晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

長い夏休みも終わりに近づいた。

2006-08-27 20:05:44 | 社会 生活 教育 文化
 長かった夏休みも終わりに近づいてきた。我が家の孫、三歳(息子夫婦)は顔を見せずに夏も過ぎようとしている。何も遠いところにいるわけではないのに!さばさばした気持ちとちょっぴりさびしい気持ちと同居した複雑な気持ちだ。
 ちょっと話はそれるが、一流会社の女子社員の採用において、自宅通勤者(通学者)を優先するとの話を聞いたことがある。この複雑な現代社会を生きていくうえで、やはり両親のそばで何かとこまめに注意を受けながら育った子女のほうが、間違いないというデータの結果と思われます。私はこの事実を知りながら肝心なところで間違いをしたようだ。息子が初めて結婚相手の彼女を紹介したとき、私はあなたはわが息子は「一人息子であることを知っていますか」と問うた。彼女は知っていますと答えた。私はこの答えに満足したけれども、私の意味することと彼女の考えは大いに違っていました。このとき彼女の答えは間違っていない。単純なことだ。一人息子であること、その事実を知っているということに過ぎなかった。私の言葉が足りなかった。私は彼女に我が家の一人息子だから、何かのときは「親の始末はしなければなりませんよ」ということをわからせる必要があったのです。一言、言葉が足りなかったことを今でも悔やまれて仕方がありません。 今の人たちは、自立心は旺盛であります。結構なことであります。しかし、散々親のすねをかじってきたくせに、如何にも自分の力で生きてきたような錯覚をもたれてはかないません。われわれ戦前派は親には頼れない時代でした。一人ひとりが必死に生きた時代でした。しかし、親には孝行したいと常に思って生きてきました。盆暮れには無理をしてでも顔見世をしてきました。それでも最後には、孝行したいときには親はなしでした。
 少し愚痴が長くなりました。嫁選び婿選びにはくれぐれも慎重に。
しかし、結果は本人同士うまく人生を二人で乗り切ってほしい。そしてしっかり子育てをしてほしい。これが親の本心です。ー夏の終わりのたわごと。

日ごろの危機管理は大丈夫か?

2006-08-24 14:03:29 | 社会 生活 教育 文化
 去る、8月14日午前7時38分東京、神奈川、千葉の広範囲にわたる停電事故が発生した。朝食も済み、朝のニュース番組を見ていたところ突然画面が消えた。一時は昨日雷雨もあったことだし、その影響による停電でもと考えたが、まずは自分の家の電気関係によるものなのか、或いは地域全体の停電なのか隣近所の様子を見てみたが、一向に原因はわからないままであった。今の生活は電気がなければ何もかも止まってしまうシステムであり、確認のしようがない。思案の末、散歩時に使用している携帯ラジオに思いつき、スィッチをいれた。8時頃だったか東京港区を中心として広範囲にわたって停電していることが放送された。その段階では原因については分からなかったが、停電であることだけは確かな情報であった。電車も止まっていたが、おかげでその心配は必要としない身だが、約20分という時間は長かった。
 このような事態のときこそ、市の防災放送の出番と思い放送のあるのを待ったが、全く機能しなかった。勿論、停電しておりどうにもならなかったのだとは考えてみたが、本来ならば非常時のための自家発電装置が必要であるはずである。そこまで防災に関する措置を講じておいてほしいものだ。事実、防災放送があったのは職員の出勤してくる9時の前後、何分かの時であった。とっくに分かっているよといってやりたかった。時を同じくして電気も通じた。日本一小さな面積の市である。広報車を出し、市内を回ったとしても、それほどの時間は必要としないはずだ。全くこのような状態であれば、東京直下地震でも着た日にはどうなるのか哀れである。まもなく防災の日が近づいてくる。この機会にもう一度防災について考えておきたい。自分の命は自分でしか守れない。残念ながらそんな気持ちになった事件であった。
 後日、市役所からわけの分からない事故報告があった。市が発注した工事による事故と聞いて、なおさら憤りを覚えた。

まだ間に合う人生設計。

2006-08-09 08:18:17 | 社会 生活 教育 文化
 今日は、61回目の長崎原爆の日だ。被爆によりなくなられた多くの方々、また被爆により原爆症の治療と発症の恐怖にさいなまれている多くの方々に謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 最近、書店ではたくさんの新刊本が出版されています。ハウツーものから実に親切にあらゆる分野の本が並べられています。しかし、人生設計等に関するものはやや少ないように思われます。私は、京セラ、稲盛名誉会長の人生3分割のお説に感銘した一人です。「人生80年として、最初の20年は社会に出る準備の期間という。次の40年は一所懸命に働く時期だ。最後の20年間は新しい旅立ちー死ぬための準備に費やす時期だ」とおっしゃられている。実に明快です。
 今、若年労働者の就労問題が取りざたされています。この豊かな日本では、今日明日の糧を得るのは、さほど難しいことではありません。しかし、その日暮らしでは、将来の人生設計はたちません。具体的に今話題の国民年金のお話をしましょう。国民年金に加入し、25年間営営と支払いを続け、いざ受け取る年金は月6万円弱であります。(これでも標準より上のほうでです)生活保護費は月12万円と聞いております。年金を支払い続けた人たちより、何らかの理由で生活保護を受けざるを得ない人たちのほうが2倍の給付を受けている現実は、縦割り行政の欠陥か、政治家の怠慢以外にありませんが、1ヶ月最低でも12万円はかかるという証明であります。国民年金では老後は暮らせません。一生働き続けなければなりません。年金制度云々といわれますが、この制度が崩壊すればこの国もありません。同時崩壊です。
 私は、まだ間に合う若い人たちに、この現実をわかっていただき最低限、会社が大きい、小さいは問いません。(社員5人以上の会社は加入の義務があります)最低限社会保険に加入している会社に、25年間は勤めてほしいと思うのです。社会保険に加入しているということは、厚生年金も雇用保険にも加入しているということです。若いときは贅沢などいりません。明るい家庭を築き、未来を背負う子作りを心がけてほしいと思います。頑張れ若人よ!今日からでも遅くない!

戦後政治を糾弾する。第二弾。~年金だけでなく雇用保険も”!

2006-08-06 19:18:44 | 社会 生活 教育 文化
 今、定年を迎えた方々が(或いは迎えようとしている方々)まずは失業保険の手続きをと考えるのは、当然のことであります。つい何年か前には、今では夢のような実態がありました。失業保険の給付を受けながら、年金がもらえた時代があったのです。つい5,6年前のことであります。現役時代より月々の給付のほうが多い世代があったのです。本当の話であります。以後年々、年金も失業保険もその給付に大きな差ができてしまいました。それは第一段で申し上げましたとおり、有り余るお金(積立金)をグリーンピア等の建設に使いすぎてしまったからであります。
 厚生年金の支給年齢も段階的に先送りされております。今、60,3,4歳の方々が定年を迎え、失業保険の手続きをした場合、どのような事がおきているかご存知でしょうか?失業保険の給付を受けるより、年金の給付のほうが多いのです。失業保険は、掛け捨てであります。サラリーマン生活を数十年送ってきた方々の、その大半は、おそらくは一度も失業保険を受けずにきた方々であります。負担はしてきたが、給付は受けたことがないという人たちです。いざ鎌倉というときに、失業保険は、十分にその機能を果たしてしておりません。マスコミも政治家も年金問題は話題にしておりますが、年金だけでなく雇用保険も破綻状態にあることを誰も言いだしません。これが、今の政治の実態です。政治家は選挙のときの票がほしいだけであります。マスコミも、もうすこし頑張ってほしいなー!本当に私利私欲なく日本の将来を考えてくれる政治家は誰なのか?自民党総裁選を見ながらじっくりと見させてもらいましょう!続く第三弾。

戦後政治の一局面をみて。~年金問題その他。

2006-08-06 10:39:50 | 社会 生活 教育 文化
 広島では61回目の平和記念式典が執り行なわれている。被爆によりなくなられた方々、今も被爆で闘病を続けておられる方々に対して、謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 戦後政治と大上段に構えてしまったけれども、ここでは年金問題と雇用保険問題について考えてみたい。聞くところによると年金の積み立ては戦前からあったようだが、戦後の平価切り替えによりなきに等しいものと思われ、実質的には戦後スタートしたものと考えても良いと思う。戦後の日本経済は米国の強力な支援の下に、朝鮮戦争特需も味方して急速な復興発展を遂げてきた。戦争により数百万人の戦死者を出してしまったことから、人口構成はきわめて理想に近いものであった。従って年金制度も給付よりも支払い(負担)が多くこの状態が20~30年は続いてきたのであり、このたまる一方の虎の子積立金に目をつけた人たちがいた。今ではなくなられた方が多くなったが、政治家たちである。
 今、全国各地で二束三文で処分されているグリーンピア(年金健康福祉センター)或いは雇用保険を使った各地のスポーツ施設を建設することに血眼を上げてきた。積立金のかなりの部分を国内施設の建設費に費やしてしまった。政治と金。選挙と支援団体、こんな構図の元にばら撒かれてしまった。二度とこのようなことが起こらないためにわれわれは今、何をなすべきか?考えていこう。あまり長くなってしまったので第一段はこの辺で。

親子の絆、情雑感

2006-08-04 12:55:57 | 社会 生活 教育 文化
8月2日行われたWBAライトフライ級の王座決定戦は大いに物議をかもしている様子。歴代のチャンピオン各氏が論評をしておられますが、審判団による裁定が下された以上亀田選手はそれに従えばよいこと。今は沈黙しかないと思う。
 ただし、多くの方々が疑問を抱いたことは事実であり、所属ジムと協議の上できるだけ早い時期にリターンマッチを行うことだと思う。ボクシングも真剣勝負の世界とはいえ興行であり、それを主催する側に有利であることは致し方ないことであるけれども、あまりにもドラマ化するとプロレスの世界に近づくような気がしてならない。
 今回、亀田選手を賞賛したいことは、育ての父親、産みの母親に真摯に感謝した言葉を聞かせてくれたことだ。昨今の親が子を、子が親をいとも簡単に殺害してしまう風潮をあの言葉でストップできないか?これからも大いに親子の絆の大切さを
発言していってもらいたい。