お茶の子ワールド

日常と、背中合わせの非日常
どちらも私の世界
お茶の子ワールドに遊びに来てください!

長編小説を読み始めた

2022-05-13 23:37:24 | Weblog

 紀元前35000年から25000年にいたる洪積世後期ごろのうちの亜間氷期の人類の祖先たちの姿を、莫大な量の調査、研究を基に作り出された長編小説が、ジーン・アウルという1936年アメリカシカゴ生まれの女性によって世に出されていた。

 18歳で結婚、25歳までに5人の子の母親となる。28歳でエレクトロニクス会社に就職、事務職から初めて、回路盤設計者、テクニカルライターを経て審査部長まで昇進したが40歳で会社を辞め、小説を書き始めた、、、という簡単な経歴を見るだけでどんなユニークな女性なのだろうかと驚くが、彼女の手になるこの小説が世に出るとたちまち多くの読者を得たという。

 申し込むとすぐ図書館から借りられた中村妙子さん訳「始原への旅立ち」は4部作とあり、「大地の子エイラ」上中下三巻が第一部とあった。奥付に1983年初版発行とあり、現在第五部を執筆中と、あった。(この現在とはいつのことか今は不明)

 この大作をよく理解していなくて、ジーンアウルの大作の一部、と借り入れたものが白石朗氏の手になるものだった。「エイラー地上の旅人」という題で全16冊、第16冊目は初版が2013年とある。

 というわけで、これもHさんとの朝のお散歩で紹介していただいたものだ。分厚いハードカバーで16冊とは読み通せるものか自信はないと思ったが、読み始めると忽ち引き込まれてしまったが、手違いで中村妙子さんの訳本は、2冊目で途切れてしまった。

 たくさんの調査をもとに想像力を思い切り羽ばたかせた小説は、とにかくおもしろい。二人の訳者による16冊を2種、ゆっくり読んでみたいと思います。二人の訳者による作品は、表題からして違うのですが、まずは筋を追って、偶々手にした両氏による訳本を、つなげて読んでみます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦いやまず98歳

2022-05-13 00:15:03 | Weblog

瀬戸内寂聴さん亡き後

超高齢有名作家といえば、あとは佐藤愛子さん98歳か。

去年のの夏ごろ佐藤愛子さんの新刊が出たというので早速図書館に申し込んで、順番を待ちに待ってようやく

手にした「98歳。戦いやまず日は暮れず」

最後に、2021年庭に桜舞い散るころとして、筆を置くことを宣言された。

老後を書いて30年、楽しい文章をありがとうと言いたい。

人生80年時代が来ると、40代にいくら聞かされても自分にそういう時が来るとは思えなかったが今や七十代

結局、舅は102歳の天寿を全うしたし、年賀欠礼葉書の親御さんは90代の多いこと。

何を言いたいのか、90代を生きるとはどういうことか考えてみてもいいのかな、ということか。

佐藤愛子さんは、自分に起こった事実をネタにしたものしか書けないと言ってきた。

今回の「日は暮れず」の中にも、孫に、「それでよく小説家をやってきたね」とあきれられる下りがあった。

この人はそういう正直な人生を送ってきたからこそ、最近どうしてますかという感じでまた読みたくなる。

でも書かなくていいから、もっともっと長生きしてくださいな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鴨のつく駅名

2022-05-09 23:11:48 | 日々

鴨の付く駅名だったと思うんだけど、、、

辻堂ゆめの本の話をしていてそんな話題になった。

電車に乗って居眠りをしながら見る夢、というのだが、それはさておき東海道本線といえば

私のかつてのテリトリーではないか。

えっと鴨の付く駅名と言われて、あっ、確かにあったはずなのに出てこない。

こんなときはもちろんネットである。

七十代の脳みそはかくも劣化しているものか、鴨宮は降りたことこそないが、当たり前に通過していた駅ではないか。

東京、新橋、品川、川崎、横浜、戸塚、大船、藤沢、辻堂、茅ケ崎、平塚

藤沢市で生まれ育った私だが、東京方面は通学通勤と毎日のように乗車したが、平塚より向こうは関心がなかった。

まだ父が運転免許も車も持たなかった頃、

盆暮れには、平塚でバスに乗り換えては秦野市にある父の生まれ育った家に通った。

さて、平塚の次は大磯、二宮、国府津、鴨宮、小田原、早川、根府川、真鶴、湯河原、ここまでは神奈川県

次は、熱海、函南、三島、沼津と続く。

沼津には夫の転勤で5年間住んだので、その間藤沢の里には小学生だった二人の子供を連れてよく通った。

鴨の付く駅名が思い出せない七十代という事実を素直に受け入れよう。

そしてついでに、沼津の次は東田子の浦だったはずが、片浜、原、という二つの駅ができている事実を知った。

沼津と東田子の浦の間は駿河湾沿いに延々と何もない海沿いの鉄路だったはずが、子どもたちの通った片浜小学校と、

「原の白隠」と呼ばれた白隠禅師ゆかりの松陰寺辺り、と2か所も新駅ができていた。

忘れてしまったせいで、新たに調べて知ったといえる。

 忘れるのも悪いことばかりではないかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする