迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

仏青お風呂プロジェクト第二弾

2011-03-31 23:59:53 | Weblog
息子からのメールが届きました。
今度のお風呂は本格的!
がんばれ、仏青!



『昨日は、五時半に起きて石巻に向かいました。
途中、美里町にある仲間のお寺で、500リットルほど給水させてもらう。

そうです、給水ということは、つまりBOPのお時間です。このメールが届いてしまうような、生粋のBOPERには、BOPの説明はいりませんね!

今回は、石巻にある住吉小学校にて設置するのですが、そこはライフラインが未だに全滅、夜はロウソクで暮らしているような状況なので、水はこちらから用意して持っていくことに。

住吉小学校は、津波の被害を直接受けており、一階部分は泥にまみれて、廊下も教室もぐちゃぐちゃです。
校庭には、横断歩道の書いてある道路が横たわり、プールには自動車が沐浴している。そんな場所で、150人程の方が避難生活を送っています。

昼間は子供も含め、みんなでそれぞれの自宅の泥かきや片付けに追われ、夜はロウソクの灯りで教室に横たわる。そんな場所でした。

前回は、子供限定のドラム缶風呂という形で提供したので、それを踏襲して今回も子供限定という形で呼び掛けることに。

着々と準備を進め、用意が出来た頃に男の子三人組が来てくれる。
幸先の良いスタートに安堵したのも束の間、つ、次の子がこない。

このままでは、BOPの輝かしい歴史に傷がついてしまうと、避難所の代表の方に伺うと、昼間子供たちは片付けの手伝いなどで、あまり居ないという事実を告げられることに。

それでも、少ない子供を求め彷徨う男たち。

やっと見つけた親子連れに、お菓子もあるし、お風呂に入りにおいで!と言うと、子供は行きたいというのに、親は怪訝な顔で愛想笑いをして一昨日入ったでしょ?と、とてもわかりやすくオブラートに包んで拒否されました。

私の見た目が怪しいのか!
風呂に入れてない奴が、風呂を勧めていることで、説得力がないのか!

アレ?臭いのか!?

そんな風に軽く傷つきましたが、そんなことでは挫けません。

こんなこともあろうかと、今回は初号機ではなく、改良型二号機を搭載してきてるのです。
二号機は、通常のバスタブを備え、しかも花王のバブに対応しているのでフレグランスなバスタイムを提供することが可能な、まさに大人の優雅な午後を演出するに最適な一品なのです。

蛇足が過ぎました。

大人も入れないか?という声をたくさん頂いたので、子供に限らず受け入れることにしました。

そして今回は、女性にも利用して頂こうと、徹底してプライバシーには配慮したので、男女比で女性の利用者の方が多い結果に。

思春期の中学生の女の子二人組から、妙齢の女性、おじいちゃんまで、年齢層も幅広く、利用して頂けました。

私にとって、利用者の方がお風呂を待っている時間は、お話を聞かせてもらえるのでとても大切です。

今日も、色々な話を聞かせて下さいました。

ずっと描き続けてきた絵を全て失った話、

町が海に沈んだので家族が船に乗って助けに来る迄、三日間1人で部屋に閉じ込められていた話、

身内を目の前で亡くした話、

ついさっきお兄ちゃんに意地悪された話、

他愛ない話から、深刻な話まで、皆さん本当によくお話してくれます。


何より、泥だらけの中を片付ける毎日なのに風呂も洗濯も無理、というストレスがあるので、皆さんとっても喜んで下さる。

ですが、最後の女性を笑顔で見送った時には心地よく感じていたハズの疲労感は、気が抜けた途端に、半端ない疲れとなって肩にのしかかるのでした。


今日は、偶然TBSのクルーに取材されました。
使われるかどうかは知りませんが、BOPテレビデビューかもねっ』

電話

2011-03-30 16:36:05 | Weblog
昨日、石川早智子さんから電話がありました。

「どうしてる、だいじょうぶ?必要なものがあったら送るから言って」

いつもの口調で心配してくれました。
そして、声を詰まらせて、

「ごめんな、私らが使ってる電気のせいで…」

いやいや、今回のことで悲しい思いや苦しい思い、不自由な思いをしてるのは、みんな一緒だから。

そんなふうに受け止めてくれる人がいるんだなあ。

ただこの世の中がてんやわんやしている中で、ようやく前へ向かっている「狭山」が、足踏みをしないように願うばかりです。


そして、今日は、石巻の友人から、連絡がありました。
家は津波で流されたそうで、今は東京の娘さんのところに移られているとのこと。

料理上手で家庭菜園にせいを出し、生活を美しく豊かに暮らしていた方でした。

良かった~!

2011-03-28 23:59:13 | Weblog
今日、住職が、いわき市江名にある避難所に差し入れに行ったところ、安否の気になっていた門徒さんに出会ったそうです。
その方のお住まいは、永崎海岸の近くで、津波被害の大きかったところなので、本当に心配していました。
普段から、足が悪くて、とおっしゃっていましたが、よくがんばって逃げて下さいました。

助けたいのです

2011-03-28 01:07:53 | Weblog
さて、原発の状況は日に日に悪くなるばかり。
国の存亡に関わる重大な事態だと思うのですが、距離が離れるほど危機感は希薄ですね。
私は身重の若坊守と一歳の孫を一時避難させて、ここ大阪にいるのですが、それを痛切に感じます。

水道水のニュース以来、各お店から見事に飲料水が無くなりました。
関東エリアならいざ知らず、みんな被災地に送るために買い占めてくれているのでしょうか?


一方、いわきでは、相変わらずの物資不足が、続いているようです。
いえ、物資が届いてはいるのですよ。ただ、その仕分けができない。
圧倒的に人手が足りないのです。

他県の被災地域には、ボランティアがたくさん入りますが、いわきの場合、やはり敬遠されてしまうらしいです。

無理からぬことと思います。
それを責めることなどできません。

ただ自力で何とかするには、まだまだ難しい状況のようです。


今私が一番気がかりなのは、この状況の中で門を開けている産婦人科医院。

新生児用のミルクを作るミネラルウォーターが足りないそうです。かなりの量が必要と聞きました。
支援を求めているので、私もどのようなことができるか調べてみようと思います。

わが家でも、この苦難の年に生まれくるはずの孫のことを思うと、とても他人事ではありません。

続・被災地レポート:

2011-03-26 14:03:39 | Weblog
息子からメールが届いたので紹介します。


『昨日はまず報道通りの惨状の南三陸町に入り沿岸部を北上することに。

目的地は、気仙沼近辺で、子供がいて、且つライフラインが整わず、且つ多過ぎない避難所である。
というのも、そうあの有名な、(せーのっ)BOP「仏青お風呂プロジェクト」をもう実行に移すことに。

構想の段階では、足湯も併設、足が伸ばせて、お年寄りも安全に入れて、女性も気にせずに入れるようにプライバシーにも考慮する。シャワー、洗い場完備。
湯上がりには、新品の下着に、牛乳。
なんて、夢のようなバスタイムを提供するつもりでいたのですが、早くお風呂に入りたいという心の叫びに1日も早く答えたいと、当初のサービスから大幅にクオリティを下げ、子供限定五右衛門風呂、洗い場お菓子付き、という結果に。

しかし起草から二日目で、しかも物の手に入らない被災地で準備しなければならないことを鑑みると、最初はこの位で妥協せねば。

今回の課題や反省、場所やニーズに合わせて今後は、他の方から頂いたアドバイスも参考にクオリティを上げられたらいいのになぁと次の予定も未確定のまま、思っています。

結果としては、どこでやるかということが一番のネックに。ライフラインが整わない場所ということは、避難所に知り合いでもいないことには、電話連絡が限りなく不可能に近いのです。

現地に直接出向き、役場を巡り、様子を伺い、私達の求めるBOP(ベストお風呂ポイント)を発見!

私達の申し出を快く受けてくださった避難所の皆さんに感謝です。

また、この避難所の方々が気持ちの良い人ばかりだこと!
子供の為のお風呂と聞いたら、自分たちの生活用水の為に貯めていた湧水のほとんどを使ってくれと。
子供達に、からだ洗ってお風呂入ってサッパリして欲しいと、全面的に協力して下さいました。

地元の消防団が土地を提供してくれ、自分の家を無くした人達が、あぁだこぅだ言いながら、踏み台がいるだろうから作ってやる、水は集めてきてやる、薪が足りないだろうと薪割りを始めるおじいちゃん、こちらが提供しようと思っていたのに、結果的には一緒に作り上げることに。

初めて入る五右衛門風呂に、子供達は大興奮。
久しぶりの洗髪にお風呂で、子供も親も喜んでくれたよう。

お風呂の順番を待つ間には、鬼ごっこをしたりして。お菓子を持たせて帰らせて。久しぶりに楽しかったなあ。
避難所の皆さんもとても暖かく迎えてくださり、帰りぎわには半ば強制的に手土産まで。支援にきて、物資を渡されて帰ることに。


同行者が次の予定があるので、晩御飯を辞退して帰ったのが心残り
もっとぺーじぃちゃんのマグロ漁で世界をまわった話聞きたかった
子供達ともっと一緒に遊びたかった

家を無くしたばあちゃんが今後どうすればいいかって話をじっくり相談乗ってあげたかった

かまどを囲んでじいちゃん達の昔話の続き聞きたかった

地震が来る前に知り合ってれば、いくらと新巻鮭をたくさん贈ったのに、という言葉の真偽を聞きたかった


1日を振り返ると、今日は沢山泣きました。
仲間と語り合って泣き
南三陸町に足を踏み入れて泣き

そこで、家を無くした人の話を聞きながら泣き

子供の為に風呂を、と張り切る避難中のおじいちゃんの背中で泣き
子供の笑顔に泣き

帰りの車で久しぶりに音楽に耳を傾けて泣き
今、改めてカウントしてびっくりしました。か弱い乙女になったようです。
今後は、そのように扱って下さい。

どれが嬉し涙で、悲し涙で、悔し涙で、または他の涙かは、わかりませんが、とりあえず今日は久しぶりに明るい写メが送れそうで嬉しいです。

悲しい写真もたくさん撮ったけど、せっかくなので明るいものだけで、お送りいたします!』


添付写真は、ドラム缶風呂に入って嬉しそうに笑う子どもたちの顔でした。


*息子は真宗大谷派東本願寺の支援を受け、仙台教区仏教青年会の一員として活動しています。

被災地レポート

2011-03-24 09:21:26 | Weblog
宮城県の被災地に行った息子からのメールです。



昨日は、牡鹿半島にある老人ホームが電気、水、ガスが無くて、周りから孤立していて食料も足りないという情報が入り、届けに行ってきた。

孤立しているというだけあって、そこに至る道はひどかった。
道路は陥没し、橋は落ち、船が道を塞ぐ。通行止めの道をいくつか強行突破してたどり着いた半島にある集落は、ほぼ全滅してました。まだ、遺体の収拾作業の最中で瓦礫の中を捜索している横を抜け、老人ホームへ。
物資を届け、帰り道にまた無惨に破壊された集落にさしかかる。
津波の被害を既に嫌という程見てきたのに、ついさっき見たはずの景色でさえ、再び目にすると、胸が詰まる。
何度見ても、慣れない

天気が良く、暖かくて気持ち良い日に、世界はこんなにも美しくて、それなのに現実はとてもとても厳しくて、それでもみんな必死に生きていて。

失われた街を見るたびに、言葉では表せない喪失感のようなものを感じます。
それでも、物資を届けた時の喜んだ顔、様々なものを失って尚、生きようとする姿に、自分まで前を向かせられているように感じる。


世界は、とっても美しいなぁと。瓦礫だらけで、泥だらけの避難所で炊き出しをしている人達、それを食べている人達の姿は、生きていく人の姿は、とても美しかったです。


全国から今被災地では、何が欲しいの?送るよ!という声が届く。だけど、被災地のニーズは刻一刻と変化していて、本当に早い。必要な物を聞いて、それから会議して、京都に要請して、次に本山から送るトラックに載せる。
これでは遅くて、情報も、錯綜してる。
ある人は、物が足りなく危険だと言い、違う人があそこは十分物があると言う。どちらも嘘ではなく、数日前の話か昨日の話かで違う。
物が足りないと聞いたんだけど、という情報には、何時の時点での情報かをはっきりさせなきゃいけない。

避難所の方から、これが一番欲しいんですけど、と言われても、在庫が無くて届けられないもどかしさを何度も感じてる。

情報が入ったら、すぐに調達して、判断を仰がずに向かえたらなぁと。でも今は足がなく、本山が用意した車、物資を使わせてもらわねば何も出来なくて、そうなると一存では動けず。

でも、その中で少しでも効果的に動くコツがわかってきた気がします。


今、避難所にお風呂を作って入ってもらうという非常にシンプルなプロジェクトを考えています。
実現可能な方法や、運搬方法など、アイディアがもしあれば下さい。
現時点では、ドラム缶風呂が有力です。

それでは、いってきまーす。

震災は続いています

2011-03-24 01:10:49 | Weblog
一人自坊で暮らす住職。訪ねてくる門徒さんの対応の他に、近隣の避難所を回って、手持ちの物資や、ようやく開き始まったホームセンターなどで仕入れたものを差し入れしているそうです。
歯ブラシやシャンプーやちょっとした薬など。
でも、お店が開いたとしても品物の種類も数も少なく、なかなか希望どおりに届けてあげられないと言っていました。

避難所を回るにはガソリンが必要です。
開いている給油所はどこも長蛇の列。余りの時間のかかりように、今日は挫折したそうですが、明日はまた並ばなくてはならないでしょうね。

一方息子は、支援物資を届けに、昨日は相馬、そして今日は石巻へ行ったようです。
被災地はどこを切り取っても、悲嘆の風景が広がっています。

住職も息子も、今できることをそれぞれやっています。

地震の起きるまでのあの日々が当たり前のものだと、それはいつまでも続くのだと、私は思っていました。

でも、そんな自分にとって都合のよい当たり前などない。
いつ何が起こるかわからない、そういう生を生きているこの事実こそが、当たり前なのでしょうね。

亡くなられていった多くの人、家を失い家族を失い、仕事を失い、故郷を失い、海にも空にも地面にも放射能が撒き散らされ、それでも私の生きる場所はこの世界しかない、いやこの世界を私のものとして、生きていこうと思っています。

いわきへ

2011-03-20 01:55:28 | Weblog
地元いわきへ向けて住職が、教務所・別院のある仙台へ向けて息子が、出かけて行きました。

途中新潟まで一緒に行き、息子の友人のおられる三条のご寺院に立ち寄ったところ、大変有難いお心づかいをいただいたそうです。
また駆けつけて下さった住職の友人にも感謝感謝だと。

途中、警察の人に車を止められ、いわきに向かう理由を話すと、緊急車両用のカードを発行してくれたそうです。
おかげで高速道路を利用することができ、予想より早く、午前1時に、家にたどり着いたとのこと。

「やっぱり家がいいなあ。たとえ放射能が降ってても。」
と、住職が電話の向こうでしみじみ言うので、
「そうだよね。そうだよね。」
私は泣いてしまいました。

いわき市避難のサポートについて

2011-03-19 09:54:22 | Weblog
真宗大谷派東本願寺ボランティア有志により、いわき市から避難を希望する方々への支援の準備が出来ました。
とりあえず、妊婦さんや小さなお子さまのいらっしゃるご家族優先です。
バスで迎えに参ります。

下記をご覧の上、至急ご連絡下さい。


◎人数…40名先着順

◎いわき市在住で、妊婦さん、小さなお子さまのいるご家族

◎避難場所…新潟県三条市もしくは近辺寺院
◎期間…春休み中もしくは原発が終息するまで

◎連絡先…いわき市好間町明賢寺住職 藤内和光
090-8780-9137

以上について多くの方々にお知らせ願います。

風評で取り残される

2011-03-18 13:43:11 | Weblog
原発事故による屋内待避者の状況は深刻です。圧倒的な物資不足のため、逃げるにも留まるにも、不安の中、ギリギリを生きてます。地元からのメールや電話に涙しています。


運んできた物資も、県内に入らず、引き返したりする例もあるそうです。
まだ汚染地域ではないので、どうか必要としている人のところに届くようにしてください。

少しずつ情報が発信されたため、支援の手が広がりつつあるのは有難いです。

ただ、隣接教区では、静観していらっしゃるのでしょうか?
停電のご苦労はあると思いますが、何か動いて下さることはないのでしょうか。

地震津波被害があまりに大きく、こちらにはなかなか目が向かないかとは思いますが、自教区はまだまだ迅速に動けません。
せめて情報収集なり、物資搬送の支援なり、お助けを頂ければ有難いです。

当該教区の者が言うべきことではないのかもしれませんが、大地震、大津波、原発事故、これらに苦しんでいる人達に手をさしのべること無しに、ご遠忌の意味はありません。
ひとまず内容が変わったようではありますが・・・。