乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

145;  『「怖い絵」で人間を読む』 中野京子 著 NHK出版 2010年  (写真 10枚)

2011-11-15 | 読書全般(古典など以外の一般書)


  145;  『「怖い絵」で人間を読む』 中野京子 著 NHK出版 2010年  (写真 10枚)






『「怖い絵」で人間を読む』

 中野 京子 (著)

 NHK出版

 2010年8月

 253ページ 1155円

 ドイツ文学者、西洋文化史家。 北海道生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆し、『怖い絵』で注目され。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組にも出演する。早大講師。


オペラでたのしむ名作文学 さ・え・ら書房 1996.12 /「おとなのための「オペラ」入門」講談社+α文庫
映画の中のオペラ 未來社 1997.12
かくも罪深きオペラ スキャンダラスな名作たち 洋泉社 1999.12
紙幣は語る 洋泉社新書y 2001.9
情熱の女流「昆虫画家」メーリアン波乱万丈の生涯 講談社 2002.1
恋に死す 清流出版 2003.12 「歴史が語る恋の嵐」角川文庫
恋するヒロイン オペラにみる愛のかたち ショパン 2004.1
メンデルスゾーンとアンデルセン さ・え・ら書房 2006.4
怖い絵 朝日出版社 2007.7
怖い絵 2 朝日出版社 2008.4
危険な世界史 角川書店 2008.7
ハプスブルク家12の物語 名画で読み解く 光文社新書 2008.8
怖い絵 3 朝日出版社 2009.6
恐怖と愛の映画102 2009.7 文春文庫
ブルボン王朝12の物語 名画で読み解く 光文社新書 2010.5
「怖い絵」で人間を読む 日本放送出版協会 (生活人新書) 2010.8
残酷な王と悲しみの王妃 集英社 2010.10


             




【内容】

 

 名匠ベラスケスの手による、スペイン・ハプスブルク家の王子の一見かわいらしい肖像画。しかし、その絵が生まれた“時代の眼”で見ていくと、人間心理の奥底に眠る「恐怖」の側面が浮かび上がる。悪意、呪縛、嫉妬、猜疑、傲慢、憤怒、淫欲、凌辱、そして狂気…。詳細な解説を付したカラー図版三十三点を読み解くことで見えてくる人間の本性とは─。











 ベラスケス『フェリペ・プロスペロ王子』



 ヴィンターハルター『エリザベート皇后』


 
 『マリー・アントワネット最後の肖像』



 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』



 ベックリン『死の島』




 レーピン『イワン雷帝とその息子』




 シーレ『死と乙女』


 グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』




 ゴヤ




 本日、中野京子先生の『「怖い絵」で人間を読む』を読み終える。

 本書は、NHKの講座で使われたテキストを元に編集されたとのこと。

 京都『ハプスブルグ展』と大塚美術館で収録された教養講座だったらしい。

 舞台や映画以外のテレビも見るようにしなくてはと、悔いる。


『「怖い絵」で人間を読む』は朝日新聞社から出版された『怖い絵』シリーズ三冊と重複する部分が大半であった。

 ハプスブルグ家系図など、歴史にイッピ踏み込見、人間を紐解く観点から一歩踏み込んで記されていた。

 とても興味深く、休憩をおかず読み終えた。



  この絵は高さ255センチ

 見上げるようにうっとりと見とれた、優雅な8頭身。

 今も心に焼き付いている。


 







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後一ヶ月半で、お正月。

2011-11-15 | 乱鳥徒然 Rancho's room.




 気がつけば、今日は11月15日

 今年は後一ヶ月半

 少し気ぜわしい感じはいたしますが、お正月までにはたっぷりの時間がありますね。

 残された四十六日間、

 さてさて、どのように描いていきましょう……。

 可能な範囲で、少しでも納得のいく時間をつなぎあわせていきたいものですね。

 みなさまに、幸あれ!







 画は 伝レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』

 美しいですね(^^)



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11月15日は七五三の日  近代以前は……。

2011-11-15 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 11月15日

 今日は七五三の日

 

 七五三は地方により、意味が変わるらしい

    三歳=言葉、五歳=知恵、七歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方

    三歳、五歳、七歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もある。

 少なくとも京都では、後の七五三を一種の厄祓と言う意味だと記憶している。

 元来は関東圏における地方風俗であった。

 現在では北海道を除いた全国で行われている。

 関西では十三詣りも行うが、これは上方発祥の習俗

 何処でもだと思っていたが、さにあらず。徐々に全国に広がりつつある段階らしい。



 七五三の頃は当時の大人から見た体の弱いとされる子を間引く為の期間でもあったともこと。

「七歳までは神のうち」という考え方と結びついていた。

「七歳までは神のうち」や「間引き」はお産の時にも産婆がその役割を果たしたと、民俗学関係の本には書かれている。

 貧困故に親が首を横に振ると、産婆は了解したと言わんばかりに子の生きを引き取らせたと言う。

 だが、余りにも強く良い赤子と認めた場合は、産婆は赤子を生かしたようだ。


 しかし七五三の「七歳までは神のうち」や「間引き」は子が少し成長した段階でのこと。

 悲しいことにウィキペディアによれば、障害者を間引くと具体的に記されている。

 そしてこれに逆らう家の子は神隠しとして処理された。

 村組織の力が大きかったことが感じ取れる。それほどまでに、飢饉が深刻であったのかもしれない。


 ウィキペディアでは次のように書かれている。


 近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世の境いに位置する存在」とされ、「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられた。

 そのため、一定の成長が確認できるまでは、人別帳にも記載せずに留め置かれ、七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられた。

 また、胎児・乳幼児期に早世した子供は、境い目に出て来ていた命がまた神様の元に帰っただけで、ある程度の年数を生きた人間とは異なり現世へのしがらみが少なく速やかに再び次の姿に生まれ変わると考えられていて、転生の妨げにならぬよう、墓を建てたりする通常の人間の死亡時より扱いが簡素な独特の水子供養がなされたりした。

 そうした生命観から、乳幼児の間引きとともに堕胎も、「いったん預かったが、うちでは育てられないので神様にお返しする」という感覚があった。

 特に、飢饉時の農村部の間引きや堕胎は、多数の子供を抱えて一家が共倒れで飢えるのを回避するために、養う子供の数を絞るのはある程度やむを得ない選択という面もあった。



 キリシタン時代の宣教師たちは、間引きが殺人であるとして、強く非難したとある。


 美しい着物を着手お化粧までする女の子、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」

 今は健康成長を願っての幸せそうな楽しい行事のひとつであるが、近代以前はそんなに悲しい歴史があったのだと知った。








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