ドラクエ9☆天使ツアーズ

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見送り

2021年03月13日 | 天使ツアーズの章(学園祭)
オシエルは学舎本館二階のインナーバルコニーから、その光景を見ていた。
本館の貴賓用の裏玄関。待たせておいた馬車が迎えにくるのを待っている二人の少年は、見送りに出た生徒との別れ際に何やらやりとりをしている様だ。
ここからでは良く見えないが、それでも「今更懸念することもなし」とオシエルはその場を動くつもりはなかった。
ミカヅキが友人を伴っての妹の学園祭での振る舞いには片がついた。後に任された自分の役目はそれを侯爵家に伝える事だが。
(それが皆様方の意に添うか、どうか)
と、ミカヅキから目を離し、その隣の友人であるヒイロに目を配る。
彼は、ミカヅキとその妹姫との交流にうまく作用している様に思う。
それは先に開かれた茶会での様子も相まって、考えさせられる事。ヒイロは、貴族社会の通念と自身のおかれる立場とを理解し、この一月余の教えを自分の中で昇華させて、自在に使いこなして見せた。
(まさかここまでとは)
というのが率直な感想だ。
ミカヅキの友人として公の場でいかに振る舞うべきか、それを仕込んだ一月余。
ヒイロの仕上がりは、オシエルの想定した及第点にはわずかに及ばなかったが、それでもミカヅキに託す分には障りはないだろうと考え、学園への同行を許した。
ミカヅキの公での振る舞いには教師として絶対の自信がある。ヒイロがそれに倣い、大人しく控えると言う立場で同行する程度なら良し。ヒイロにはそれをキツく言い渡してあるという事と、公とは言え学園内という綴じられた場である事。加えて学園行事の中日であれば遊楽の面が強く、今まで堅苦しい行事にしか出席してこなかったミカヅキへの試験的な意味合いも含めては周囲の理解も得られるだろうと判断したのだ。
それが、どうだ。
ヒイロは大人しく控えてなどいなかった。積極的にミカヅキと妹との交流を促す様に振る舞い、その学友たちも取り込んで和気藹々とした雰囲気を作り上げて見せた。
これは完全に想定外だ。ヒイロは、ここで一気に化けたと言っても良い。
(彼は、実地体験で成長を見せる質だったか)
それはオシエルの経験上、今までにない成長の仕方だった。
それはそうだろう。オシエルの教師人生の中で、不完全な状態で教え子たちを手元から離したことはない。
他よりも出来る子、出来の悪い子、それなりに手をかけて教えを施してきた。それでも、どうあってもオシエルが求めた及第点に届かず合格を言い渡す事ができない子らも多かれ少なかれ出るものだ。なんとか免除してやっては、という周りの意見にも耳をかさず「達していない者に了を与えることは出来ない」という姿勢を貫いた。それはオシエルの信念と共に侯爵家の名を背負う教師としての立場があった。
(その信念が教え子たちの成長を妨げはしなかったか)
今のヒイロの様に、不完全でもあとは本人の力量に頼る方法はなかったか。そう考えて、有り得ない事だという思いが湧き上がる。
オシエルの生徒たちは貴族社会に生きる子たちだ。及第点どころか、満点を求められる生き方から逃れられはしない。多少難はあるが、あとは社交界に出て、失敗し恥をかきながら学びなさい、と言って手を離すことはできない。それが許されない社会。一度つまづいて、そこからやり直すといった寛容さはない。
(なるほど。問題点はここにある)
自分の教えにも、それを作り上げてきた社会にも。
ヒイロを見れば、優秀たり得ない子供らに「教師を目指すのは諦め、他の道を探しなさい。端から向いていない」と進言した事も、可哀想なことをしたかもしれない、と感じるのは情でしかない。あの子たちも実地体験で飛躍的な成長を見せたかもしれない、という可能性は捨てきれないが、それをして許されない社会に生きる子たちの人生をオシエル一人が抱え切れるものではないのだ。
(御館様の真意はここにある)
その思いに、ヒイロからミカヅキに視線を移す。
彼もまた、ヒイロの成長に助けられているのか、どうかは危うい。
ミカヅキが初めて得た友人だ、と老侯爵は言った。
なぜ「初めて」得る事が「できたのか」それが要ではないか。
平民社会に生きるヒイロを友人だと位置づけ、彼を貴族社会に関わらせる事には慎重になるのも分かる。
自由とは、決して安らかなものではない。暴走し、荒れ狂う。己の意のままにはならず、時として逃れたいと思うほどの過酷な状況を生む。それに翻弄される事のない様に、人が人として求める安穏のために作りあげられたのが、規律だ。自由を封じ込め、出来上がった社会。そこに生きるミカヅキは、果たしてヒイロに何を求めるのか。
教育を施し、オシエルが及第点を出した友人の姿を見て、ミカヅキは拒絶反応を示しはしなかったか。
この一月の教育とは、自由に生きる彼を規律で縛り付けること。一月前には想定していながら、実際に完成形を突きつけられて、自分の判断が正しかったかどうか、動揺したのではないか。
それは、「貴族にはならない」と、自らの意志で示したヒイロの言葉にも同様。
公の場で、私の感情を出してはならない。幼い時分からその教えを完璧に体現できるミカヅキであるために、それを聞かされた表情からは何も読み取れはしなかったが。
礼儀作法と教養を仕込まれて、自分の考えを持つ様になったヒイロ。それは見違える様な成長だ。
この学園で、実際に貴族社会の片鱗を経験し、そこから垣間みる本質を理解したというなら、それを授ける様にオシエルに要請したのはミカヅキだ。
それがミカヅキにとって不本意であったというのなら。
(次は我々の番ですよ、ミカヅキ様)
ヒイロは大きく前進した。
彼は、今のままの自分がミカヅキの友人であることに疑問は持たないだろう。
だがオシエルは、それを惜しいと思ってしまうのだ。
今日の彼の振る舞いを見て、この一月の彼の奮闘を見てきて。
(できれば彼には爵位を授け、ミカヅキ様の功臣として認められる様、取り計らうつもりではあったものの)
おそらくは、老侯爵他、近しい幹部の方々も密かにそれを期待しているのではないかと思うが。
残念ながらそれは見送るべきだ、と伝えなければならない。
ヒイロの意志が硬いからではない。
ミカヅキの意志が、いまだ柔いからだ。
先に行ったヒイロを、ミカヅキが許容できるかどうか。
悪く言えば、今まで下に見ていた彼が自分と並び立ち、さらにその上を行く現実を見せられて、ミカヅキが耐えられるかどうかが問われる。
だからミカヅキには、ヒイロと向き合うことを言い含めた。
なぜ初めての友人たり得たのか。
ミカヅキなら、必ず答えを出せるだろう。
(その様に、幼少期からお育てしてきた)
ミカヅキの出す答え、そこから始まるのだ。新たな教育と、成長と、習熟。若く瑞々しい精神は、周囲の意図しない結果をもたらすのかもしれない。
それに備える。
(我々は、それに備えるために今は見送るべきです、と申し上げて)
大きな成長を求められているのは、籠の中の雛ではない。
雛が自由に成長したとしても、囲い込める自在な籠の方にこそ、成長と変化を求められる。
自由に反対するものは、統制か、束縛か。
どちらかを選ばなくてはならない侯爵家の判断とは。
その様に、窓の下ではなく、はるか向こうの光景に思いを馳せていた時。
「レネーゼの若君様はお帰りになられる様ですな」
と、オシエルの背後からかかる声に振り向けば、老齢の学園長がにこやかに歩み寄ってきた。
「若君様の専任でいらっしゃる先生がこの様な形でお見送りされるとは」
どういたしました、とやんわり問いかけてくることに姿勢をただす。
「今日の私は客分としてあると言うことを、若様は納得しておられましょうから」
学園長は、それだけの言葉でオシエルの立場を理解した様に頷いてみせた。
「では私も隣によろしいでしょうか」
と次なる問いかけには黙礼で返し、オシエルは脇に避け学園長へ窓の真正面になるその場を譲る。それに感謝の礼を返した学園長は、窓下に見える様子に目を細め、話を続けた。
「若様が学長室へわざわざのご挨拶に参られた折、見送りは不要に、とおっしゃられましてな。今日の主役は生徒たちであって然るべきと考えるので、何分にも、と念を押されましては、そのお心遣いを有難く頂戴いたしました」
せめては私もこちらでお見送りさせて頂きたいと思いまして、と自分もオシエルと同様の見送りの理由だ、と語っておいて、オシエルを振り返る。
「若君様は実に良く先生の教えを飲み込んでおられる。素晴らしい」
美しい礼儀だとミカヅキを称え、それを仕込んだオシエルの功績を称える。
それはこれまでにも幾度となく経験してきたことではあったから、お褒めに預かりまして、と返すことは当然の流れではあったが。
いえ、とオシエルは学園長の意識を誘導する様に、外の二人へ視線を戻した。
「この度の事では私はいささかも指導をしておりません。若様が自らその様に判断されたとすれば、この学園内で生徒の皆様方と触れ合い、直接に日頃の学習成果などを実感されての、純粋なるお気持ちからの事ではないか、と思います」
この様な席では自分が主役にならぬ様に、と指導するのは容易い。だがその振る舞いに包み隠された心根がどうあるかは、指導だけで済ますことはできない。
「それを思えばこの場に招いて下さった事、若様のお心を成長させていただきました事、生徒の皆様方には感心させられるばかりでありますね」
その様な機会を与えて下さった学園の先生方にも、と口をついて出る謝辞は、社交辞令からは幾分、定石を外れた行いではあったが。
それをどう捉えたか、しばしオシエルの言葉を考えた様な沈黙の後、学園長は「なるほど」と窓の外に目をむけたまま頷いた。
「先生も、若様をお育てする新たな道を模索しておられる様だ」
そう言われて、思わず学園長に視線を戻せば、彼は心得た様に笑みを返す。
「私も教育者として多くの子供たちを育てる事に注力した身です」
たったそれだけの言葉で、今のオシエルが辿っている道は、先を行く者たちが切り開いてきたものだということが分かる。
そして、それを超えていけるかどうかが問われている。
ミカヅキの預かり知らぬこの場で交わされたそれは、社交辞令から外れた行いが引き起こした事。
(若様が求めておられるのは、これか)
レネーゼの名を背負うためにこそ新たな道を探したい、とそう言った幼い後継者の立志を思う。
「ああ、出られる様ですな」
と学園長が窓の外の様子にわずかに背を正した。
二人が、馬車に乗り込んだ。それを確認し、御者の一人が扉を締め。
オシエルも学園長の隣で背を正す。
夕刻が迫る中、学園の外へ向かう並木道は影を長く伸ばしている。整然と舗装された石畳は、馬車を支障なく進ませるために敷かれたもの。
その道を当然の様に駆け出す侯爵家の箱型馬車。道を外れる事なく、ただ真っ直ぐに敷かれた道を進んでいく。
視界の端で、学園長が深々と頭を下げた。
オシエルもそれに続く。
二つの最敬礼は、紋章を刻んだ馬車が学園の門を過ぎて遠くなるまで捧げられた。


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