生でも美味しかった。

ああ、あれももう食べられないなんて

そういう日々の生活の破壊はほんとに悲しい。


でも、除染手つかずのわが家はともかく、

福島の農家さんはがんばってますよ。

すごい努力をされてます。

それこそ歯を食いしばって。

可能な範囲で、応援して下さい。



さて、遅れましたが、住職の宗政報告アップしました。

ぜひお読みください。

教区内は郵送までもう少しお日にちがかかります。

明賢寺サイト

3月11日・12日のこと

2012-03-15 08:00:50 | つれづれ
昨日は津波に地震と、気持ちのざわつく日でしたね。

まだまだプレートの動きは活発のようで油断はできません。

11日は市内でもあちこちで追悼の式がありました。

日本全国、数限りない人たちがあの日の出来事を改めて心に刻んだことでしょう。

当寺でも、2時46分の鐘の音のもと、参加者で合掌。

みんなで庭に出たので、つくりん一人大喜びでした。









夜になって、いろんな思いが胸に押し寄せてきて

なかなか寝付けなかったです。




翌日は、東京の皆さんと一緒に仮設訪問。

2か月ぶりのたこ焼きです。

雪予報の出る寒い日で、しかも夕方の作業だったので足元が冷える~。

午前中から集まってもらった門徒さん、申し訳ありませんでした。

おかげさまで完食して頂きました。

そして、東京教区の用意して下さったおでん、美味しかったです。

最後にあったまりました。

仮設には住んでいませんが、お手伝いして下さった明賢寺の門徒さんも

皆何らかの形で被災しています。

それでもこうしてお役に立てることが嬉しいと、口々におっしゃって下さいます。

感謝感謝です。










3月10日

2012-03-10 15:58:54 | つれづれ
3.11を目前にテレビではキー局地元局それぞれに特集番組を組んでいる。

取り上げ方もいろいろだけど、ちょっと冷めた目で見れば、

どの番組も同じように見える。

でも取材されてテレビに映ってる人たちの被災のありようは

同じようでいて全然違う。

もし被災地以外にお住まいで、それらの番組を見られる方は

そこをしっかり感じとっていただきたいな、と思う。

被災地、被災者と一くくりにするのではなく、

一人ひとりの姿をしっかりと胸に刻むことが、この東日本大震災を「忘れない」ということだ。


去年の3月10日。

自坊では定例の同朋会が開かれていた。

お彼岸前ということで、恒例の仏具磨きをして頂いていた。

輪灯も燭台もピカピカになって、にぎやかな笑い声が満ちていた。

近づいている親鸞聖人の750回ご遠忌団参の話題も出て楽しいひとときだった。

誰も翌日にあんなおそろしいことが起こるなんて思いもしない。


11日。

数人の門徒さんと、富岡町の西願寺さんへ。

組の門徒研修会だった。

国道6号沿い、西願寺さんの目の前にはオープン直前の大型電気店が出来ていたのを覚えている。

出席していた各寺の住職さん、坊守さん、顔なじみの門徒さん、

子どもの卒業式で遅れてやってきた浪江のしんちゃん、初めて挨拶した西願寺の息子さん、

別院のきのしたさん、相馬のしょうこちゃん、講師のすわさん、

あの日出合った顔々を思い出す。

あの時間以降の混乱ぶりについては、みんながみんな語りつくせないほどだろう。



長いような短いようなこの一年でした。

明日は、またお磨きをして頂いて、それから

静かに手を合わせようと思います。



●追記
今のところ見た番組では、昨日のNHKスペシャル『原発最前線の街で』と、

今夜のBSフジの『老人と放射能~FUKUSHIMA~』が印象深かった。

前者は南相馬市に住む人々の今を切り取った映像。

撮り手側の一方向的な解説、コメントは無い。

だからこそ、そこに生きる人たちの「声」がよく耳に入ってくる。

後者は浪江町津島に終の人生を過ごすべく移り住んだ一人のお年寄りを追った番組。

震災1年前から別の企画で撮り始めていたとのことで、

里山の風景、畑を耕し自給自足で犬と暮らす老人の

「人に尽くさなければ、生きている価値はない」という生き方が美しい。

放射能によって奪われてしまった日常がいかに尊いものだったか、

ただただ胸が切なくなる。

再放送の際はぜひ見て頂きたい。














3月に入って

2012-03-04 23:12:03 | つれづれ
一昨日は、差別に学ぶ協議会の集まりで仙台教務所へ。

4月開催予定の共学研修と会報ネイティブ・サン発行の内容確認。

そのあと、原発の自主学習会をしました。

今さらながらですが、高木仁三郎さんの1991年金沢での講義録を輪読。

この時からでも20年がたっていて、その間、原発を取り巻く状況が

何も変っていなかったことに愕然。

話せば話すほどに、自分の中でいろんな思いが渦を巻く。



いつしか外は雪になり、帰りのバスは大変でした。

東北道事故渋滞。

磐越道一部通行止め。

結局、2時間遅れの10時過ぎに帰ってきました。

いわきは途中の大雪がウソのように、小雨でした。



そして昨日、3日は桃の節句。

つくりんが生まれて、わが家の古いお雛さまを解禁したんです。

住職はあまりいい顔をしないのだけどね。

しかし、人形にツミはない。

飾りまっせ。つくりん喜ぶし。

思えば去年は、出しっぱなしにしていた雛人形も地震に遭遇し、

箱にしまったのは私が避難先から帰ってきた1カ月後。

あの揺れで、雪洞が倒れただけとはすごい踏ん張りようでした。



私が生まれてから、母がへそくりを貯めて買い足ししながら揃えた雛人形は、

その後、4人娘がままごと遊びに興じたため、

持ち物も無し、お道具もボロボロ。

とはいえ古びた雛でも、飾れば部屋が華やぎます。

今年は、五人囃子の髪が次々と剥がれてしまい、

つくりんは「あたまがとれちゃった~」と、大騒ぎでしたっけ。


定番ちらし寿司にハマグリのお吸い物など用意して、

もう一人のばぁばたちもご招待。

「ひなまつりパーティ!」を連呼してはしゃぐつくりんを囲んで

楽しいひとときを過ごしました。



翻って今日は、仙台教区の追弔法要が勤められました。

たくさんの普通にあった家庭の営みが津波に消え、原発事故に断たれました。

その痛みから立ちあがるには、まだまだ多くの時間が必要なのだと感じます。








弥生三月

2012-03-01 21:44:54 | つれづれ
閏年、閏日の昨日、他地域同様いわきも雪でした。

それもかなり。

納骨の予定があったので、朝から数年ぶりの雪かき。

湿って重い雪はこの季節特有です。

いやいや腰にきますねえ。

その後、福島空港まで、議会のため京都へ行っていた住職を迎えに行きました。

今回は南部のほうが降雪が多かったみたいで、磐越道はいわきー小野間がストップ。

しかたなく渋滞のR49で空港へ。

いつもより1時間よけいにかかりました。

飛行機も着陸できるかどうか心配だったけど、何とか定刻に到着。

夜にはお通夜があったのでハラハラしました。



明けていよいよ、春三月。

お天気もよく気温も上がって雪はぐんぐん融けました。

今日は県立高校の卒業式。

それぞれに本当に大変な1年でしたね。

不自由な中サテライト校で学んでいた子たちもおめでとう。

一人ひとり、いろんなことを背負いながらの船出でしょう。

みんな がんばれ。

みんな かがやけ。


ともあれ、はやく暖かくなって欲しいね。

それと、地震はもうたくさんです。