自分の起こした行動が結果的にどうなるのか判断がつかないはずはない。あまりにも刹那的である。短絡的である。とにかく切れまくる。
親の教育が悪いのか?学校の指導が悪いのか?そんなはずはない。基本的には日本人の劣化ではないのか。
自分の将来は自分で決めよう。刑務所で過ごすのか。一生を罪人の汚名を着て過ごすのか。一度ゆっくり考えてみたまえ。
田原総一郎氏が拉致被害者家族連絡会に謝罪したという。当たり前のことであり、むしろ遅きに失した感がある。しかも、謝罪の言い分がなってない。
「人の生死に関する問題を情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」との謝罪文なのだ。しからば情報源を示せば発言してもいいのかという論法になる。いかにもジャーナリストとして情報源の守秘義務があるといっているようなものだ。情報源など決まっているではないか。しかも本人自ら外務省のある筋とはっきり言っているではないか。
その外務省は訳のわからない北朝鮮のでたらめ情報を信じ込んでいる気配である。テレビも新聞もしっかり判読しないと大変なゲセネタを信じ込まされてしまいそうである。特に大きな声を張り上げる人たちの発言は気をつけたい。以前田原氏はサンデープロジェクトの番組で重村教授の見解にそんな馬鹿なと氏の発言を全面否定したことがあった。勿論勝負は重村教授の勝ちだった。以後重村教授はその番組に出なくなったような気がしている。
今回のたびの最大の目的は、杉原千畝の功績をたどることであった。日本国内での評価、評判はあまり聞くことが少ないが、イスラエル政府から外国人に与えられる最高位の勲章「正義の人」をいただいている。日本のシンドラ-としてテレビ放映もされているが、見た人は少ないかもしれない。私自身も見ていないが、「6、000人のビザ」を読んで明治大正期には世界に誇れる人物が排出していたことを感じざるを得ない。
これまで、日本政府も支援、応援ができないような感情的実体があったのではないだろうか。外務省本省の支持命令にそむいて、ビザを書き続け、退去命令を少しでも引き伸ばして、一人でも多くのヤダヤ人を救おうとした事実に対して、帰国後退任を迫られていることからもうなずけるのである。いわば、家族も自分の将来もなげうって、ただひたすら人道的見地からとった行為である。並の人にはできることではない。
岐阜県八百津町には、記念公園が造られたとのことであるが、今度は八百津を訪ねてみたいと思っている。世界のミスター杉原、正義の人ミスター杉原、感動をありがとう。日本人として一人でも多く方々が、記念館を訪問し、その業績をたたえてやってほしいもである。
ただ、これらの事実も、その発端はミスター杉原に救われたユダヤ人が、苦労の末に捜し求めて、たどり着いた結果からである。日本国内よりはむしろ世界の中での評価が高い、こんな人は珍しいと思う。
京極 高次の生涯を書いた本であるが、さすがに表現力、描写力、歴史考証力すべてに優れた作品であると思う。一度手に取ると、止められずに最後まで読んでしまいたくなる。
しかし、ずいぶん以前に書かれた本であるが、今回(といっても2年位前だと思うが)ごま書房から再出版されたものである。ごま書房の由来を見てみると胡麻のように小粒だが、きらりと光るものをという意味から名づけられた社名とか。出資者にはソニーの井深 大さんとか千葉大の多胡先生とか日本を代表する方たちの名前があった。
すでに創業から20数年を経過している会社であるが、今回の「湖笛」を読む限り、誤字脱字ではなく誤植その他「てにおは」の重複記載が目立っていた。上下二巻を通じて下巻はそれがひどく、気にしだすと本当に目障りなことであった。記憶している限り10数箇所のミスがあった。ひどいものは人名について「武」が「弐」になっているところさえあったのである。
自分の本であれば、チェックしておけるのだが、残念ながら図書館から借りたものであり、チェックするのを控えざるを得なかった。1,600円もの高価な書籍である。出版元は,もう少し責任ある校正をしてもらいたいものである。
折角の名作が、つまらぬところで汚されてしまっているのが残念であった。
今日は、娘が警察官の父親を殺した事件が起きた。先月には、片思いをした警察官が、女性を殺し自らもピストルで自殺した事件があった。警察官といえども人間である。間違いを犯さないとは限らない。
しからば、交通違反を取り締まる交通機動隊に伺いたい。あなたたちも、またあなたたちの同僚も軽微な違反もしくは軽微な犯罪(賭け事、立小便等々)を犯してきたであろう。根っからの聖人君子など存在しないはずだ。であるならば、かくれて違反者を捕まえるとか、違反しやすい場所でスピード取締りをやってみたり、罰金を取り立てるための取り締まりはやめてもらいたい。あまりにも姑息な方法、手段で庶民を追い詰めることはやめてもらいたい。少しはゆとりある裁きも必要であろう。
東京は変な町だ。いろんな人種がおり、いろんな職業があり、いろんな落とし穴がある。タクシーも変な運転をする人たちが増えたようだ。客を探しながら運転してみたり、車線をまたいで走ってみたり、車線を突然変えてみたり、中にはノロノロ運転の挙句信号を無視してみたり、迷惑千万である。
私もつい先日、第七機動隊の若いおまわりにつかまってしまった。名前を公表したいところだが、個人攻撃になるのでやめることにした。そのノロノロ運転のタクシーに苛立ち、赤に変わる寸前で強引に信号を通過してしまった。歩行者がいたので、交差点の手前(歩行者横断道路)で止まっていたが、おまわりに強要され交差点を通過し、未遂から完遂になってしまった。(これは屁理屈か?)
ゴールド免許証の特典というか、軽微な違反は許されるものと思っていたが、若いおまわりは、一切かまわずキップをきるという。馬鹿やろう。勝手にしろ、だった。
みのもんたの朝ズバッ!でも、もういいよ!とこの話題を取り上げたくない雰囲気であった。どっからどうみても、すっきりしない後味の悪い結末である。
これから後に起きる問題については、一人高砂親方が責任を負うとの記者会見であった。当然のことであるが、こと朝青龍関と親方の関係はなぜか理解に苦しむ関係であるようだ。親方とひと悶着したという結婚披露宴関連についても、脱税問題があったという。
しかし、今後精神病治療を行うとの事であるけれども、減俸処分にあってはいるが、月々の給与は支払われるのである。何処でどのような治療をし、これがどのくらいの期間になるかなどもはっきりしていない。全く馬鹿げた話である。盗人に追い銭みたいな話である。
せっかくだから横綱双葉山の美談をご紹介しよう。
横綱は、片方の目は義眼であった。小さいとき吹き矢に当たって失明していた。しかし、父親は誰が吹いた吹き矢かを知っていながら死ぬまでそれを明かさなかったというのである。「恨まれる者より、恨む本人にとってどれだけマイナスになるか、分別を踏まえた深い愛情の故だった」と。美談中の美談である。双葉山自身もそのハンディを秘したまま無敵の相撲をとり続けたという。話の対比としてはあまりにももったいない話であるけれども、今朝一番の感動だったので日記に書きとめた次第である。
日本は本当にだめな国になってしまったのか、まだ再生の道筋があるのだろうか。どのような国家を目指すべきなのだろうか。年末にあたり、自分なりに整理して考えてみた。
1.憲法改正と防衛問題。
憲法改正問題が起きると必ずといっていいほど「現憲法は、占領軍によって与えられた憲法だ。従って独自の憲法を制定すべきだ。」との論争になる。確かに占領軍が、世界の専門家を集め、編成したものであることは間違いない。しかし、当時戦後処理の段階で、これ以上の憲法を独自に制定することができたであろうか。逐一GHQにお伺いをたてながら、新たな国家像を展望することができたであろうか。できはしない。与えられた憲法であっても、これ以上の憲法はなかったと信ずる。
むしろ、独立国家として世界に認められて今日まで、ぎりぎりの憲法解釈をしながら、改正に踏み切れなかった政治力のなさを反省すべきであると考える。特に9条問題について、このままでは国際情勢の中で責任ある行動が取れるのだろうかと疑問が残る。
ここで、先の戦争が、侵略戦争であったか、自衛のための戦争であったかについて触れることはしない。いずれにしても戦争を起こし、敗戦国となり、米国に占領されたことは事実、終戦を迎えるきっかけとなったあのむごたらしい原爆を二つも落とされた国であることに間違いはない。そういった意味から、どのような憲法を考えるにしても、非核三原則は貫かなければならない。
お隣の北朝鮮が核を持ったといわれている。太平洋(日本海ではない、その反対側の海だ)の日本の領海に、中国の原子力潜水艦が、もぐりこんできているといわれる。中国の上(地理的に)には、何をするか、何を考えているかわからないロシアが存在する。中国は、高度経済成長の力を借りて、軍備費を大幅に増やし続けているという。
これまで日本の防衛は、米国頼みでしかなかった。米国も極東の平和と安全のために台湾、韓国、日本のトライアングルを固め、そこには第七艦隊を常駐させていた。日本においても基地問題が大きな政治問題になると同様、韓国でも問題化し、むしろ日本の状況より悪い方向へ動き出しているような状況だ。中国、北朝鮮の出方次第によっては、日本の防衛について米国一辺倒に依存していて果たして良いものだろうか。中国が台湾を、北朝鮮が韓国を攻めるような事態が同時に起きないとも限らない。
日米安保の確認と見直し、それと同時に日本の防衛について、憲法上の問題をすっきりさせておく必要がありはしないか。緊急を要する課題であると思う。
2.公務員宿舎問題。
日本の多くの企業も保養所、社宅などをどんどん廃止してきている。生き延びるために経営的に緊急を要さない設備等を売り払い、資金を効率的に運用する傾向が強くなってきている。
そのような社会情勢の中で、今回問題が発覚し退去せざるを得なくなった本間教授、ご苦労様でございました。お陰様で国会議員が、また国家公務員がいかに利便性がよく、また快適なお住まいに低価格でお過ごしになっているかを国民の前に明らかにしてくれました。このような国家資産を売却して、借金を減らそうと主張していた先生が、最初から入るべきところでなかったのかもしれません。せっかくこれまで築いてこられた理論と名誉を些細なことで不意にしてしまいました。が高級官僚の実態を公にしてくれた功績は大きいと思います。
一体、政治家も官僚も何をどのように考えているのか、あほらしい限りだ。以前から民主党の河村議員のことを注目しているが、庶民感覚を持ち、庶民の目線で政治を見、改める勘所を指摘し続けている姿勢に感心いたします。民主党も、もっと力を付けて、政界浄化と将来に夢を持てる政治改革を進めてほしいと思います。自民党政治は、もうたくさんだ。
3.年金問題
先だって、社会保険庁の現役書記長の方が、某新聞に論評を寄せていた。お説ご最もと思う。小泉政権以来、民営化民営化と金科玉条のごとくいわれ続けているが、国が守ることは、国がしっかり守らなければいけない。年金という大きな金融商品を果たして民間に譲っていいものなのだろうか。
ご承知のとおり、金融各社は年金の振込先争奪戦さえやっている現実をどう見ているのか。政治家の常識のなさにあっけにとられてしまう。これからますます増大するであろう年金市場、これを民間に委託するというのだ。危なくて仕方がない。
社保庁が、これまで扱ったことのない大きな金融資産をどうすして運用したらいいのか、所詮は人のお金、民間会社の失敗例をお手本にすることなく運用した結果が、このようなばかげた理論を生む結果に繋がったことは事実である。
ここではっきり申し上げたい。建設(箱物行政)にかかわるところ、必ず不正ありと見ていい。大きな建設投資、談合から始まってすべてが還流システムに乗って動いていると見ていい。長野県の例を見てほしい。県民のために良かれとして行ってきた田中県政これにノーを突きつけたのは、主にその類の人たちではないか。
魚心あれば水心。情けないと思いませんか。良識ある政治が定着しない日本。まだまだ、低開発国並、日本の民主主義など夢のまた夢なのか。情けなくなった。アーメン。(今日は、クリスマスイブ、神よ日本に力を与えたまえ。日本を救いたまえと祈りたい。)
ここ数日の安倍内閣支持率の低下は、何を意味するのだろうか。当然といえば当然、、ことごとく国民の期待を裏切りすぎた結果なのだと思う。
現行憲法の下にある、教育基本法を憲法はそのままにして、教育基本法を優先して改正する意向を示し、各地でタウンミーティングを開いたが、これが全くのお芝居だったことが露見した。教育再生会議も空転状態だ。
自民党は、来年の参院戦に向けて大揺れに揺れている。復党問題もその一つ。支部長は、あっちだこっちだとマスコミも一緒になって騒ぎ立てている。先の郵政選挙は、なんだったのだろうか。国民を愚弄するのもはなはだしい。
郵政反対組を離党させ、そこへ刺客を送り、自民大勝のお陰でチルドレンを誕生させた。今度は、チルドレンが復党問題に反対、自分たちの次の選挙の公認問題にまで発展させた。甘えるな!次は知らんぞといわんばかり。お家の内部事情は、国会外でやってほしい。破綻した夕張市にでも全員集合し、徹底的に話し合えばいい。喜ばれること、この上なしである。
すでに同日選挙とまで、言われ始めている。当然のことである。このまま政権を維持できるはずはない。総辞職か?解散か?いずれの方向へ発展するのか、今度は安倍劇場の本当の幕開けになる。乞うご期待!
今日は、話が横道にそれてしまって、本題にまで到達できなかった。また次回にします。