乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

お百度参りから 右まわり、左まわりを考える。

2009-02-17 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

 

    

 

 赤坂憲雄著の『境界の発生』の記録が長文になってしまったので、手短に書くことにする。

 

 

 京都の稲荷神社には、お百度の仕方が説明されていた。

 写真の図を見てもわかるように、説明では『左まわり』と説明されている。

 だが、図を見てわかるとおり、矢印は時計まわりである。

 

 子ども二人が各小学校一年生の頃、いっしょに朝顔観察をした。

 教科書には「朝顔の蔓は左まわり」と説明されていた。

 納得!

 ところが調べてみると、学者にっよっては朝顔の蔓は右まわりと論じられている。

 これも納得。

 

 友人の嘘のような話だが、右左が苦手な人がいる。

 対象物を中心に考える場合と、自分を中心に考える場合の区別がつきにくいらしい。

 右利きの私にはわかりにくいが、彼女は左利きで、親御さんに、

「右はお箸の持つ方。」

だと教えられ、それが後になっても災いしている様子。

 但しこの友人の場合はこういった単純な話が、「対象物を中心に考える場合と、自分を中心に考える場合の区別がつきにくい」といった思考の範囲まで入り込み、彼女を悩ましているという。

 

 右まわりと左まわり。

「対象物を中心に考える場合と、自分を中心に考える場合」といった事を考えず、単に対象物を見た場合、どちらまわりかは、必然的に変わる。

 こう考えると、たまには時計も「右まわり」とは決めつけず、時計の針とともに歩んで違った見方をするといった遊びも楽しいかも知れない。

 其の手始めに、悩みなき人も、一度お百度参りをされて見ては如何でしょうか・・・。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

26: 『境界の発生』  赤坂憲雄 著  講談社学術文庫

2009-02-17 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

       

 

(写真は京都の稲荷神社。お百度参りに使用するらしい。ちゃんと、おひょくどの方法も説明が記されていた。私のようなもの知らずの阿呆には、ありがたい。稲荷さまさまである。)

 

記録だけ  

 

2009年度 26冊目  

 

 『境界の発生

 

  images images images

        images images images  

 赤坂憲雄 著

 2002年6月10日第1版

 講談社学術文庫

 株 講談社

 329ページ 1155円

 

 この本は子どもに頼んで、大学図書からかりてもらった。

 子どもには 『境界の発生』の他、『都市と境界の民俗』と『民俗誌を織る旅』の三冊を頼み、要約二冊が読めた。

 先日読んだ『都市と境界の民俗』に思いの外手間取り、更新してもらったという情けない状態。

 なお、『境界の発生』と『民俗誌を織る旅』はいずれも赤坂憲雄 著である。

 

 十六日に読んだ『境界の発生』は、楽しかった。

 この本も論文三、他という構成。

 しっかりとした内容だが、『境界』という私の興味ある内容で、納得しながら読み進めた。

 柳田國男氏や折口信夫氏や宮田登氏なども引用。

 馬鹿な私は、宮田登氏を例にとられると心ときめく。

 気持ちはまだまだ若い。

 家族に宮田登るの話を連日していると、もうあきれめられているらしく、フムフムと納得してくれる。

 夫、子ども二人は、私の良き理解者である。

 感謝^^

 

 この本で特に気になったのは『杖』の話。

 杖ひとつ取り上げてもいろいろあるんだなぁ・・・。

『箸』といい『竹』といい、『餅なし正月』や『肉正月』・・・・・・(書き出したらきりがないのでやめるょ^^;;)。

 他にもいろいろな意味合いを持ったものが多くて、考え出すと切りがないのかも知れない・・・。

 

 また『辻』の話も興味深い。

 辻は芝居でも多く出てきて、舞台が上手く作り上げられている。

 辻や川や峠や坂や森や十字路や井戸や穴・・・・・・。

 何かが起こりそう・・・。

 うんうん、そういうところの芝居も多いんだよね^^

 この本では辻をクローズアップして顕彰されていた部分が、興味深かったな。

 

『捜神記』や『譚海』や他多くを例にあげての生け贄の話は驚いた。

 人柱などは有名だが、こういった「置き換え」の生け贄は驚きながらも、カって人々の期待や願いをこめて、そういった事を行ったのかと思うとそら恐ろしいと同時に、何だか納得する原始的な感覚も生じて来るから不思議だ。

 上の感覚は、民俗学の本を読み進むうつに芽生えた、事実を冷静に見るといった感覚が定着しつつあるからかも知れない。

 

 生け贄とは違うが、昨日S様に教えていただいた愛媛県の一人相撲といったものも、「置き換え」に底部分が通じると思われる。

 強が力士が土俵空間にいらっしゃる神にものの見事見投げ飛ばされる。

 三本のうち日本を神ガ勝たれ、力士が負けることにより、その都市は豊作という。

 これは広義で考えるならば、救われた形をとられた犠牲の置き換えとも思われる。

 強い力士が見えない神様によって、まるでエクソシストのように投げ飛ばされる姿に、私は感動を覚えた事を付け加えておく。

 

 今回読んだ『境界の発生』は何処彼処と興味深く、面白かった。

 また、宮田登氏の名前が多く載せられていて、私は心ときめかせながら少女のような感覚で読みあげた。

 この場に及んで、私は厚かましい中年女性である。

 ミーハーの私をお許し頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする