十和田湖国境(くにさかい)祭
青森、秋田、岩手の3つの県はその県境が四角岳(1003m)で隣接している。
県境に程近い、十和田湖畔 休屋地区に3県の伝統芸能や祭が集結して、それを一挙に見てしまおうというなんともおトクなイベントが十和田湖国境祭である。
『青森ねぶた祭』
もはや説明の必要もないであろう、青森県最大級の祭。
巨大で勇ましいねぶたと熱く舞い踊る跳人が織り成す祭である。
「神武東征(じんむとうせい)」
初代天皇の神武天皇は都を作るため、住んでいた九州高千穂から大和(現在の奈良県)を目指して、東に軍を進めた。
しかし、それに対抗するものがあった。大和の豪族の長、長髄彦(ナガスネヒコ)である。その激しい抵抗に神武天皇は苦戦する。
戦いの最中、金色に輝く鵄(とび)が飛んできて神武天皇の弓の先にとまった。光り輝く鵄の眩しさに、長髄彦の軍は目がくらみ、降伏した。
というシーン。(参考:wikipedia『神武東征』)
2008年のNTTグループのねぶたのようである。
外国人スタッフが多かったのが印象的。
『黒石ねぷた』
坂上田村麻呂が蝦夷を征伐したときのこと。篭城する敵に苦戦した田村麻呂は巨大なねぷたを川に流し、敵をおびき出す作戦を決行した。まんまと策略にかかる蝦夷の長は城から出てきたのである。ねぷたに見とれる蝦夷の首長はねぷたの中に隠れていた兵士達によって捕らえられたのだった。こんなトロイの木馬的エピソードに端を発するという黒石ねぷた祭。今年は大小扇型と人型のねぷた69基が参加した。
国境際に登場したのは今年の最優秀賞に選ばれた三嶋ねぷた愛好会のねぷたのようだ。移動のためか大型ねぷたを小型に作りなおしたっぽい。
ねぷたの上に2~3人の男が乗り、「や゛~れや゛~れや゛~れや゛~」と掛け声をかけていた。
『小坂七夕』HP
『忠臣蔵』
ブログ秋田・小坂の風景や便りですさんで見ると、2009年出場のだし。山車の下に人や太鼓が入っているのを確認できる。
明治の末頃、小坂鉱山(金、銀、銅が出るらしいよ!)に出稼ぎに来た青森の鉱夫が故郷をしのんではじめたらしい。鉱山の繁栄と豊作、鉱山で死んだ仲間の死を悼んで行われたのだとか。アニメキャラクターの山車が登場するのが印象的。HPではポケモンやマリオ、スティッチが見られる。
『盛岡さんさ踊り』
さんさ踊りの起源は、三ツ石伝説に由来しています。
その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼(らせつき)という鬼が暴れ、困り果てた住人たちは、三ツ石神社に悪鬼の退治を祈願しました。
すると神様が悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないという誓約として神社の三ツ石に手形を押させました(岩手の名の由来)。
喜んだ人たちは、三ツ石のまわりをさんささんさと踊り回ったのが始まりだと言われています。
盛岡は八戸から新幹線で30分という距離にありながら、これまで見る機会のなかったさんさ踊り。何人もの人が抱えた太鼓を叩きながら通り過ぎていく様子は大太鼓とは違った迫力があります。フチを叩く、カッという音も軽快でスピーディー。
〈通り太鼓〉
○ ○ ○ △ △
だんだこだんカトカと
● ▲ ●
○ ○ ○ △ △
だんだこだんカトカと
● ▲ ●
○●でどん。△▲はフチを叩くカッ。○△は左手。●▲は右手。
太鼓の達人よりも数段難しそう。
『秋田竿燈まつり』
誰でも小学校の掃除の時間、ホウキを手のひらに立てて何秒バランスをとれるか?っていう遊びしましたよね?
竿燈祭はそれのすごい版。超すごい版。例えるならそんな感じ。
一度は見たいと思っていたのだが、ねぶたよりは地味なイメージで、いまいち行く気になれなかった。でも一目見て、そのイメージは一転しました。
46個のちょうちんがついた大若は長さ12m、重さは50kg。それを手のひらはもちろん、肩や腰、おでこなどでバランスをとる。何本も継いで背を高くした竹がしなるしなる。バランスをとる技の妙と、竹が折れるんじゃないかというどきどき感はなんともスリリングでした。
∞doors×3D
立体に見えるでしょうか?
『ねぶた祭』
『晴山獅子舞』 十和田市晴山に伝わる獅子舞。
たくさんのお祭を一挙に見ることが出来る十和田湖国境祭。しかし、これは祭のほんの一部に過ぎない。だって、ホンモノのねぶた祭に出陣するねぶたは20基以上、ハネトは1万人以上。竿燈祭の竿燈の数は200本以上と、ケタが違うのだ。国境際はいわばデパートの試食みたいなもの。気に入ったお祭は来年はぜひ本物を見てみたいな~って思いました。
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青森、八戸ブログのリンクとしてもどうぞ!
青森、秋田、岩手の3つの県はその県境が四角岳(1003m)で隣接している。
県境に程近い、十和田湖畔 休屋地区に3県の伝統芸能や祭が集結して、それを一挙に見てしまおうというなんともおトクなイベントが十和田湖国境祭である。
『青森ねぶた祭』
もはや説明の必要もないであろう、青森県最大級の祭。
巨大で勇ましいねぶたと熱く舞い踊る跳人が織り成す祭である。
「神武東征(じんむとうせい)」
初代天皇の神武天皇は都を作るため、住んでいた九州高千穂から大和(現在の奈良県)を目指して、東に軍を進めた。
しかし、それに対抗するものがあった。大和の豪族の長、長髄彦(ナガスネヒコ)である。その激しい抵抗に神武天皇は苦戦する。
戦いの最中、金色に輝く鵄(とび)が飛んできて神武天皇の弓の先にとまった。光り輝く鵄の眩しさに、長髄彦の軍は目がくらみ、降伏した。
というシーン。(参考:wikipedia『神武東征』)
2008年のNTTグループのねぶたのようである。
外国人スタッフが多かったのが印象的。
『黒石ねぷた』
坂上田村麻呂が蝦夷を征伐したときのこと。篭城する敵に苦戦した田村麻呂は巨大なねぷたを川に流し、敵をおびき出す作戦を決行した。まんまと策略にかかる蝦夷の長は城から出てきたのである。ねぷたに見とれる蝦夷の首長はねぷたの中に隠れていた兵士達によって捕らえられたのだった。こんなトロイの木馬的エピソードに端を発するという黒石ねぷた祭。今年は大小扇型と人型のねぷた69基が参加した。
国境際に登場したのは今年の最優秀賞に選ばれた三嶋ねぷた愛好会のねぷたのようだ。移動のためか大型ねぷたを小型に作りなおしたっぽい。
ねぷたの上に2~3人の男が乗り、「や゛~れや゛~れや゛~れや゛~」と掛け声をかけていた。
『小坂七夕』HP
『忠臣蔵』
ブログ秋田・小坂の風景や便りですさんで見ると、2009年出場のだし。山車の下に人や太鼓が入っているのを確認できる。
明治の末頃、小坂鉱山(金、銀、銅が出るらしいよ!)に出稼ぎに来た青森の鉱夫が故郷をしのんではじめたらしい。鉱山の繁栄と豊作、鉱山で死んだ仲間の死を悼んで行われたのだとか。アニメキャラクターの山車が登場するのが印象的。HPではポケモンやマリオ、スティッチが見られる。
『盛岡さんさ踊り』
さんさ踊りの起源は、三ツ石伝説に由来しています。
その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼(らせつき)という鬼が暴れ、困り果てた住人たちは、三ツ石神社に悪鬼の退治を祈願しました。
すると神様が悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないという誓約として神社の三ツ石に手形を押させました(岩手の名の由来)。
喜んだ人たちは、三ツ石のまわりをさんささんさと踊り回ったのが始まりだと言われています。
盛岡は八戸から新幹線で30分という距離にありながら、これまで見る機会のなかったさんさ踊り。何人もの人が抱えた太鼓を叩きながら通り過ぎていく様子は大太鼓とは違った迫力があります。フチを叩く、カッという音も軽快でスピーディー。
〈通り太鼓〉
○ ○ ○ △ △
だんだこだんカトカと
● ▲ ●
○ ○ ○ △ △
だんだこだんカトカと
● ▲ ●
○●でどん。△▲はフチを叩くカッ。○△は左手。●▲は右手。
太鼓の達人よりも数段難しそう。
『秋田竿燈まつり』
誰でも小学校の掃除の時間、ホウキを手のひらに立てて何秒バランスをとれるか?っていう遊びしましたよね?
竿燈祭はそれのすごい版。超すごい版。例えるならそんな感じ。
一度は見たいと思っていたのだが、ねぶたよりは地味なイメージで、いまいち行く気になれなかった。でも一目見て、そのイメージは一転しました。
46個のちょうちんがついた大若は長さ12m、重さは50kg。それを手のひらはもちろん、肩や腰、おでこなどでバランスをとる。何本も継いで背を高くした竹がしなるしなる。バランスをとる技の妙と、竹が折れるんじゃないかというどきどき感はなんともスリリングでした。
∞doors×3D
立体に見えるでしょうか?
『ねぶた祭』
『晴山獅子舞』 十和田市晴山に伝わる獅子舞。
たくさんのお祭を一挙に見ることが出来る十和田湖国境祭。しかし、これは祭のほんの一部に過ぎない。だって、ホンモノのねぶた祭に出陣するねぶたは20基以上、ハネトは1万人以上。竿燈祭の竿燈の数は200本以上と、ケタが違うのだ。国境際はいわばデパートの試食みたいなもの。気に入ったお祭は来年はぜひ本物を見てみたいな~って思いました。
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でも、寄り目してたらねぶたもびっくりの歌舞伎顔になっちゃいますよね。
想像して笑っちゃいました。