こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

悲しみにさようなら

2007-02-04 22:11:18 | 離婚に向けて
 夫のモラハラに耐えられず、自分を見失い狂気の淵に足をかける直前に、はっと我に返り、夫のもとから離れた。そして別居して2年以上が経過した。別居後、1年くらいは平和な日々を送りながらも、様々な感情に揺り動かされていた。そんな想いをブログに綴りながらも、皆様から共感と励ましをいただき、それを糧に自分を保っていた。そして誰からも脅かされない、静かで安全な毎日を送っていることが当たり前になり、この生活が普通なのだと実感できるようになった。私は日常的には夫のことを思い出すこともなくなり、のびのびとした心情で過ごしていた。
 別居生活を続けながらも、夫とは婚姻関係を保ったまま、月日が経っていた。別居した直後は、夫と話すことも、顔を見ることすら恐怖を覚え、どんな接触もしたくなかったので、当分別居状態を続けようと思っていた。別居に全エネルギーを使い果たした私にとって、まだその先のことを考える余裕すらなかったのだ。とりあえず離れて普通に呼吸することが必要だったのだ。

 そして、なんとか別居は成功して生き延びたのだが、ある意味別居したことは私の人生史上の中での挫折だった。私の本当の、心の底からの願いは、夫と日々を慈しみ合う結婚生活を積み重ねることだった。私は夫と仲良く暮らしたかったのに。あんなに笑い合ったこともあったのに、あんなに優しさを分かち合い、心から共に生きたいと思っていたのに…どうして?私は自分の人生を夫と築いていこうと一大決心をして結婚した。見知らぬ土地に住み、新しい職場を探し、夫の親族や友人達ともいい関係を作ろうと努力した。夫のモラハラから自分を守るためとはいえ、別居が自分の人生を守るための正当な手段だったとはいえ、モラハラは治ることがないと心底思い知らされたとはいえ、不本意ながらも実行せざるを得なかった別居だった。私はまだまだ自分の運命を受け入れることができなかったのだ。
 もうひとつは世間の目である。友人関係はまだしも、仕事関係者に知られることに抵抗があった。仕事への評価と重ねられることを恐れたのだ。周りは私を結婚の失敗者として見るだろう。夫との人間関係を築けなかった女、夫をうまく立てられなかった女、夫から蔑まれた女、性格的に問題のある女、子どもも作れなかった(出来なかったのだが)女、負け犬になった女、ひとりになった惨めな女…そんな好奇心と詮索の目で見られることがたまらなく嫌だった。離婚した理由を皆に説明できるわけもなく、ただ勝手に想像されて、思いこまれた目で見られることが嫌だった。
 そして、別居は楽な関係だった。夫から攻撃も受けず、平和な毎日を送りながらも世間には「結婚している」ポーズをとれる。日本の社会において『妻の座』はなんと生きやすいアイテムだろう。私はそれを失うことも恐れていた。

 ただそんな想いも抱きながら、やはり私はもう夫と生活できないこともよくわかっていたのだ。戻る可能性のない婚姻関係は虚構だ。苦渋の選択の末、離婚を決断した勇気ある方々との交流は、少しずつ私の心を解きほぐしていった。皆、その時その時に一生懸命考え、なすべきことを選択し、行動してきたのだ。皆も夫とその日常を愛そうと希望に満ちて結婚したのだ。でもどんなに努力してもどうしようもない現実があって、別の道を模索しなければお互いが生きていけないような状況に追いつめられ、そして苦悩の末、離婚という道を選んだのだ。それが新たな自分を生きる一歩となることを確信して。
 爽やかに自分を生きている方々の姿は、私に勇気と希望を与えてくれた。

 そして私は夫に離婚届けを郵送した。いつ反応があるか、しばらく放置されるのかと思っていたら、先週あっけなく返送されてきた。郵便受けを見てどきっとした私だった。封筒を開けると、「離婚に同意する」という夫の短い手紙と離婚届が入っていた。離婚届には夫のサインと印鑑が間違いなく押してあった。私はそれをじっと見つめた。「やった~!」という気分にはとてもなれなかった。むしろ、夫がさっさとサインして返送してきたことに虚しさを感じたほどだった。
 これで私は夫を失うのだ。夫の人格というより、夫という家族を、自らが望み欲し共に人生を歩みたかった家族を失うのだ。結婚生活約7年半に込めた私の想いが、夫との時間が、本当にきっぱりと消えていく…。
 モラルハラスメント・ブログのまっち~さんが、以前の記事で「離婚はお葬式に似ている(明日)」と言われていたが、本当にその通りだと思った。慈しみ育んできたものを葬る儀式。私のブログには、夫からモラハラを受けたことばかり書いてある。あれほど夫を恐れ、嫌悪し、もう生活を共にはできないとわかっているのに、やはりいざとなれば、こんな重苦しい気分になってしまった。
 その上、こんな時に父親が入院したことも重なり、何もかもが失われるような錯覚に囚われ、暗い淵をただのぞき込んでいるような精神状態になってしまった。


 今日になって、やっと夫がサインした離婚届を広げ、自分の欄に記入した。2人名前を連ねた婚姻届を出したことを思い出す。タメイキ…。
 離婚届けを記入するにあたり、証人2人の署名がいるので弟夫婦に記入してもらおうと、ついさっき電話をかけた。「実はさ…」というと弟が「どうしたの?」と聞く。「お願いがあって」「何?」「実はもう離婚しようと思って」。私はちょっともったいつけて暗い声で言った。弟の驚いたリアクションを想像していたら、あっけなく「ああそう。それがいいよ」と弟はどうってことないよ、というように答えた。「今の状態続けてても意味ないじゃん。サイン?ああ、いいよ」と、今日の夕ご飯は?肉じゃが?ふ~ん、みたいなごく普通な感じで答えた。
 なんだかそれを聞いていたら、すっと心が軽くなった。最後になると、いろいろと思ってしまうけれども、やっぱりこれでよかったんだ。あのまま結婚生活を続けることは不可能だった。続けてたら、どちらかがどちらかを殺していた(身体的、精神的双方の意味で)。古い言い方だけれど、結婚生活が私の人生の全てではない。その経験を、その喜びを、その苦痛を、その悲しみを糧にして、また私自身の人生を築いていけばいいのだと、今はぼんやり思っている。

 離婚届は弟夫婦にサインしてもらえば完成する。本籍のある自治体から戸籍謄本を取り寄せて、近々離婚手続きに行く予定だ。その前に父親の手術にも立ち会わなければいけない。

 これも私の人生だ。いざとなると、つい深刻に考えすぎてしまう。自分で自分を縛り幻にすがるのはもうやめよう。こう思えるまでも時間が必要だったのだ。
 
 大丈夫。きっと越えられる。一歩一歩、前へ…!