ウマさんの気ままな行動日記(その2)

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世界文化遺産に登録されると良いね 「富岡製糸場」

2007年06月06日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2007年6月4日(月)

今年1月に文化庁の「世界文化遺産」への国内暫定リストに登録された、「富岡製糸場」を見学(400円)した。
この6月にもユネスコ委員会で調査するか否かの結果が決まり、調査するとの決定が出た場合には、
その結果(世界文化遺産への登録可否)が出るまで4-6年ほどかかるとのことである。まだ先は長い。

団体客と一緒にボランティア案内人に着いて回った。
全部の説明にはたっぷりと1時間はかかるので、お急ぎの人には向いてない。正直ちょっと疲れた。

「富岡製糸場」の正門。門を入ってすぐ右横(東繭倉庫前)に、明治6年に明治天皇の要請により、
皇后・皇太后ご一行が行啓され、皇后が詠まれた碑が建立されている。
『いと車 とくもめくりて大御代の 富をたすくる道ひらけつつ』  当時が偲ばれる。
 


東繭倉庫、長さ104m、幅12m、高さ14m。木柱梁の赤レンガ造り、和洋折衷である。
門中央に「明治五年」の操業開始を記している。
  


西繭倉庫全景
東繭倉庫と同じ造り、大きさだ。ただし、中央の通路はない。
 

「製糸工場」の煙突。
現在は、コンクリート製となっているが、当時はレンガ積みの基礎に鉄製の筒を積み上げた鉄製煙突だった。
高さは煤煙を遠くに飛ばすため36mもあったとのこと。


左は「操糸工場」全景。
右は「操糸工場」内部。繭から生糸を取り出す作業が行われていた。
当時400余名の若い”工女”さん達が地方から集められて、働いていたとのこと。
建物の全長は141m余と長い。
当時蛍光灯などなかったため、採光を良くするため、梁は白く塗られ、ガラス窓を採用。
創業当時は世界最大規模の製糸工場だったとのこと。
 

「富岡製糸場」は開始当時は、官営で政府の肝いりで始められたが、開始20年で民営移管されており、
昭和14年からは「片倉工業社」が操業していた。
現在は、平成17年に富岡市が「片倉工業社」から譲り受けて管理している状況である。
なお、昭和62年に創業は停止している。

今年の1月に国内暫定リストに登録された段階で、提灯行列までして祝った富岡市としては、
何としても「世界文化遺産」への登録を期待していると思われる。
私としても、「世界文化遺産」に登録されるよう心から応援したいと思うが、
工場の塀の外側は道路が狭いうえ、一方通行で規制が多く、かなり不便である。駐車場も少ない。
「世界文化遺産」に登録されたら、大渋滞で大変なことになるのは目に見えている。
周辺道路の早急な整備を望みたい。


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