七月は波乱の予感、と先日自分で書いていた。
まさに、予感的中といおうか、感染者急増の最中、今や大した波乱ではないのかもしれない。
やっと、今月から仕事に復帰した息子が、土曜の朝、熱っぽいと病院に行って、すぐに帰ってきて、コロナ抗体検査陽性とのことだった。
やれやれ、と思ったが、とにかく家で隔離して療養しなければならないとだけ理解した。
何かしてほしいことがあるかと訊いたが、特にないという。ただ、私たち夫婦が同行援護を仕事にしているので、雇い主に、一応家族にコロナ感染者が出たことを知らせておくようにとのことで、メールで雇先に、その旨知らせたが、我々夫婦はかねての予定通り、墓参りに出掛けることにした。
出かける前に、夫が眼科から出ていた抗生剤の目薬が無くなるというので、眼科受診も午前中に済ませようと決めて、先方に連絡を入れた。
そうこうしているうちに、雇先から、同居の濃厚接触者にあたるので、検査を受けるようにと連絡が来た。
PCR検査は保健所で無料で受けられるが、保健所は土日を受け付けるものかわからない。そのうえ、抗体検査はその場ですぐ陽性か陰性かが判明するが、PCR検査は結果がわかるのは翌日以降という。
翌週にいつもより多く、3回の同行援護の仕事を入れていたので、早く陰性を証明したいと思い、息子の判定をした医院に、連絡を入れて抗体検査をしたいと相談した。医院による抗体検査は、症状がある人に限られるという返事だったが、何が何でも早く結果が知りたいと、検査を了解してもらった。
いつも通り、花を買って墓参りに向かった。龍田霊園は遠くはないが、梅雨の直後のせいか、コケや汚れが目立って、掃除に手間取ることになった。
ギラギラの太陽の下、ていねいにコケを落として、花を入れ線香を手向けて、時計を見ると、12時15分前。内科医院に、私を落としてもらい、目の炎症を抑えなければならない夫は眼科に向かうことにした。
内科の抗体検査は、車で来るなら車の中で検査をしたいので、着いたら電話をするようにと、言われていたが、事情を言って、別の入り口から、隔離室に入れてもらった。迷惑な患者だが、普段からお世話になっている顔見知りの医院なので、わがままな申し出も嫌な顔をしないで対応してもらえたようだ。
結果は陰性で、ほっとした。
支払いも終わったころ、夫が無事抗生剤の目薬をもらえたので迎えに来ると、連絡が入った。土曜日の診療時間ギリギリに、必要な処置ができたことになった。
その時、コロナ感染者の同居の家族、濃厚接触者、と言葉で、なんとなく聞いたことがある立場が、どういうものかまだ理解していなかった。
息子は部屋にこもり、家族と接触しないようにするというので、トイレは二階の実を使う事とし、部屋の換気と、話すときのマスクを決めごとにし、私の寝具などを、一階に移動させた。会話は主にライン、熱が上がってきた息子は、食欲はまるでないというので、水分を運ぶことが主な介護の仕事となった。
息子は、保健所から電話が来るはずというが、結局その日は電話はこないで、掛かってきたのは翌日昼過ぎだった。
医院で陽性者が出た場合、保健所に知らせることになっていて、保健所が感染者本人と電話で連絡を取って、それ以降感染者管理センターの管理下に置かれることになり、メールでやりとりをするという。パルスオキシメーターなる酸素濃度を測定する機械を希望すれば貸与されるというので希望したので、受け取ってくれとのことだった。
すこしずつわかってきたことだった。私の抗体検査は特に意味はなかったわけで、濃厚接触者は、家族の対応以前に、家から出てはいけないわけで、介護関係の仕事につくことは出来ないとわかったのはだいぶたってからだった。
雇先から、来週の仕事は遠慮してほしい旨連絡が入り、予定が亡くなって突然暇になってしまった。オミクロンの変形ba5は感染力が強いというが、同居家族は接触しないようにするのが感染予防だし、換気が、予防の基本ということでマスク着用が大切、食事の世話は、できるだけ接触しないように、部屋の外におき、それを取りに行くようなやり方になる。
熱で食欲がないというので飲み物のやり取り以外何もしない、様子を聞くだけという状況だったが、普通のインフルエンザの症状と変わらないという感じだった。要するにじっと寝ているほかはない。
掛かってくるという感染者への電話は待てど暮らせど、掛かってこない。ましてや、同居家族の規定はさがしてもなかなかたどり着かなかったし、不安は募った。この爆発的感染者の増加状況下、感染は家族間で起こることが6割というデータもある。この感染予防策がどれほどの効果があるのか、すでに感染している可能性もなくはないのでは、、
家族に感染者が出たといっても、自主規制のほかなにもない、これでは感染予防は難しいのではないかと改めて思った次第だ。