晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

自分史・・・久々の再開。

2008-06-09 15:23:53 | 日記
 父は平成元年92歳でこの世を去った。まさに波乱万丈の世にあって、如何生きるべきか、どのように世の中が変化していくのか見極めにくい世界を生きていたはずである。戦後一貫して職につくことは無かった。終戦のときすでに50歳であったと思うのだが、当時は人生50年の時代であった。自分の人生も終戦と同時に終わったと思っていたのだと思う。それから42年も生き延びたのだ。

 私は、残念ながら父がどういう理由で朝鮮へ渡ったのか知らなかった。父の葬儀の弔辞挨拶の中で、いとこによって教えられたのだ。父は、某高等農林を卒業し、麻栽培の指導のために朝鮮総督府へ赴任した。母は、同某第一高女卒業が自慢の種で、同じ地区に住む同窓生たちで組織した「八女会」という俳句同人会を作っていた。婦人会でも会長として永いこと頑張っていた。

 そんな二人が、どのような出会いをして、どうして朝鮮へ渡る気になったのか今となっては聞くすべも無い。残念で仕方が無いけれども、ふるさとを離れて勉学し、そして就職、子供を育て教育し、無事定年を迎えやっと時間も十二分にある今日この頃になって初めて、父母のこと、兄弟のこと、自分のことについて静かに振り返れる余裕とやらができたのであろう。

 光陰矢のごとしとはよく言ったものである。生まれてきてこの方70年、喜怒哀楽を重ね、人間的にも少し丸みが出てきたかの感じである。まだまだ本人は若いつもりであるが、世間の目は歳相応の見方しかしてくれないはずである。如何あがいても、前期高齢者であること間違いない。

 すでに父の13回忌も母の7回忌もとっくに過ぎてしまった。時には夢の中で会っているが、その会話は遠い昔の話ばかりでしかない。


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