goo blog サービス終了のお知らせ 

こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

呪縛からの解放に向けて

2007-01-17 22:25:23 | 離婚に向けて
 先日、自宅の電話が鳴った。私は電話機に駆け寄りナンバーディスプレイを見た。
 約半年前にモラ夫から奇襲を受けて以来(『奇襲』)、ナンバーディスプレイを設置した。今はメールやケータイがあるので、自宅に電話は滅多にかかってこないが、たまにかけてくるのは親や、友人のみだった。その時も親がかけてきたのだろうと思い込みディスプレイを覗くと…覗くと…モラ夫だった!!
 うっ…と衝撃を受けた途端に心臓がドクドクと鳴り出し、手がさーっと冷たくなった。私は固まり、電話を凝視した。留守電のメッセージが流れる。そして夫は電話を切った。何の用だろう。出た方がよかったのか…。いや、出ないためにナンバーディスプレイを設置したのではなかったのか?と自問自答しながらも、こんなに身体反応が出る自分が情けなかった。今まで何事もないと、もう私は大丈夫かなと思ったりもしていたが、何かあれば動揺してしまう有り様…。なんてこった。ちょうど私は家を出るところだったので、「私は家にいなかった」と心でつぶやきながら外出した。
 外出から戻ると、留守電には夫から続けて電話がかかっており、最後にメッセージがあった。「話しがあるので連絡してほしい」と。どうしたらいいんだろう、電話をするべきか、無視するべきか、電話をしたら何を言われるかわからない、無視したら家まで押しかけてくるかもしれない、どうしよう…こわい…怖い! 再びモラの恐怖が襲ってきた。鬼のような夫の形相。「おい、いるんだったら返事くらいしろ!」と怒鳴られるのではないか…。
 
でも私はもう夫とは住んでいないんだ。そして私はひとりじゃない、私には相談できる仲間がいるんだ。やっとそう思い、モラハラ特別対策本部に通報(!?)して、なぜかセーターをテーブルにのせ、糸切り鋏で毛玉の掃除を始めた。夫に意見した瞬間罵倒されたことを思い出す。もうあんな思いはたくさんだ…。シャキ、シャキ、と毛玉をひたすら取りながら心が落ち着くことを待った。シャキ、シャキ、シャキ…だんだんと冷静さを取り戻してきた。3枚目のセーターの毛玉をとったらだいぶ穏やかな気持ちになった。自分で自分を追いつめることはやめよう。何も相手から攻撃されているわけではないのだから。
 そしてモラハラ特別対策本部の方々からユーモアある思いやりと力強い励ましと共に、今後の対策についても考えていただいた。私の心はすっかり軽くなった。

 その後夫からの電話はなく、代わりに郵便物が送られてきて、連絡の理由を知ることになり、とりあえず脅かされる内容ではなかったのでほっとするのだが…。
 しかし私はいつまでこうやって、夫から何らかの連絡がある度に恐怖を蘇らせて凍りついてしまうのだろうか。今のままの状態(別居)を続けていたら、夫に関係することで連絡が来ることもあるだろう。その度に、水底に沈殿して目に付かないヘドロが衝撃に煽られて舞い上がり、忘れていた嫌な感情に覆われ、自らを縛り付けるのだろうか。

 夫の言動はモラルハラスメントだと知ったその時から、私は何とか夫から離れようと考え密かに心の準備を進めてきた。そして、決死の覚悟で別居することができた。その時は、まず夫から危害を加えられないように、安全に離れるこことが最大の目標だった。
 そして別居してしばらくは夫の影に怯えたり夫への怒りに苛まれながらも、徐々に落ち着きを取り戻し、安全と安心を実感するとともに、自らの感情や考え、行動を自由に表現する幸せを、しみじみと噛みしめ味わうことができるようになった。それだけで私は満足だった。

 同時に夫婦生活の煩わしさから解放されながらも、結婚生活を保つことができる(籍が入っている状態)ことは、世間に何も弁明しなくてもいい、という便利さがあった。だから一部の人を除いて、大部分の人は私が別居していることを知らなかったが、「ご主人は元気?」「お正月はご主人の実家に行ったの?」「結婚しているの?」「連休はご主人とどこかに出かけたの?」などという日常会話にも、いつもと同じように答えることが出来た。これはとても気楽なことだった。離婚したら、職場の人や顧客、知人などの何気ない会話に出てくる家族や夫の話など、どうやって答えたらいいのだろう!?と悩んでしまうのだ。いちいち詮索されることも嫌だったし、夫とこのような関係に追い込まれた状況自体を理解しても、自分ではなかなか受け入れられない部分もあった。私は夫と仲良く暮らしたかったのに…夫のモラハラさえなければ、こんなことなかったのに!と心のどこかでしこりがあった。加えて私の母親の不満があった。母親は『離婚』という文字にこだわっていた。「まあ別居だったら、結婚解消するわけじゃないから今まで通りでいいもんねぇ。名字だって変わらないからわからないわよね。」と言い続けた。母親の姉妹やその子どもに離婚した人はいない。母親の友人は孫自慢をする人も多い。そんな中で自分の娘が子どもも作らず、離婚した、ということは母親にとって耐えられないことなのだろう。

 そして、私自身も離婚したことによって、それを周囲の人に知られ、興味本位の目で見られるのではないかと思うといたたまれなかった。こんなこと、誰が望むだろうか?ただ私の友人知人にももちろん、離婚した人もいる。そんな友人には「いろんな人生があって当たり前だよね」と言いつつも、自分自身が実際に体験するとなると、なかなか受け入れられないのだった。私は情けなかった。あれこれ考えずに堂々と言えばいいのだろう、とも思う。私の仕事関係の人に、シングルマザーが何人かいる。最初彼女たちに会ったときに驚いたのは、私が聞きもしないのに自ら「私、シングルマザーなんです」とニコニコと自己開示するのだ。そしてサラッと家の事に触れ、サラッと仕事の話しに入っていく。シングルマザーは強いな~、すごいな~、とただ感心することがよくあった。あんなふうに強くなれればいいな…私はきっとまた自ら壁を作っているのだろうな…。そんなふうに思った。

 モラハラ特別対策本部の方は「離婚したらもうモラ夫とは関係ないんだから、他人になるんだから、怖いことなんてなくなるよ」と話してくれた。その通りだ。現在別居していて、夫とは日常的に接触がないから気楽にいられるが、たまに接触があると激しく動揺してしまう。それはまだ夫とは婚姻関係にあって、夫からの影響力が私に及ぶのだと思っているせいだ。もう夫とは他人になることが一番いいのだ。


 私はいったい何にしがみついているのか。
 私は決断できるのだろうか…。



奇襲、その意味とは

2006-06-11 15:17:35 | 離婚に向けて
 この前、久々に夫から突然の電話があった夜、私の心身は一瞬戦闘態勢になった。心臓がドクドクし、いろいろな思考が頭の中を駆けめぐって冴え冴えとし、一種の興奮状態に陥った。電話中、夫の言葉を聞き漏らすまい、何かのときの証拠にしなければと、とっさに何かの紙とボールペンをとり、夫と話しながらメモをとり続けた。そして夫の言葉に対して、どのような反応をしたらよいか一生懸命考えたが、有効な対応もできずに電話を置くこととなった。その後私は檻の中のクマのようにうろうろと歩き回った。これはどういうことだろう、私は何をすべきなのだろう、私は夫の話にどんな答をだしたらよかったのだろう、夫に対して最も効果的な対処法はいったいなんなのだろう…。

 私は夫の言葉を書き写した走り書きをじっと見つめた。そして夫の言ったことを考えた。

『電話したのはお礼とお詫びが言いたくて連絡したんだ。あなたを最後まで愛していけなくて悪かった。こんな電話をしたのも、今のうちに伝えておこうと思って。これは詳しくは言えないが…ある事情でもう君と会えなくなるかもしれないから。事が済んだらほんとうは直接君にあってそのことを言おうと思ったんだが…どうなるかわからないから電話した。今週いっぱい休暇を取っている。』

 どうも何らかの病気に罹り、入院あるいは手術かなんかをする、と言いたいらしい。それがうまくいくかわからないので、死ぬ前に私にひとことお礼を言おうといういい人ぶったポーズをとっているのだろう。言葉では何でもただで言えることだ。しかも、何気なく同情をひこうと大袈裟な言い方をしている。実際に夫は些細な体調の変化でも大袈裟に騒いで検査をし、いつも異常なしだった。今回もその可能性はある。

『それから今のマンションを売却しようと思っている。そのうち司法書士か弁護士から書類が届くので売却に関する委任状に判を押して欲しい』

 夫は私が別居する前、「別居するんだったら、マンションの名義変更しておけよ」と言っていた。それを無視して別居を決行したら、名義変更の要求の手紙を送ってきた。しかし書類は全部夫のもとにあり、そんな手続きの方法を私は全く知らなかったのでメールで「私はわからないので、書類を準備してくれたら印鑑を押す」と知らせていた。マンションを売却するのはお金が欲しいのだろう。私の共有名義分も要求したいが、そうすると残っているローンを私にも負担しろと言いそうだ。

『もしかしたら俺も年だし…長くないかもしれない。俺の手帳にも何にも君の電話番号は載っていない。でも、何かあったら警察から君に連絡が行くと思うマンションの合い鍵はいつでもポストの中に入れている。警察立ち会いのもとだったら、そのポストを壊してマンションの中に入れるだろう…』

 いかにも俺さまはもうすぐ死ぬとばかりの言い方。ひとり暮らしだから室内で孤独死するかもしれない、と脅している。しかも私の連絡先は外部にわからないようになっていると言いながら、ポストにはいつも合い鍵が入っている、と言う。心配だったらいつでも見に来いよ、とでも言いたいのか。こっちだってひとり暮らしでいつどうなるかわからない。甘えるな!と言いたかった。

『職場の休暇明けには辞表をだすつもり。もう仕事をやめようと思って。どうしても担当しているものは、他の人にお願いしなければならない。俺自身どうなるかわからないから』

 前も仕事を辞めたいと言っていたが、本当に辞めるのかはわからない。それほど重病だと言いたいのか。ただ夫には不動産収入があるから、仕事を辞めても贅沢三昧しなければ十分食べていける。その上マンションも売却するとなったら、退職金も合わせ十分すぎる収入が見込めるはずだ。世話してほしければ家政婦でも雇えばいいことだ。今更私が心配する必要はない。でも死ぬんだったら葬式とか面倒だ…しかし今すぐ離婚しようなんて言うのもタイミングが悪い。実際には夫の具合はどうなっているのだろう…。

 私は自分だけで考えてモラ夫の作戦に巻き込まれないようにと、モラハラ特別対策本部(←いったいどこでしょう!?)に通報した後、夫のことをよく知っている知人に連絡をし、「夫から意味不明の電話があったのですが」と夫の体調について尋ねてみた。すると、どうも内蔵系に腫瘍ができており、それを取り除く手術をする予定にはなっているようだった。それが良性か悪性かはわからないが、夫は悪性だと思いこんでいるようだった。夫は早々と自分の寿命は長くないと思い込み、仕事も辞めて療養生活を送ろうとしているのかもしれない。しかし…死ぬと思っていても長生きする可能性もあるだろう。あまり慌てて行動しないで静観していたほうがいいのかもしれない…。

 そしてモラハラ対策特別本部モラハラ特別情報部員の方々(笑)とも協議した結果、相手が何を意図しているのかがはっきりするまで静観しておこう、ということになった。もしかしたら、病気を理由に財産整理をしようとしているのかもしれない。でも相手から離婚を言い出さないところをみると、何か別に意図があるのかもしれない。とりあえずこちらに離婚を急ぐ理由(例えば彼氏ができたとか←あり得ない…)がないので、相手の出方を窺いながら、対策を考えていくことにした。
 頭では夫が病気であろうと寝たきりであろうと関係ないこと、と思っていても、法律上はまだ婚姻関係にあるので、入院したときなどは何かしたほうがいいのだろうか…なんて考えが一瞬頭をかすめたが、「こちらは散々嫌な目にあって苦しんできたのだから、そんなことする必要はまったくなし!」と力強い一言をいただき、私のしていることは非情でも何でもないんだと、ほっと安心した。
 この前コメントをいただいた皆様からも、同じようなことを言っていただき、心底ほっとした。モラハラ被害の事情を知るゆえに理解してくださっている皆様の暖かい共感とアドバイスはとても嬉しい。きっと何も知らない、ごく普通の夫婦生活を送っている人に言ったら「夫が重病だったら、行った方がいいんじゃないの?」「いくら嫌いで別れたって、最後は悔いのないようにお世話していたら?その方が心残りがないよ」なんて言われそうである。
 実際、お世話しちゃったら、もっと激しく自己嫌悪に陥るだけだと思う!

 ということで、とにかく静観することにした。
 それにしても夫が死ぬ前に、ぜひ言いたいことがたくさんある。私がどんなに苦しみどんなに辛かったか、黙って我慢していた私の気持ちをぶつけたい。しかしこちらが夫に気持ちを伝えてもわかってもらえるどころか、夫が揚げ足取りに利用して、私がいかに悪妻だったかを周囲にばらまくだけだということもわかりきっている。そう、理解し合うなんて今までもこれからもありえないのだ。夫は友人達には自分の入院を知らせ、お見舞いに来させ、「妻はきません」とでも言うのだろう。嫌な男だ。


 もう気にせず、ほっておこう。夫は夫の人生を歩み、私は私の人生を歩めばいいのだ。もう私が夫にできることはなにもない。もう何も…。


別居の次

2006-05-21 22:21:52 | 離婚に向けて
 5月というのに、まるで梅雨のようなジトジトしたお天気が続いている。晴れたと思ったら雨、肌寒いと思ったら、蒸し暑いという不快感。新緑だけは雨に濡れて輝き、匂い立つばかりだが、私の気分はどうも沈んでいる。今の季節は、カラッと爽やかに晴れ上がって欲しい。冬物の洋服も順に洗おうと部屋の隅に積み上げてあるのに、やる気がおきない。
 加えて、最近仕事が忙しく精神的に追い込まれている感じだ。昨日は研修、今日は職場で資料作りだった。憂鬱…。こんなとき、厭世的なことばかり考えてしまう。「働き続けるのはしんどい…いつまでこの身がもつか不安」「早く定年退職してのんびり暮らしたい」「いつ死んでもいい」「違う仕事の方があってるかも」「夢のように人生が終わってほしい」などなど…(お聞き苦しいグチでした)。
 でも現実はそううだうだ言っていても仕方がないので、結局は目覚ましを2つセットし、朝必死で布団からはい出し、何とか仕事にでかける。こうやって仕事があるだけでも幸せなことなのだろうと思ってはいる。実際仕事がなかったら、それこそ憂鬱になってしまうのだろう。食べていける幸せに感謝しなければ…ね。きっとこんな気分になるのも、このお天気のせいに違いないっ!ということにしておこう。

 先日、憂鬱気分を紛らわそうと仕事帰りに友人と飲みにいった。仕事のグチや噂話、そして私の話になった。友人は「だんなさんから連絡ないの?」と聞いてきた。私は「うん、全然ないよ。ぜ~んぜん。」と答えた。「まったく?」「うん、まったく」「そうなんだ~」と目を丸くする友人。そして「じゃあこれからもう一緒に住む可能性はないの?」と言うので「まったくないよ。可能性ゼロだね~」と答えると「じゃあ、早く離婚したら?このまま生活していて何かあったら大変だよ~。」と言われた。「もしだんなさんが事故で大けがして入院したらウメに連絡が行くよ~」「え~、連絡来たってわたしゃ知らんよ」「でもさ~、今のままだったら結局ウメが手続きしなくちゃいけないんじゃないの?それでもし、だんなさんが死んだらどうするの?ウメがお葬式だすことになるんじゃないの~?」「う~ん、それは嫌だよね~。もしだんなが死んだら火葬だけして骨は散骨して自然に帰ってもらおうかな~。墓はなし!」「え~っ!?ほんとにそれで済むと思ってるの~?」「済まないかな~。逆に私が死んだらだんなが葬式することになるのかな~。それって絶対嫌だわ~!」「でしょ~?何もないうちに早く離婚してすっきりしちゃったほうがいいよ~」「そうだよね~」「だって例えばボケたり病気なんかになって、だんなさんが寝たきりになってから離婚するっていうのも後味悪くなるんじゃないの?」「いや~、ならないけどね~…はは」「ウメはまだ先があるんだからさ、早くケリつけたほうがいいよ。いい出会いが待ってるかもしれないし~」「え~、男と住むのはもういいわ~。しかも自分が選ぶ男って、危険なタイプになっちゃうのかもしれないし」「これで十分学習したから大丈夫だよ。次にいい出会いがあったらまず私に見せて!私が危険な男かどうかちゃんと見極めてあげるから」「う~ん、いまいち自信がないけどねえ…」

 この友人の両親は非常に仲が悪く、いつも母親から「あなた達(子ども)さえいなければとっくに離婚していたわ」と言われていたそうだ。友人は子ども心に結婚はろくなものじゃないと思い続けてきた。だから何人かの男性とつきあいながらなかなか結婚までいかなかったし、その男性は私も好む?危険なタイプだったそうだ。しかし40才も近くなった最近、いい人と巡り逢い結婚した。友人は、この年になって自分の傾向もいろいろわかったからこそ、今の夫と出会えたのだ、と言う。
 う~ん、私は早まったのかなあ。。。。

 私が夫と別居してしばらくは、別居のために消費した多大なるエネルギーを取り戻すまでが大変だったし、とにかく自分自身を立て直すことに時間を費やした。まずは夫からなにか嫌がらせがあるのではという恐怖がしばらくあった。そして自分なりに努力した結婚生活が無残なものになったことを認めるのは非常に辛かった。また、結婚生活を築けなかったことで、ダメな妻=ダメな女と世間から見られるのではないかという劣等感にも苛まれた。しかし別居して2年近くが経ち、徐々にそれらの思いから抜け出しつつある。とにかく、夫とどこかでつながっていたら、何かあったとき、ろくな事にはならないだろう。しかももう私にとって結婚生活は遠いものとなりつつある。離婚について、もうそろそろ動き出してもいいのかなぁ…とも思う。
 しかし…そこで夫に連絡をとることに躊躇してしまう。あの声、あの冷たい目、できれば私はもう夫と話したくもないし顔も見たくない。どうしても恐怖の感覚が先に立ってしまうからだ。あの罵声を再び浴びたら、頭の中が真っ白になってしまうかもしれない。そう思うと、何事もなく夫から特に連絡もなく平和に過ぎている今のまま過ごしたくなってしまうのだ。

 夫に何を言われても、もう揺るがずにキッと前を見つめて行けるよう、トレーニングしなければいけない。あいつは不安で空虚な存在なんだ。あいつが何を言ったって、もう私の人生がどうなることはない。あいつが何と言おうと聞き流して、淡々と進めていけばいいのだ。私は大丈夫、私はきっと大丈夫…。こんなふうにもっと強く思いたい。

 対決はいつの日か?…やっぱりまだちょっとコワイ、かな~