鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

退院

2014年08月29日 | 日記
あれよ、あれよと日にちが過ぎ、彼が退院することになった。

実際、夜に担ぎこまれてから3日目からあっという間だ。

外傷的にはたいしたことがないのだから、しょうがない。

ただし、受け入れ態勢が整っていない。

取りあえず、冷却期間と言うか、けじめと言うか、みそぎと言うか
一旦は彼を実家に連れて帰ってという私。

自分たちの手に負えず、一旦離れてはなおさら私の気持ちが離れる
のでは…と不安がる義両親。

そして、すっかりリセットした気になっているのか、これまでのことを
素直に謝罪したから許さる気でいる彼。

三者三様で、まったく整わない。

さらに、話をややこしくするのは彼の就労の件。

就労Aという、支援事業に行き始めてたった2日間。

まだアセスメントが3日残っている。

これをどうするか?

彼は、2日で退院し、連休明けから出社すると主張したが、
さすがにそれは…ということで3日目の退院とした。

じゃ、全部行くためにはどうするか?

家に帰るしかない。

実家に帰ったのでは、通うことは不可能。

まぁ、無理をすれば2時間くらいかけて電車で通えるけど。

アセスメント期間は無給だし、それだけして頑張っても先がないので
あれば無理する意味もない。

これがややこしい。


私と初めてあったころの彼は確実に仕事人間だった。

たぶん、仕事しかしていなかった。

それ以前、彼が最初の結婚をしていた頃も、ほとんど仕事しか
していなかったよう。

まぁ、長らくそんな人間だったからこそ、壊れちゃったんだろうけど。

でも、その仕事にかける気持ちや、その仕事ができないことへの
絶望感っていうのは理解できた。

私だって、仕事しかしていなかった期間があったし、何よりこの数年
仕事があったからこそ、救われた部分もある。

会社に来て、仕事をしている時間は、ある程度家のことや彼のことを
保留にすることができた。

加えて、対して自由に使えなかったけれど、自分で稼いだお金って
重要だ。

もちろん、誰かが稼いだお金を使うのに抵抗のない人も多いだろうが
私には、難しかった。

娘を産んで、1年チョイ、完全に仕事をしていなかった時分、結局
彼から渡される生活費からはほとんど自分だけのものって買えなかった。

自分の蓄えていた口座からおろして使ったりしてた。

経済の自立は、精神の自立でもあるって真剣に思う。


だから、やっとここまで来たのに、来れたのに、それを全部おじゃんに
するってことができなかった。

ここまで来るのに、どれだけの苦労があったか。

それは、彼の苦労だけじゃない。

私の苦労だって。

今の病院に移ることだって、大変だった。

でも、やっときちんと処方してくれる先生にあって毎日起きていられる
ようになって。

彼自身で職安行って、履歴書かいて、面接に行って、それがだめになって。

そんなことを繰り返して、それでもあきらめなくて。

やっと、自分もある程度納得して、仕事行けるようになって、あと3日
通えば、本当に稼げるようになるって時点で、諦めてしまえば
この先、彼は一生仕事をできなくなるかもしれない。

単に仕事ができないってことより、どんなに頑張っても、自分はここから
這い上がれないってまたあの腐ったような絶望に支配された生活に戻って
しまうかもしれない。

そう、思ったら、帰ってくるとは言えなくなった。

彼の廃人にしてしまうようなことは言えなくなった。


結局、退院後、彼は家に帰ってきた。

私は、退院後、彼に家に帰ることを許した。


義両親は、反省し、今後このようなことはないようにときつくきつく
言い渡し、彼をおいて実家に帰って行った。


私は、当たり前のように、何事もなかったかようにに今まで同じ
生活に戻ってしまったことに大きな、大きな違和感を抱えたまま
日常生活を繰り返した。


でも、実際は何も解決していなかった。

当然、リセットなんかされていなかった。


すいません、まだこれだけ書いても今現在にたどり着きません。

実際、ここからまだ色々とあったんです。

お読みいただける方は、また来週もこんな回想ブログになりますが
どうぞ、お越しください。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kanoco)
2014-08-31 13:19:03
大変だと思いますが、続きを待ってます。
返信する
続き (本人)
2014-09-01 10:05:56
kanocoさん、コメントありがとうございます。

進みは悪いですが、いろんな思いと闘いつつ
書いていきたいと思います。

返信する

コメントを投稿