絵入 好色一代男 八前之内 巻一 井原西鶴
天和二壬戌年陽月中旬
大阪思案橋 孫兵衞可心板
『絵入 好色一代男』八全之内 巻一 五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【5】十五丁ウ 井原西鶴
往来(ゆきゝ)の人に袖乞(そてこひ)して然(しか)も因果(ゐんぐハ)ハ、人のきらひ候、煩(わつら)ひ
ありて」と申侍る、起別(をきわか)れて、是を聞(きゝ)ながら、なをたづね
ゆかんと里に行てみれば、柴(しば)あみ戸に、朝顔(あさかほ)いとやさし
く作(つく)りなし、鑓(ヤり)一すぢ、鞍(くら)のほこりをはらひ、朱鞘(しゆさや)の
一こしをはなさず、さつはりと、あいさつへて、かくと申せば、
いかに母なればとて、其身(其ミ)になりて、我を人に、しらせ侍る事
口惜(くちおし)しと泪(なミた)を流(なか)す、いろ/\申つくし、かの女むかしを
隠(かく)したる、こゝろ入をかんじて、程(ほと)なく娘を、山科(やましな)に
かへして、見捨(すて)す通ひける、其年ハ 十一歳の、冬(ふゆ)の
はしめ事也
一こし(ひとこし)
袖の時雨ハ懸るがさいはい
浮世(うきよ)の介こざか(漢字)しき事十歳(さい)の翁(おきな)と申べきか、もと
生(むま)れつき、うるハしく、若道(じやくどう)のたしなみ、其比(そのころ)下坂小八
かゝりとて、鬢切(びんぎり)して、たて懸(かけ)に結(ゆふ)事、時花(はやり)けるに
其面影(おもかけ)情け(なさけ)らしく、よきほとむる人のあらば、只(たゞ)ハ通(とを)らじ
と常/″\(つね/″\)こゝろをみがきつれとも、また差別(しやべつ)有へき
とも思ハず、世の人雪(ゆき)の梅(むめ)をまつがごとし、或(ある)日暗部(くらふ)
山の辺(ほとり)に、しるべの人ありて、梢(こずへ)の小鳥をさハがし、
天の網(あミ)小笹(ざゝ)に、もちなどをなびかせ、茅(かや)が軒端(のきば)の
物淋(さび)しくも、頭巾(ずきん)をきせたる、梟(ふくろう)松桂(せうけい)、草がくれ
なぐさみも過ぎるがてにして、帰(かへ)る山本(やまもと)近(ちか)く、雲(くも)しきりに
立かさなり、いたくハふら図、露(つゆ)をくだきて、玉ちる風情(ふぜい)
一 木て舎(やど)りのたよりならねば、いつそにぬれた
袖笠(そでがさ)、於戯(あゝ)、まゝよさて、僕(でつ地)が作り髭(ひげ)の落(おち)ん事を、
悲(かな)しまれるゝ折ふし、里に、影(かげ)隠(かく)して
住(すミ)ける男(おとこ)あり、御跡(あと)をしたひて、からうたをさし
懸(かけ)ゆくに、空(そら)晴(はれ)わたるこゝちして見帰(かへり)、是は
かたじきなき御心底(しんてい)、かさねてのよすがにても、御名(な)
ゆかしきと申せど、それにハ曽而(かつて)取(とり)あへど、御替(かえ)
草履(ぞうり)をまいらせ、ふところより櫛(くし)道具(どうぐ)、元も
いはれぬ、きよらなるをとり出し、つき/″\のものに
わたして、そゝきたる、御おくれをあらため給へと
申侍りき、時しても、此(この)うれしさ、いか計(ばかり)あるへし
「まことに時雨(しぐれ)もはれて、夕虹(にじ)きえ懸(かゝ)るばかりの、
御言葉(ことば)数(かず)/\にして、今まで我おもふ人もなく、
徒(いたづら)にすぎつるも、あいきゃうなき、身の程(ほど)うらみ侍る、
不思議(ふしぎ)の、ゑんにひかるゝ、此後(このゝち)うらなく、思はれたき」と
くどけば、男(おとこ)何ともなく、「途中(とちう)の御難儀(なんぎ)をこせ
、たすけたてまつれ、全(まつたく)衆道(じゆどう)のわかち、おもひおもひよらず」、と
取(とり)あきて、沙汰(さた)すべきやうなく、すこしハ奥覚(けうさめ)て
後少人(せうじん)気毒(きのどく)こゝにきハまり、手ハふりても、恋(こひ)しら
ずの男松、おのれと朽(くち)て、すたりゆく木陰(こかげ)に、腰(こし)を
懸(かけ)ながら、「つれなき思ハれ人かな、袖ゆく水の
しかも又、同し泪(なミだ)にも、あらず、鴨(かも)の長明(ちやうめい)が、孔子(こうし)
くさき、身(ミ)のとり置(をき)て、門前(もんゼん)の童子(わらんべ)に、いつとなく
たハれて、方丈(ほうじやう)の油火(あぶら日)けされて、こゝろハ闇(やミ)になれる
事もありしとなむ、月まためつらしき、不破(ふハ)の
万作、勢田(セた)の道橋(ミちはし)の詰(つめ)にして、欄麝(らんしや)のかほり人の
袖にうつせし事も、是みな買うした事で、あるまいかと、
申」をも更(さら)に聞(きく)も入れぬ、秋の夜(よ)の長物語(ながものかたり)、少人(セうじん)の
こなたより、とやかく嘆(なげ)かれしハ、寺から里(さと)の、お児(ちご)
、しら糸の昔(むか)し、いふにたらず、「さあ、いやならバ、いやに
して」と、せめても此男(おとこ)、まだ合点(かてん)せぬを、後にハ
小づら憎(にく)し、屡(しば)しあつて、かさねての日
中沢(なかさわ)といふ里の、拝殿(はいでん)にて、出会ての上に」と、しかくの
事ども、うきやくそくして、帰(かへ)ればなをしたひて、笹(さゝ)
竹(たけ)の、葉(は)分(わけ)衣(ころも)にすがり、「東破(とうば)を、じせつすいが、風水土(ふうすいど)の
ざき立て待(ま地)しぞ、それ程(ほど)にこそハ、我も又」と、かぎり
ある夕ざれ、見やれば見送る、へだゝりて、かの男(おとこ)
歳頃(としころ)命(いのち)ハそれにと、おもふ若衆(わかしゆ)にかたれば、又ある
べき事にもあらず、我との道路(ミちぢ)を忘(わす)れずとや、
さるとハむごき、御こゝろ入、いかにして、捨置(すておく)へきやと
、おもひの中の、橋(はし)かけ染めて、身ハ外に
なしけるとなり
五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【1】
新枕(にいまくら)とよみし、伏見(ふしミ)の里へ、菊(きく)月十月の夕暮、き
のふ汲(くミ)し、酔(ゑい)のまきれに、唐物屋(からものや)の、瀬平といふ
者をさそひ行(ゆく)に、東福寺(とうふくじ)の入相(いリあい)、程(ほど)なく壱く町、こゝろ
さす所ハ爰や、遣屋(やリや)の孫右衛門の辺(ほとり)に、駕籠(かご)乗(も理)捨(すて)て
息(いき)てきるゝ程(ほと)の、道はやく、墨染(すみそめ)の水、のミて何へず
南の門口よりさし然(かゝ)り、「東(ひがし)の入口ハいかなして、ふさぎける
ぞ、すこしハまハり遠(とを)き恋(こひ)ぞ」と、ありさま、ひそかに見
わたせば、都(ミやこ)の人(ひと)さうなか、色白く、冠(かんむり)着(き)さうなる、あたまつ
きして、しのぶもあり、宇治(うぢ)の茶師(ちやし)の、手代(てたい)めきて
かゝる見る目ハ違(ちか)ハじ、其外六地蔵(ろくぢさう)の馬(むま)かた下り舟まつ
五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【2】
旅(たひ)人、風呂敷(ふろしき)包(つゝみ)粽(つまき)を、かたけかから、貫(くハん)さしの
もとすきを見合、「若(もし)気(き)に入たるもあらば」と、見つくして
又、泥町(とろまち)に行もおかし、人のすき待(まち)て、西の方の中程(ほと)
、ちいさき釣隔子(つりかうし)、唐紙(からかミ)の竜田川(たつたかハ)も、紅葉(もみち)ちり/″\、に
やぶれて、煙(けふり)もいぶせきすいからの捨(すて)所もなく、かすりなる
うちに、やさしき女、ときに数なく、見られたき風情(ふゼい)
にもあたバ、「袖の香(か)ぞけふの菊」と、筆もちながら、五
文字をきまといてあり顔や、ふかくしのばれて
「此君ハ何として、然(かゝ)るしなくだりする宿(やと)に、置けるぞ」
瀬平(せへい)が、物語せしハ、この人かゝえの親方(おやかた)、此里一人の、
貧者(ひんしや)かくれなくて、いたハし、さもなき人も、もち
五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【3】
なしからや、嶋原(しまばら)の着(き)おろし、あやめ八丈(しやう)から織も
ふる着(き)も、此里におくりて、よきことに、似(に)せける」と
申侍る、かるく、なくさみ所成へし、断(ことは)りなしに、
腰をかきて、わきさし紙入(かミ入れ)そこ/\に置(をき)ながら、見るに
よき事、おほき女なり、「いかなるしるべにて、此所にハ
ましますぞ、殊更うき勤(つとめ)ざぞ」と申侍れば、「人さまに
こゝろあらハに、見らるゝも、自(おのづから)物毎(ものこと)はしたなくなりて、萬
不自由(ふじゆ)なれば、思ハぬよくも、いできて、人をむさぶりて
我か身(ミ)の外の、こし張(はり)をたのミ、あらしふせき候、
小野(をの)のたき炭(すみ)よしの紙(かミ)、悲田院(ひてんいん)の、上ばき迄も
ミつからして、それのミ、雨(あめ)の日差さひしさ
五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【4】
風の夜ハなを、まつ人もみえず、御幸(ごこう)の祭り又は、五月の
五日六日それくみ売(うり)日(ひ)迄(まて)、誰(たれ)さまをさして、其日ハと、いふほ
どの、たよりもなきに、あらくせがまれて、やう/\日数(かす)
程(ほと)ふりて、二(ふた)とせ計(はかり)は、暮(くら)し候へと、行末(ゆくすへ)の事おそ
ろしく、里はなれにまします、親立(おやたち)ハいかに、世をおくら
るゝぞ、其後(のち)ハたよりもなく、まして爰に、尋(たづ)ねたまハねば
と、そゝろに泪(なみた)を流(なが)す、其親里(おやさと)ハときけてば、山科(やましな)の
里にて、源(げん)八とかたる、かくあらぬさきこそ、ちか/\尋(たず)ねて
、無事(ぶし)のあらましをも、きかせ申へしといへと、うれ
しきやうすもなく、かならず/\、御尋(たつね)ハ御もつたいなし
はしめの程(ほと)ハ、赤根(あかね)などほりてありしが、今ハおとろいて
五 尋(たづね)てきく程(ほど)ちぎり 【5】
往来(ゆきゝ)の人に袖乞(そてこひ)して然(しか)も因果(ゐんぐハ)ハ、人のきらひ候、煩(わつら)ひ
ありて」と申侍る、起別(をきわか)れて、是を聞(きゝ)ながら、なをたづね
ゆかんと里に行てみれば、柴(しば)あみ戸に、朝顔(あさかほ)いとやさし
く作(つく)りなし、鑓(ヤり)一すぢ、鞍(くら)のほこりをはらひ、朱鞘(しゆさや)の
一こしをはなさず、さつはりと、あいさつへて、かくと申せば、
いかに母なればとて、其身(其ミ)になりて、我を人に、しらせ侍る事
口惜(くちおし)しと泪(なミた)を流(なか)す、いろ/\申つくし、かの女むかしを
隠(かく)したる、こゝろ入をかんじて、程(ほと)なく娘を、山科(やましな)に
かへして、見捨(すて)す通ひける、其年ハ 十一歳の、冬(ふゆ)の
はしめ事也
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