先日、自宅の電話が鳴った。私は電話機に駆け寄りナンバーディスプレイを見た。
約半年前にモラ夫から奇襲を受けて以来(『奇襲』)、ナンバーディスプレイを設置した。今はメールやケータイがあるので、自宅に電話は滅多にかかってこないが、たまにかけてくるのは親や、友人のみだった。その時も親がかけてきたのだろうと思い込みディスプレイを覗くと…覗くと…モラ夫だった!!
うっ…と衝撃を受けた途端に心臓がドクドクと鳴り出し、手がさーっと冷たくなった。私は固まり、電話を凝視した。留守電のメッセージが流れる。そして夫は電話を切った。何の用だろう。出た方がよかったのか…。いや、出ないためにナンバーディスプレイを設置したのではなかったのか?と自問自答しながらも、こんなに身体反応が出る自分が情けなかった。今まで何事もないと、もう私は大丈夫かなと思ったりもしていたが、何かあれば動揺してしまう有り様…。なんてこった。ちょうど私は家を出るところだったので、「私は家にいなかった」と心でつぶやきながら外出した。
外出から戻ると、留守電には夫から続けて電話がかかっており、最後にメッセージがあった。「話しがあるので連絡してほしい」と。どうしたらいいんだろう、電話をするべきか、無視するべきか、電話をしたら何を言われるかわからない、無視したら家まで押しかけてくるかもしれない、どうしよう…こわい…怖い! 再びモラの恐怖が襲ってきた。鬼のような夫の形相。「おい、いるんだったら返事くらいしろ!」と怒鳴られるのではないか…。
でも私はもう夫とは住んでいないんだ。そして私はひとりじゃない、私には相談できる仲間がいるんだ。やっとそう思い、モラハラ特別対策本部に通報(!?)して、なぜかセーターをテーブルにのせ、糸切り鋏で毛玉の掃除を始めた。夫に意見した瞬間罵倒されたことを思い出す。もうあんな思いはたくさんだ…。シャキ、シャキ、と毛玉をひたすら取りながら心が落ち着くことを待った。シャキ、シャキ、シャキ…だんだんと冷静さを取り戻してきた。3枚目のセーターの毛玉をとったらだいぶ穏やかな気持ちになった。自分で自分を追いつめることはやめよう。何も相手から攻撃されているわけではないのだから。
そしてモラハラ特別対策本部の方々からユーモアある思いやりと力強い励ましと共に、今後の対策についても考えていただいた。私の心はすっかり軽くなった。
その後夫からの電話はなく、代わりに郵便物が送られてきて、連絡の理由を知ることになり、とりあえず脅かされる内容ではなかったのでほっとするのだが…。
しかし私はいつまでこうやって、夫から何らかの連絡がある度に恐怖を蘇らせて凍りついてしまうのだろうか。今のままの状態(別居)を続けていたら、夫に関係することで連絡が来ることもあるだろう。その度に、水底に沈殿して目に付かないヘドロが衝撃に煽られて舞い上がり、忘れていた嫌な感情に覆われ、自らを縛り付けるのだろうか。
夫の言動はモラルハラスメントだと知ったその時から、私は何とか夫から離れようと考え密かに心の準備を進めてきた。そして、決死の覚悟で別居することができた。その時は、まず夫から危害を加えられないように、安全に離れるこことが最大の目標だった。
そして別居してしばらくは夫の影に怯えたり夫への怒りに苛まれながらも、徐々に落ち着きを取り戻し、安全と安心を実感するとともに、自らの感情や考え、行動を自由に表現する幸せを、しみじみと噛みしめ味わうことができるようになった。それだけで私は満足だった。
同時に夫婦生活の煩わしさから解放されながらも、結婚生活を保つことができる(籍が入っている状態)ことは、世間に何も弁明しなくてもいい、という便利さがあった。だから一部の人を除いて、大部分の人は私が別居していることを知らなかったが、「ご主人は元気?」「お正月はご主人の実家に行ったの?」「結婚しているの?」「連休はご主人とどこかに出かけたの?」などという日常会話にも、いつもと同じように答えることが出来た。これはとても気楽なことだった。離婚したら、職場の人や顧客、知人などの何気ない会話に出てくる家族や夫の話など、どうやって答えたらいいのだろう!?と悩んでしまうのだ。いちいち詮索されることも嫌だったし、夫とこのような関係に追い込まれた状況自体を理解しても、自分ではなかなか受け入れられない部分もあった。私は夫と仲良く暮らしたかったのに…夫のモラハラさえなければ、こんなことなかったのに!と心のどこかでしこりがあった。加えて私の母親の不満があった。母親は『離婚』という文字にこだわっていた。「まあ別居だったら、結婚解消するわけじゃないから今まで通りでいいもんねぇ。名字だって変わらないからわからないわよね。」と言い続けた。母親の姉妹やその子どもに離婚した人はいない。母親の友人は孫自慢をする人も多い。そんな中で自分の娘が子どもも作らず、離婚した、ということは母親にとって耐えられないことなのだろう。
そして、私自身も離婚したことによって、それを周囲の人に知られ、興味本位の目で見られるのではないかと思うといたたまれなかった。こんなこと、誰が望むだろうか?ただ私の友人知人にももちろん、離婚した人もいる。そんな友人には「いろんな人生があって当たり前だよね」と言いつつも、自分自身が実際に体験するとなると、なかなか受け入れられないのだった。私は情けなかった。あれこれ考えずに堂々と言えばいいのだろう、とも思う。私の仕事関係の人に、シングルマザーが何人かいる。最初彼女たちに会ったときに驚いたのは、私が聞きもしないのに自ら「私、シングルマザーなんです」とニコニコと自己開示するのだ。そしてサラッと家の事に触れ、サラッと仕事の話しに入っていく。シングルマザーは強いな~、すごいな~、とただ感心することがよくあった。あんなふうに強くなれればいいな…私はきっとまた自ら壁を作っているのだろうな…。そんなふうに思った。
モラハラ特別対策本部の方は「離婚したらもうモラ夫とは関係ないんだから、他人になるんだから、怖いことなんてなくなるよ」と話してくれた。その通りだ。現在別居していて、夫とは日常的に接触がないから気楽にいられるが、たまに接触があると激しく動揺してしまう。それはまだ夫とは婚姻関係にあって、夫からの影響力が私に及ぶのだと思っているせいだ。もう夫とは他人になることが一番いいのだ。
私はいったい何にしがみついているのか。
私は決断できるのだろうか…。
約半年前にモラ夫から奇襲を受けて以来(『奇襲』)、ナンバーディスプレイを設置した。今はメールやケータイがあるので、自宅に電話は滅多にかかってこないが、たまにかけてくるのは親や、友人のみだった。その時も親がかけてきたのだろうと思い込みディスプレイを覗くと…覗くと…モラ夫だった!!
うっ…と衝撃を受けた途端に心臓がドクドクと鳴り出し、手がさーっと冷たくなった。私は固まり、電話を凝視した。留守電のメッセージが流れる。そして夫は電話を切った。何の用だろう。出た方がよかったのか…。いや、出ないためにナンバーディスプレイを設置したのではなかったのか?と自問自答しながらも、こんなに身体反応が出る自分が情けなかった。今まで何事もないと、もう私は大丈夫かなと思ったりもしていたが、何かあれば動揺してしまう有り様…。なんてこった。ちょうど私は家を出るところだったので、「私は家にいなかった」と心でつぶやきながら外出した。
外出から戻ると、留守電には夫から続けて電話がかかっており、最後にメッセージがあった。「話しがあるので連絡してほしい」と。どうしたらいいんだろう、電話をするべきか、無視するべきか、電話をしたら何を言われるかわからない、無視したら家まで押しかけてくるかもしれない、どうしよう…こわい…怖い! 再びモラの恐怖が襲ってきた。鬼のような夫の形相。「おい、いるんだったら返事くらいしろ!」と怒鳴られるのではないか…。
でも私はもう夫とは住んでいないんだ。そして私はひとりじゃない、私には相談できる仲間がいるんだ。やっとそう思い、モラハラ特別対策本部に通報(!?)して、なぜかセーターをテーブルにのせ、糸切り鋏で毛玉の掃除を始めた。夫に意見した瞬間罵倒されたことを思い出す。もうあんな思いはたくさんだ…。シャキ、シャキ、と毛玉をひたすら取りながら心が落ち着くことを待った。シャキ、シャキ、シャキ…だんだんと冷静さを取り戻してきた。3枚目のセーターの毛玉をとったらだいぶ穏やかな気持ちになった。自分で自分を追いつめることはやめよう。何も相手から攻撃されているわけではないのだから。
そしてモラハラ特別対策本部の方々からユーモアある思いやりと力強い励ましと共に、今後の対策についても考えていただいた。私の心はすっかり軽くなった。
その後夫からの電話はなく、代わりに郵便物が送られてきて、連絡の理由を知ることになり、とりあえず脅かされる内容ではなかったのでほっとするのだが…。
しかし私はいつまでこうやって、夫から何らかの連絡がある度に恐怖を蘇らせて凍りついてしまうのだろうか。今のままの状態(別居)を続けていたら、夫に関係することで連絡が来ることもあるだろう。その度に、水底に沈殿して目に付かないヘドロが衝撃に煽られて舞い上がり、忘れていた嫌な感情に覆われ、自らを縛り付けるのだろうか。
夫の言動はモラルハラスメントだと知ったその時から、私は何とか夫から離れようと考え密かに心の準備を進めてきた。そして、決死の覚悟で別居することができた。その時は、まず夫から危害を加えられないように、安全に離れるこことが最大の目標だった。
そして別居してしばらくは夫の影に怯えたり夫への怒りに苛まれながらも、徐々に落ち着きを取り戻し、安全と安心を実感するとともに、自らの感情や考え、行動を自由に表現する幸せを、しみじみと噛みしめ味わうことができるようになった。それだけで私は満足だった。
同時に夫婦生活の煩わしさから解放されながらも、結婚生活を保つことができる(籍が入っている状態)ことは、世間に何も弁明しなくてもいい、という便利さがあった。だから一部の人を除いて、大部分の人は私が別居していることを知らなかったが、「ご主人は元気?」「お正月はご主人の実家に行ったの?」「結婚しているの?」「連休はご主人とどこかに出かけたの?」などという日常会話にも、いつもと同じように答えることが出来た。これはとても気楽なことだった。離婚したら、職場の人や顧客、知人などの何気ない会話に出てくる家族や夫の話など、どうやって答えたらいいのだろう!?と悩んでしまうのだ。いちいち詮索されることも嫌だったし、夫とこのような関係に追い込まれた状況自体を理解しても、自分ではなかなか受け入れられない部分もあった。私は夫と仲良く暮らしたかったのに…夫のモラハラさえなければ、こんなことなかったのに!と心のどこかでしこりがあった。加えて私の母親の不満があった。母親は『離婚』という文字にこだわっていた。「まあ別居だったら、結婚解消するわけじゃないから今まで通りでいいもんねぇ。名字だって変わらないからわからないわよね。」と言い続けた。母親の姉妹やその子どもに離婚した人はいない。母親の友人は孫自慢をする人も多い。そんな中で自分の娘が子どもも作らず、離婚した、ということは母親にとって耐えられないことなのだろう。
そして、私自身も離婚したことによって、それを周囲の人に知られ、興味本位の目で見られるのではないかと思うといたたまれなかった。こんなこと、誰が望むだろうか?ただ私の友人知人にももちろん、離婚した人もいる。そんな友人には「いろんな人生があって当たり前だよね」と言いつつも、自分自身が実際に体験するとなると、なかなか受け入れられないのだった。私は情けなかった。あれこれ考えずに堂々と言えばいいのだろう、とも思う。私の仕事関係の人に、シングルマザーが何人かいる。最初彼女たちに会ったときに驚いたのは、私が聞きもしないのに自ら「私、シングルマザーなんです」とニコニコと自己開示するのだ。そしてサラッと家の事に触れ、サラッと仕事の話しに入っていく。シングルマザーは強いな~、すごいな~、とただ感心することがよくあった。あんなふうに強くなれればいいな…私はきっとまた自ら壁を作っているのだろうな…。そんなふうに思った。
モラハラ特別対策本部の方は「離婚したらもうモラ夫とは関係ないんだから、他人になるんだから、怖いことなんてなくなるよ」と話してくれた。その通りだ。現在別居していて、夫とは日常的に接触がないから気楽にいられるが、たまに接触があると激しく動揺してしまう。それはまだ夫とは婚姻関係にあって、夫からの影響力が私に及ぶのだと思っているせいだ。もう夫とは他人になることが一番いいのだ。
私はいったい何にしがみついているのか。
私は決断できるのだろうか…。