乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

東福寺 (京都) 冬の禅寺を楽しむ

2008-01-27 | お出かけ

 

 今月十四日、東福寺に行く。

 一月の東福寺は、観光客はまばら。

 ところが、少ない観光客の中、思いのほか外国の方々の姿が多いことに、驚かされる。

 

 上の写真は、本堂と開山堂を結ぶ通天橋を偶然にも歩かれている僧侶の方々。

 静かで禅寺らしい日本の美を感じ、心に刻む。

 

  

     

 

 今回紹介している東福寺は、先日ブログでも紹介させていただいた 鶴亀の庭のある『雪舟寺』(芬陀院・ぶんだいん)のすぐそば。

 正確には、東福寺とは山全体のことを示すと、着物姿のご婦人が教えて下さった。

「今の季節は、なんにもおへん。紅葉のころ、きはったら、よろしおす・・・・・・。」

 京言葉が懐かしい。

 上の景色を紅葉の頃見てみたいとも感じるが、冬の気の色もまた良し。

 

 

 他にも近くの 枯山水で有名な『方丈庭園』などにも行く。

 こちらの庭は有名らしいが、昭和に鎌倉の手法を真似て作られたとのこと。

 今回この回では写真は載せてない。

 折をみて、記録したいと考えている。

  

 

      

 

 庭には氷がはり、背筋をしゃんと伸ばして、冬の東福寺を一人楽しむ。

 

      

 

 葉を落とした枝のなんと美しいこと。

 冬の光を受け、一口では言い表せない 色感に、心奪われる。

 

      

 

 東福寺は、延応元年(1239)に創建。

 京都五山のひとつに数えられる禅寺。

 延応元年(1239)に、当時の摂政だった 九条道家が、奈良の『東大寺』と『興福寺』を手本にし、大伽藍を造営。

 上の二つの寺から 一字づつとって、東福寺と名付けられたそうだ。

『へぇえぇ~、そうなんだ~。』

と、妙に感心すること、しきり無し。

 また、東大寺は子どもの関係で 特によく行く寺だっただけに、親しみを覚える。

 

      

 

 三門は夕刻に閉まる。

 また、隣駅の稲荷神社よりも古そうな、石鳥居が祭られている『五社??』があったことは興味深い。

 

 東福寺を訪れた後、東福寺御用達の『丹波屋』というすし屋で、京都本来の味を思い出させる 鯖寿司を食べる。

 

 すし屋の主人曰く、

「東福寺さんの三門は 夕刻閉まりまっさかい、夕方になっても参拝できるように~~言うて、お稲荷さん、作らはりましてん。東福寺さんの五社??の方が、早よおましてんや~。五社??、見て来はりましたんか~?」

「お稲荷さんの土地は、もとは、東福寺さんのものでしてん。今でも返してんか~~言うてますんやけど、話がすすみませんねぇ~~。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、なじみの京都弁。

 もとは

「箱寿司の具は鱧ですか?」

「いや、鯛ですねん~。」

といった、たわいない会話から。

 とんとん・・・と鯛をたたく包丁の音と共に、話は弾む。

 京都本来の味の鯖寿司の話に移り、東福寺や稲荷神社の話にまで発展して、楽しいひと時を過ごさせていただく。

 あらかじめ頼んでおいた土産用の鯖すしと箱寿司を手に、後ろ髪をひかれるような思いで、店を出た。

 おそらく、このすし屋は、もう一度訪れるであろう。

 そう思わせる すし屋の店主と鯖寿司の味であった。

 

 

 

 東福寺・所在地

 〒605-0981 

 京都府京都市東山区本町15-778

 電話番号  075-561-0087

 

 

 文中出のすし屋(注・すし屋の関係者ではありません)

 創業明治四拾弐年 東福寺御用達

 お寿司・楓林鍋 丹波屋

 京都・東福寺

 鯖寿司が 私が昔よく食べた懐かしい京都の鯖寿司の味でしたので、載せておきます。 

 

 

 

 

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ナクシェロスタムの碑文 (イラン) 2007、9/19、9/20

2008-01-27 | イラン2007~2010(6回)

 もう去年の話だが、9月19日と20日の二日間、この地(遺跡)を訪れた。

 上は イランの ナクシェロスタムの岩山の壁面に見られる、碑文(ひぶん)の一部。

 何が書かれているのやら、私にはさっぱり分からない碑文を見て、夫は目を輝かせる。

 ナクシェロスタムは ペルセポリスから 6km程離れている。

 

   

 

 

 ここ ナクシェロスタムには、アケメネス朝ペルシア時代の4人の王の墓がある。

 上の写真がそれを示す。

 写真に右横に、もうひとつ墓があリ、合計4個。

 写真の3個の墓の前にある、小さく見える長方形の建物は、写真の一番下の カーバ(説明・後出)。

 それぞれの墓は巨大な十字型に深く彫り込まれていて、窪んだ壁にはゾロアスター教の神アフラマズダや王の姿が刻まれていると、夫が教えてくれた。

 

   

 

 

 王墓の下の岩壁には後のササン朝時代に造られた、多くの騎士の姿を描いたレリーフがはっきりと認められる。

 だが、二枚目の写真では小さく見える遺跡も、実は大変大きく、また高い位置にあるため、細かくは肉眼では見づらい。

 ナクシェロスタムの遺跡の前には、生憎 木影はない。

 9月のイランは非常に熱く、照りつける炎天下の中での作業は非常につらい。

 夫には申し訳ないと思いながらも、入り口の監視室前の影で、椅子に座る。

 私は持参した愛用のオペラグラスを手に、半日は 入り口から 遺跡を楽しんだ。

 夫は驚くばかりの意欲で、遺跡と格闘。

 気がつけば夕方・・・。

 

 

   

 

 上の写真は ゾロアスターのカーバ(神殿のようなもの)といわれているとのこと。

 夫は寝転んだりひざまずいて、長い時間 写真を撮っていた。

 このブログにUPした写真は、残念ながら、私が撮ったものばかり。

 以前載せたイランの関係の写真も全て同様。

 未熟な写真ばかりで申し訳ないと感じている。

 

 

 

 以下、以前に載せた 

 ナクシェロスタム(ナクシェ・ロスタムで書く) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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