2010年11月25日(木)
「県南高齢者はつらつ百人委員会」主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると認定証が交付されることになっている。
今回が15回目で、この日は、コースNo.18の約半分にあたる古渡橋(ふっとばし)から妙岐ノ鼻までの約14Kmを歩くものである。
集合場所は、この日のゴール地点妙岐ノ鼻の野鳥観察舎で、ここから車2台に分乗して、出発地点の古渡橋に向かう。
今回の撮影ポイントは浮島園地内の「関東ふれあいの道」案内板前になっている。
この日のコースは、過去3度(2月18日、4月22日、10月28日)も雪や雨で延期になっている因縁のコースである。
この日は4度目の挑戦ということになる。
妙岐ノ鼻の野鳥観察舎
時折、野鳥好きの人が訪れて、双眼鏡を覗いていた。
この日は、全部で9名が集まった。
この会にしては珍しく、女性が4名と約半数を占めた。
車2台に分乗して、出発地の古渡橋(ふっとばし)に到着。
10時ちょうど、妙岐ノ鼻の野鳥観察舎を目指して出発だ。
古渡橋の上からの眺望
管理人より、この辺りは淡水の真珠養殖が盛んなことを聞かされる。
淡水真珠は、池蝶貝という淡水生の大きな二枚貝で養殖される真珠で、
直径5ミリ程度で2~3年、10ミリに育つには10年の歳月がかかる。
霞ヶ浦や新利根川で養殖される淡水真珠は、茨城県の推奨品の指定を受けている、とのこと。
霞ヶ浦湖岸に出て、空気を胸一杯に吸い込む。
広々として実に気持ちが良い。
霞みがかかったような筑波山が見える。
道は平坦で歩き易い。
暑くもなく寒くもない。
歩くのに快適な状態である。
歩き始めて約1時間5分、最初の休憩。
土手の上なのでベンチなどなく、立ったままの休憩だ。
持ち寄ったお菓子が振舞われ空気が和む。
そこに、音も無く自転車が近寄ってきた。
何と、ベテラン会員のYさんではないか。
トレーニングのため、霞ヶ浦を一周している最中であった。
朝7時に土浦を出発し、時計周りに霞ヶ浦をほぼ一周してきたとのこと。
本物の鉄人である。
土浦に向かうYさんとは別れ、妙岐ノ鼻を目指すことにした。
「関東ふれあいの道」は指示していないが、
あえて霞ヶ浦の砂を採取している工事現場を抜け、湖岸を歩く道を進む。
砂採取の工事現場
砂の山があちこちに見られる。
この辺りは良質の砂が採れるそうだ。
砂を運ぶダンプカーがひっきりなしに走るため、
アスファルトの道は危険で歩けない。
一段高い土手の上を進む。
途中から一段高い土手の道が途切れ、
田んぼの畦道を進むことに。
でこぼこして歩き難い。
何か白いものが干してある。
霞ヶ浦で獲れたものらしい。釜揚げシラス?
珍しがって観ていると、女主人が出てきて、試食を奨めてくれた。
白魚とのこと。
茹でた後、薄く塩の味付けがしてあり、驚くほど美味しい。
中に案内され、次ぎは海老を奨めてくれた。
お腹が空いていたせいもあったのか、これもなかなか美味しかった。
昼食前で、兎に角お腹が空いていたので、先ずは軒先を借りて
弁当を広げた。
この日は天気も良いし、外での昼食を想定していたのだが、
思いがけずに佃煮屋さんでの昼食となった。
昼食後、あらためて店の中を覗いてみると・・・
白魚、海老の煮干しをはじめ、ごり(はぜ)、海老、公魚(わかさぎ)
などの佃煮が市価よりかなり安く売られていた。
佃煮が大好物な私にとって、これを見過ごす手はない。
それぞれ、たっぷりと試食をして味を確かめ、
土産に、とリュックに入りきれないほど、買ってしまった。
ほぼ全員が買いもの、というのはこれまで記憶がない。
女主人も大喜びである。
ついでに佃煮の作業場を見せてもらった。
大きな釜が並んでいた。
今でも霞ヶ浦で漁をし、佃煮にして売られているのを見て
少しばかり感動を覚えた。
帰り際に、女主人が『みんなで食べてっ!』と公魚の佃煮を
気前良く分けてくれて、益々感激。
パンフレットには、「伊藤商店」と書かれていた。
浮島園地を目指す。
和田岬の浮島園地はかなり広い。
みんなで手分けして撮影ポイントを探した。
やっとのことで撮影ポイントを探し出し、
それぞれ記念撮影を済ませた。
松の木に生えた緑色の苔について説明する管理人。
苔は、雨水や腐りかけた古い樹皮からしみ出す養分で育つため、
苔が松の木から養分を吸い取ることはなく、
樹皮に張り付いているだけ、とのこと。
そのままにしておくのが一番のようだ。
和田岬の入り江には、”あさざ”が植えられており、
「あさざプロジェクト」の看板が。
あさざが湖岸を埋め尽くすほど育って欲しいものである。
和田岬を回ると、野鳥観察舎は間もなくだ。
まだまだ管理人の説明が続く。
毎回、いろんなことを教えてもらって勉強になる。
14時40分、出発地の野鳥観察舎駐車場に到着。
帰路の途中、景行天皇が東夷征伐の帰路に立ち寄った、
とされる碑があるというので寄ってみた。
”お伊勢の台”と言われる小高い丘を登ると、
小さな碑が建てられていた。
景行天皇は、『日本書紀』に書かれている十二代天皇で、
紀元51年に天皇になり、以後60年間即位していたと言われている。
日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である。
景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたと言われている。
常陸国風土記「信太郡」には、東夷征伐の帰路に浮島に立ち寄り、
30日余り滞在された、と記されている、とのこと。
今から二千年ほども前、天皇が都を離れて30日余りも滞在する、
と言うことがどのような意味をもつのか全く想像ができない。
遠い風土記の世界に想いを廻らせながら、帰路についた。
”ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次”
「県南高齢者はつらつ百人委員会」主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると認定証が交付されることになっている。
今回が15回目で、この日は、コースNo.18の約半分にあたる古渡橋(ふっとばし)から妙岐ノ鼻までの約14Kmを歩くものである。
集合場所は、この日のゴール地点妙岐ノ鼻の野鳥観察舎で、ここから車2台に分乗して、出発地点の古渡橋に向かう。
今回の撮影ポイントは浮島園地内の「関東ふれあいの道」案内板前になっている。
この日のコースは、過去3度(2月18日、4月22日、10月28日)も雪や雨で延期になっている因縁のコースである。
この日は4度目の挑戦ということになる。
妙岐ノ鼻の野鳥観察舎
時折、野鳥好きの人が訪れて、双眼鏡を覗いていた。
この日は、全部で9名が集まった。
この会にしては珍しく、女性が4名と約半数を占めた。
車2台に分乗して、出発地の古渡橋(ふっとばし)に到着。
10時ちょうど、妙岐ノ鼻の野鳥観察舎を目指して出発だ。
古渡橋の上からの眺望
管理人より、この辺りは淡水の真珠養殖が盛んなことを聞かされる。
淡水真珠は、池蝶貝という淡水生の大きな二枚貝で養殖される真珠で、
直径5ミリ程度で2~3年、10ミリに育つには10年の歳月がかかる。
霞ヶ浦や新利根川で養殖される淡水真珠は、茨城県の推奨品の指定を受けている、とのこと。
霞ヶ浦湖岸に出て、空気を胸一杯に吸い込む。
広々として実に気持ちが良い。
霞みがかかったような筑波山が見える。
道は平坦で歩き易い。
暑くもなく寒くもない。
歩くのに快適な状態である。
歩き始めて約1時間5分、最初の休憩。
土手の上なのでベンチなどなく、立ったままの休憩だ。
持ち寄ったお菓子が振舞われ空気が和む。
そこに、音も無く自転車が近寄ってきた。
何と、ベテラン会員のYさんではないか。
トレーニングのため、霞ヶ浦を一周している最中であった。
朝7時に土浦を出発し、時計周りに霞ヶ浦をほぼ一周してきたとのこと。
本物の鉄人である。
土浦に向かうYさんとは別れ、妙岐ノ鼻を目指すことにした。
「関東ふれあいの道」は指示していないが、
あえて霞ヶ浦の砂を採取している工事現場を抜け、湖岸を歩く道を進む。
砂採取の工事現場
砂の山があちこちに見られる。
この辺りは良質の砂が採れるそうだ。
砂を運ぶダンプカーがひっきりなしに走るため、
アスファルトの道は危険で歩けない。
一段高い土手の上を進む。
途中から一段高い土手の道が途切れ、
田んぼの畦道を進むことに。
でこぼこして歩き難い。
何か白いものが干してある。
霞ヶ浦で獲れたものらしい。釜揚げシラス?
珍しがって観ていると、女主人が出てきて、試食を奨めてくれた。
白魚とのこと。
茹でた後、薄く塩の味付けがしてあり、驚くほど美味しい。
中に案内され、次ぎは海老を奨めてくれた。
お腹が空いていたせいもあったのか、これもなかなか美味しかった。
昼食前で、兎に角お腹が空いていたので、先ずは軒先を借りて
弁当を広げた。
この日は天気も良いし、外での昼食を想定していたのだが、
思いがけずに佃煮屋さんでの昼食となった。
昼食後、あらためて店の中を覗いてみると・・・
白魚、海老の煮干しをはじめ、ごり(はぜ)、海老、公魚(わかさぎ)
などの佃煮が市価よりかなり安く売られていた。
佃煮が大好物な私にとって、これを見過ごす手はない。
それぞれ、たっぷりと試食をして味を確かめ、
土産に、とリュックに入りきれないほど、買ってしまった。
ほぼ全員が買いもの、というのはこれまで記憶がない。
女主人も大喜びである。
ついでに佃煮の作業場を見せてもらった。
大きな釜が並んでいた。
今でも霞ヶ浦で漁をし、佃煮にして売られているのを見て
少しばかり感動を覚えた。
帰り際に、女主人が『みんなで食べてっ!』と公魚の佃煮を
気前良く分けてくれて、益々感激。
パンフレットには、「伊藤商店」と書かれていた。
浮島園地を目指す。
和田岬の浮島園地はかなり広い。
みんなで手分けして撮影ポイントを探した。
やっとのことで撮影ポイントを探し出し、
それぞれ記念撮影を済ませた。
松の木に生えた緑色の苔について説明する管理人。
苔は、雨水や腐りかけた古い樹皮からしみ出す養分で育つため、
苔が松の木から養分を吸い取ることはなく、
樹皮に張り付いているだけ、とのこと。
そのままにしておくのが一番のようだ。
和田岬の入り江には、”あさざ”が植えられており、
「あさざプロジェクト」の看板が。
あさざが湖岸を埋め尽くすほど育って欲しいものである。
和田岬を回ると、野鳥観察舎は間もなくだ。
まだまだ管理人の説明が続く。
毎回、いろんなことを教えてもらって勉強になる。
14時40分、出発地の野鳥観察舎駐車場に到着。
帰路の途中、景行天皇が東夷征伐の帰路に立ち寄った、
とされる碑があるというので寄ってみた。
”お伊勢の台”と言われる小高い丘を登ると、
小さな碑が建てられていた。
景行天皇は、『日本書紀』に書かれている十二代天皇で、
紀元51年に天皇になり、以後60年間即位していたと言われている。
日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である。
景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたと言われている。
常陸国風土記「信太郡」には、東夷征伐の帰路に浮島に立ち寄り、
30日余り滞在された、と記されている、とのこと。
今から二千年ほども前、天皇が都を離れて30日余りも滞在する、
と言うことがどのような意味をもつのか全く想像ができない。
遠い風土記の世界に想いを廻らせながら、帰路についた。
”ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次”
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