地質学、生物学的に貴重な横倉山ですが歴史的にも重要な場所です。ここが安徳天皇の最期の地だというのです。
3歳で即位したものの6歳の時に平家とともに都落ちして源氏に追われる立場になりました。屋島での合戦の前夜、阿波山城の豪族に救出されて脱出に成功しました。しばらく祖谷地方に居ましたが、追っ手が来るということで土佐の別府を経由してここに着いたのは10歳の時だそうです。そして23歳の時この地で崩御されたので山頂のすぐ脇に陵墓を造ったのだそうです。これは宮内庁も陵墓参考地として認めており、管理費用が出ているそうですから信憑性は高いのでしょうね。
3歳で即位したものの6歳の時に平家とともに都落ちして源氏に追われる立場になりました。屋島での合戦の前夜、阿波山城の豪族に救出されて脱出に成功しました。しばらく祖谷地方に居ましたが、追っ手が来るということで土佐の別府を経由してここに着いたのは10歳の時だそうです。そして23歳の時この地で崩御されたので山頂のすぐ脇に陵墓を造ったのだそうです。これは宮内庁も陵墓参考地として認めており、管理費用が出ているそうですから信憑性は高いのでしょうね。