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うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

おかげ様で

2007-04-29 17:43:06 | Weblog
この週は、週間売り上げの自己記録を更新できました。

平日の5日で
「今年の最高クラス」が1回。「かなり良い」が3回。「まあまあ」が1回。
って感じだったので、土曜日が激落ちしたとしても、更新は間違いないと金曜の段階で思ってました。

で、土曜日は、激落ちというほどではないけど、かなり落ちました。
イオンのグランドオープン後の初めての土曜日なので、それなりに警戒はしてました。
作る量を減らそうかとも思いました。
でも、取りあえず、強気でいってみました。
結果論で言うと、失敗でした。

知り合いの店にも聞いてみたけど、落ちたという人もそうでもないという人もいたし、どれほどの影響だったのかもわかりません。
ただ、多くの人も、イオンの影響はあったのはあったんだろうという意見でほぼ一致しました。
今後どうなるかわからないけど、偶然か一過性のものであってほしい。
土曜日が落ちると、日曜日開ける展望が開けにくくなる。
日曜開けてるところは土曜日の入りも良く、土日のうち日曜閉めるとつられて土曜の入りが減るという説も聞きます。

正直、土日は駐車場の力が大きいと思う。
勤めの関係で食べてるうどん屋さんが気に入ってる場合は、家族を連れて土日も連れてくる人が多いのだと聞く。
平日の1が4になるんだと。
駐車場がないとそれが起こらない。

ともあれ、おかげ様で、週間売上げの更新ができ、月間売上げも営業日の数が少なかったので更新はしてませんが、月間の一日平均はたったの数百円とはいえ更新できました。平日に関しては、このペースがもう少し続けば、一息つけそうな感じがしてきました。
ちょっと前の調子いい日が、普通になってきました。

あの動きにくい24席が完全に24つ埋まり、2人ほどうろうろしているといううれしいけど良くないことも起き、毎日、入りきれないので中をのぞいては帰るという人が数人は見られるようになってきました。
金融機関にほんのちょこっとだけ胸を張って、「客数が増えて、身動きがとれなくなり、エアコンを天井に上げて、カウンター席を増設したり、計画してるんです。」と言えないことはないなあと思えてきました。


あと、小学校と校区の運動会のプログラムの広告もできあがりました。
1日で大慌てで案を出し、今回は、プロに編集してもらいました。
出来上がりは、かなり気に入ってます。

まだまだいろいろ不安定な要素はあるんですが
「皆様のおかげ様で」
と思えることが多いこの頃です。

世界の中心とアドホクラシー

2007-04-29 17:07:52 | Weblog
世界の中心はどこでしょうか?

ニューヨークは世界経済や金融や国際政治の中心かもしれない。

渋谷はギャル文化、秋葉原は萌え文化、ミラノやパリもファッションの中心かもしれない。

香川は讃岐うどん、もう一回り大きく、うどんの中心かもしれない。

あなたの家族や好きな人がそこにいれば、そこが世界の中心というのも正解だと思う。

世界の中心というのは、どこでもいいし、「香川が世界の中心だ。」と胸を張って言えることはいっぱいあるのだと思う。

そこでいい思い出をたくさんつくれば、その人の中で、そこは世界の中心になる。

香川が世界の中心であると思える人やその領域が増えることが、香川を良くするということの大きなカギのような気がする。

そこでは、応援してくれた。理解してくれた。自分を磨いたり、力を試す場所があった。楽しかった。
そういうことが世界の中心を広げていくのだと思う。
世界の中心を、記号論的にとか構造主義的に考えると、とても相対的なものになる。
ニューヨークや東京とかよりもむしろ、その人の頭の中がその人の世界の中心としかいいようがなくなるのかもしれない。

さて、よく官僚機構のビューロクラシーに対して、アドホクラシーという言葉が、組織論や情報論やコミュニティー論の世界で使われているような気がする。

先日の「辺境」の意味もアドホクラシーとビューロクラシーの関係と似たテーマだと思う。

平時に大量に物事を処理するのに、ビューロクラシーは最高に完成された組織形態といわれ、もともと官僚機構を意味する言葉ができたときは、それは最高の褒め言葉だったと思う。

「そこ!」
うどんジムは、イラクのクウェート侵攻からしばらく経った頃から、地域経済や国際競争などに平時なんてあるのだろうか?
常に、危機をあわせ持った変革期ではないだろうか?
辺境からのランダムな力が垂直統合的な組織のエネルギー集約よりも重要な課題であり続けるのではないか?
と十数年来ずっと思っていたわけです。

大規模な戦争が世界市場での供給力のバランスが崩れたときに起こって来たように、冷戦構造の終結から途上国の供給力が増大し続ける中で、永遠にわが国の地方経済は脅かされ続けるだろう。
当たり前のことかもしれないけど、うどんジムはそういう意味で、「平時」よりも「危機」の部分への警戒心をテーマに、物事を考えることが多かった。

なぜなら、憲法の前文の言葉を借りると、人は恐怖と欠乏から逃れられているなら、自分で幸福追求の機会を活かして、自分で考えて幸せを求める存在であるから、人の平時での幸福に、政府は介入を慎重にするべきだが、危機からは全力で人々を守るべきではあるという憲法解釈があったからだと思う。
一見ネガティブに聞こえるかもしれないが、着目すべきは、危機にこそあるという認識が常に働いていた。

そうすると、どうしても、ビューロクラシーでなく、アドホクラシー的に考えざるを得ない。
しかし、その管理志向の弱さゆえに、アドホクラシー的な考え方こそが、危機と離れて、人々の幸福に直結していくという面にも大きな意味がおけると思った。
官僚機構では中心が垂直的に決められているが、ランダムに創発的な拠点が起こり、ネットワークを構築していく構造では、多くの人が自分を主役にして活動していけるからだと思う。


どうかなあ?


アドホクラシーとネットワーク外部性とかうどんジムも消化し切れてない概念を持ち出すけど、今書いたことを足がかりに、もっと実践的に消化していけるようにしようと思う。
調整コストの低減にこそ意味があり、構成員が情報処理能力にそれなりのレベルを持っていないとアドホクラシーが成り立たないとするなら、うどんジムは、言うんなら、パソコンに強くならんといかんし、ちゃんんと家にインターネットつながんといかんやろうなあ。

うどんジム造語? コミュニティーファシリテーション

2007-04-29 16:43:58 | Weblog
プロ野球選手は、生活とか金銭や名誉などいろいろなもののために野球をすると思う。
そうはいっても、「野球そのものがうまくなりたい。」という当たり前に純粋なものを持ってる人が多いと思う。

ときどき、イチローさんのことを
「永遠の野球小僧」とかいうのを聞く。

うどん屋も、生活のためと同時に、「うどんそのものの技術を上げたい。」という純粋な気持ちを持ちやすい職種だと思う。
「永遠のうどん小僧」ってのはアリだと思う。
ときどき
高松市内の某有名うどん屋の名物おばあさんが、女性だから「小僧」とはいわれないでしょうが、それに似た意味で、マスコミで取り上げられていると思う。

じゃあ。
公務員の人は、「地域の人々の生活を良くしたり、問題を解決することを通じて地域を良くするためのアイディアや技術や知識など能力を不断に高めたい。」と生活や地位や担当を離れて思うはずのものではないだろうか?
「永遠の地域小僧」
野球選手が体のバランスを良くするために、利き手の反対で食事をしたり、歩き方などに生活の中で常に気を配るように、地域を良くするために分野を問わず、トイレでも信号待ちでも食事中でも、考えたりしないんだろうか?

でも「野球をする。」とはいうし、「うどんをつくる。」とか「うどんを打つ。」と言える。けど、「地域をする。」ってのは意味がわかならい。
道路掃除であれ、NPO法人の立ち上げであれ、チャリティーであれ、商店街の活性化のアイディアを出すことや店舗のバリアフリー化であれ、広い範囲のだれもが何らかの形で実践できるような意味での「地域を良くする。」という意味を一言で表せる動詞的な名詞をつくりたい。

「公益増進」何か違うなあ。
「パブリックなんとか」んんん。いいのが出ないなあ。

「コミュニティー」ってのはシティーもタウンも村もご近所も含むし、EUの前身のECはヨーロッパコミュニティーだったと思うので、国の連携まで何でも使える言葉だと思う。
あと、広い意味で「(意志を持って、力を加えたり、他者の力を高めることを通じて)物事を良くする。」というのは、「ファシリテート」って言葉が一番適切だと思う。
最近、会議などで、ファシリテーションとかファシリテーターという言葉が使われているけど、ファシリテートって言葉の使い方をとしては、うどんジムはこの意味が一人歩きして日本語になってしまうのはあまり良くないと思う。

今のところ、「地域を良くする。」という言葉を表すのに「コミュニティーファシリテーション」より適切な言葉をうどんジムは見つけられていません。
長いし親しみにくいかもしれないけど。


で、野球にしろうどんにしろ何も職業にしなくても、そのことに力を入れている人はたくさんいます。
「永遠の野球小僧」も「永遠のテニス小僧」もその辺にも大勢いる。

「永遠のコミュニティーファシリテーション小僧」も公務員や政治家やNPOの人達に限らずそこら辺に大勢いていいのだと思う。
歯磨きや信号待ちしてるときに、地域を良くするためのアイディアを一生懸命考えているような人がそこら辺にいっぱいいて良いのだと思う。

さて、コミュニティーファシリテーションは、野球やテニスのように楽しめて人を燃えさせて当たり前に身近なものになるでしょうか?
高じれば、必ず、他者の利害と摩擦を起こしていく点、難しい面はあるでしょうけどねえ。

バイオエタノールって何のため?

2007-04-29 15:53:08 | Weblog
最近、バイオエタノールの原材料の作付けのために、食糧用の農地が減って、いろんな農作物の値段が上がってると聞く。

あまり詳しいことがわからないんだけど、バイオエタノールのCO2削減効果よりも、食糧不足の問題の方がより世の中に大きく切実な悪影響を与えないのでしょうか?
直感的に素直にそう思うけど、うどんジムの理解不足でしょうか?
参考資料などどなたかご提示下さるとありがたいです。

私たち先進国ですら、食糧の値上げの影響を受ける。
世界的にわりに裕福で、買い付けも貧困な国よりも強いと思う。
だとすると、私たちが高くなったと言ってるときに、貧困な国では飢餓に直接つながったりしないのだろうか?

また、食糧用作物の耕作地が減って、収量が下がるのに、中国やインドなど人口の大きな国の消費が増える。
すると、あまたの作物で、農薬を増やしたり、遺伝子組換をバンバン行っていくことにならないだろうか?
昔から、収量を上げたり安定させるために農薬を増やしてきたというのは歴史の事実じゃないんだろうか?

一般的に、環境問題は、農地が減って飢餓が進行したり、病害虫が増えたりすることや水不足なども大きな問題として、心配されていると思う。

バイオエタノールは環境に良いというが、砂糖キビなど原料の栽培にはかなりの水を使う。
仮想水という言葉があるが、ハンバーガー一個つくるのに、主に牛肉の飼育や飼料栽培などに使う水など約1000リットルの水がいるといわれている。

食糧のための農地を減らし、飢餓を進行させたり、私たちの口に入る食べ物の農薬が増えたり、世界的な水事情を悪化させてまで、バイオエタノールをつくって、トータルで環境にプラスの意味があるのだろうか?
農作物からのバイオエタノールの製造って、環境を悪化させる行為ではないのでしょうか?

建築廃材などからもバイオエタノールって、つくるんでしょうが、
その比率がよくわからない。
休耕地を燃料用作物の栽培地に変えることで、食糧用作物の栽培地にできる場所も増えるのかもしれない。
技術的にも実用的にも過渡期で、今はいろんなことが途上にあって、今の状況でバイオエタノールというものを評価できないのかもしれない。
バイオエタノールを推進している人たちの言い分というのをうどんジムはまだじゅうぶんに理解していないと思う。

だけど、うどんジムの、「燃料のために飢餓を進行させたり、庶民の生活を圧迫してないの?それは環境破壊と同じじゃない?」という素朴な疑問に推進派は、細かいところまで論拠を示せて当然だと思う。
そんなことにも答えられないなら、ほんとやめた方がいいと思う。
いろんなものを痛めつけて、車社会を擁護しているだけでないんだろうか?

アメリカの政権や、自動車産業や、エネルギー会社や、商社の力は強い。
バイオエタノールを推進する人の声は大きくて強いけど、庶民や中小商店や貧困国の声は、政治的に弱い、だから、バイオエタノール批判の声がまだ小さいというのはないんだろうか?

ほんとこの段階は、うどんジムの素朴な疑問で、まだそんなに勉強してないんです。
いろいろ教えて下さる方があればうれしいです。