八栗寺から国道11号に出て約8km、案内板を目印に左折すると海岸のすぐそばの志度寺に着きます。
藤原鎌足の息子不比等は唐の皇帝妃である妹から宝珠を送ってきましたが、志度湾で龍神に奪われたので、それを探すためこの地を訪れ、海女と夫婦になり一子房前をもうけ、妻が命と引き替えに宝珠を取り戻しました。不比等は妻の墓と堂宇を建て死渡道場と名付けました。その後、持統天皇の時代、房前は行基と共に訪れ母をとむらい伽藍を建立し、寺号を志度寺としたということです。
藤原鎌足の息子不比等は唐の皇帝妃である妹から宝珠を送ってきましたが、志度湾で龍神に奪われたので、それを探すためこの地を訪れ、海女と夫婦になり一子房前をもうけ、妻が命と引き替えに宝珠を取り戻しました。不比等は妻の墓と堂宇を建て死渡道場と名付けました。その後、持統天皇の時代、房前は行基と共に訪れ母をとむらい伽藍を建立し、寺号を志度寺としたということです。
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