tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

「建築絵師」という訳語

2005年08月19日 15時04分46秒 | DTP/Web
レム・コールハース著/鈴木圭介訳『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房 1995)という本を読んでいる。私が手に入れた本はハードカバー版だが、現在はちくま学芸文庫で安価に手に入れることが出来る。この本も文庫発刊後に手に入れたが、ハードカバーにこだわったのは、写真が多く使われていることと、カバーの装丁がなかなかすばらしいからだ。

内容は、ニューヨークという町の発展と、摩天楼の成立過程について書かれている。早い話が建築史の歴史について書かれた本なのだが、都会に超高層のビルを建てるという夢がどのように実現していくのかついて説明されている。

面白いのは、現在われわれが見慣れた超高層建築の大部分は、1900年代の初頭には荒唐無稽な未来の予想図のようなものとして描かれたということ。ということは、実現しないものとしての諦観の概念の現われでもあったのだ。

さて、こうした「諦観」漂う未来予想図を現実に変えるという技術者の苦労について書けば、プロジェクトXになってしまうが、本書はその方向の本ではない。むしろ現在ある高層建築の根底には、芸術的な発想のデザインが提唱した荒唐無稽さがあったことと、それを作り出した芸術家の方に焦点があたっている。

その中にあったのが標題の「建築絵師」という訳語。

いま、デザインを主体とする建築家の大部分は、荒唐無稽さよりも実用性の高さの方が優先されるし、そうしないと問題になる。でも、単なる絵を描くように、こうした荒唐無稽さが未来の建築を支えていた時代があったのだなということを再確認させてくれるのが本書だ。そしてデザイナーは画家や絵師であったということ。

デザインが優先されるDTPやWebは、今、どこまで未来を語っているのだろう。

地下鉄火災?

2005年08月18日 13時03分31秒 | Weblog
家に帰ってからの仕事が、2つ以上あるとブログの更新が難しくなる。
標題のネタは昨日の話だ。新聞にも3面のすみっこに出た。

大阪の中心を走る地下鉄御堂筋線。難波と心斎橋の区間で発煙が起きたらしい。
運転手の報告で騒ぎになった。この区間を調査してみたが、煙も火も見えない。
10分くらいして、とまった地下鉄の運行が始まったが、30分後にまた止めて、更に30分間ほど調査したらしい。

と、こともなげに書いているが、最初にストップしたとき、私の乗った地下鉄は、2駅先で足止めを食らった。事故が起こったらしい区間は、ホンの5分くらい前に通ったばかりだ。場合によっては、火達磨になっていたかもしれない。(だれです?喜んでいるのは?)

何もなかった訳だけど、ある意味強運だ。
サマージャンボは300円しか当たらなかったけど。

書評:遠山 他『昭和史』岩波新書 1955

2005年08月16日 23時51分00秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
昨日も書いたように今年は、終戦60年。十年ごとの節目の歳に何らかの企画が各メディアで行われているし、本屋でもフェアを行っている。だが、戦争を知る世代がだんだんと高齢化してきて、次の70年、80年が重要な節目を迎えるだろう。
本書の出版は、終戦から10年目の1955年に書かれている。太平洋、あるいは大東亜戦争の歴史ではなく、まさしく昭和史であるが、書かれた当時の感覚では、まぎれも無く、昭和という時代が戦争ばかりをやってきた時代という感覚であったと思う。

だが、私にとっての昭和という時代の感覚とは、戦後の復興を遂げた高度成長の時代である。従って、戦争だけを行ってきた時代という認識はない。

ところで、よく歴史認識という言葉がメディアで使われるが、平たく簡単にいうと、歴史をどのように切りとって見せるかという事であろう。それゆえ、その認識が間違っている、合っているなどという事は誰にもできないはずだ。

本書の「歴史認識」、すなわち歴史の切り取り方は、労働運動や左翼の活動と、国粋主義の拮抗であるところから始まる。不況に始まった経済の混乱が、海外への植民地政策の強化につながり、実質的な行動部隊たる軍部の独走が始まり、あげくの果てには戦争が起こり、日本が負けて、振り出しに戻ったというような書き方になっている。どうせ書くなら労働運動の内容に統一すれば良いのに、最初はそういったネタでお茶を濁して、だんだんと国家中央部の政策という点に持ち込まれる。その頃には、労働者の存在など影も形も無いというような書き方になっている。やはり、昭和が始まって30年くらいしか経っていない時期でも、新書でまとめるのが無理なのかとさえ思ってしまう節がある。

話が変わるが、私が大学院生の頃、教育の社会学の範疇で歴史を研究する人が多かった。かく言う私もそれに憧れた一人であるが、後々冷静になって考えてみると、そのテーマ本来が持つ閉鎖性に、いうほどの面白みがないこと気付いた。ところが、研究を行っていた人々の間で、この本がよく参考文献として用いられることが多かった。なぜだか知らぬが、新版と称した、内容を改訂したのか項目を増やしたのかわからない本が出ているにもかかわらず、旧版の方を欲しがる。しかし、今回読んでみてもそんな関連項目がない・・・というより、退屈になってきて100ページくらいしか読んでいない。仕方なく、目次を見てみると、やれ政治の話だ、経済の話だという中に、「日本文化の特徴」という項目がある。少し浮いた存在だ。
開いてみて見るとケッサクな内容があった。どうやらこれを目当てに欲しがるらしい。少し引用しよう。

日本の文化が、国民に共通する基盤を欠いているという点は、この時期には「講談社文化」と「岩波文化」の対立という形で問題にされていた。「講談社文化」は講談社出版の娯楽中心の出版物に代表される文化で、国民の圧倒的部分に受け入れられていた。「岩波文化」は、岩波書店刊行の教養書に代表される文化で、国民の小部分の文化人に限定されていた。前者は一般人の思想・生活感情の停滞的な側面をつかみ利用し、卑俗な娯楽・実用と忠君愛国・義理人情思想とをないまぜにしてそそぎこむ内容のものであった。後者は外国の最先端思想をとりいれながら、それが生活にむすびつかず、国民にも広く普及せぬような形でのあり方の文化であった。そしてこの両者の間にはまったく通路をもたぬ断層があった。このことが文化人を国民一般の層から孤立させ、ファシズムにたいする国民的抵抗の武器を生み出すことのできぬ理由であった。

あっはっは・・・。岩波の持つ本質的な弱さを、他の出版社のせいにして、それも自社の新書の中で批判する。汚いというよりもケッサクだ。
確かに改訂版が出るはずだ。先にかいた教育の社会学における歴史の研究の本質とは、帝国大学卒業生が主体となる「知識人」の研究であったのだけど、どことなく自虐的な部分も存在した。その背景にはこうした見解もあるのだろう。
それにしても、学者をあいてに本を出していた岩波は、講談社に比べて、書籍販売という商売では、はるかに負け組の存在である事を認めていたのである。それも終戦10年目の時点である。

終戦から60年後

2005年08月15日 22時28分58秒 | Weblog
8月15日終戦記念日である。

お盆の最中だけあって、電車の乗客なども少ないが、それでも混んでいないとはいいがたい。スーツ姿の人、OLなど、いろんな人がいる。

本当に、梅田の交差点や歩道橋に人がまばらになったのかは不明だが、昼休みに、外へ食べに行って、地下街に入ると、すごい人だった。店も混んでいる。昨日もイタリア料理だったけど、今日もイタリアのランチにした。というもの、昨日のコースでは、パスタの量がほんの少ししかなかったからだ。しかも魚料理はお酢が利きすぎていて、味が今ひとつ。今日は食べなおしというところだ。

普段、家人と行く欧風家庭料理は、肉料理・魚料理がそれぞれついて、パンもお変わりが出来、なおかつ3000円程度だから、大満足だが、イタリア料理の3500円のコースは、魚料理だけ、パンも一切れ、パスタも少しで満足には程遠かった。
それで食べなおしである。

ランチということで、パン・スープ・サラダと、皿いっぱいのパスタがついて800円で満足をはるかに上回った。味も上品なのだが、ホワイトソースは食べ続けると途中で少し嫌になってくる。私の場合、ハヤシライスも似たような状態になるが・・・。

時に、こうした店は女性の方が多い。スーツ姿の男性はあまり見ない。
隣の席に座っていた女性の二人組みは、片方の人が必死になって結婚願望を唱えていた。「努力はしているんですけど・・・」と。

あのー電車男とかが盛んに叫ばれていますが、実際のところ、結婚はしたくないという男性の方が増えているような気がします。収入は増えないし、一緒に暮らすことの覚悟などなかなかもてないのが事実です。

中学のときの友人は信用金庫に入って、ずっとそのままだから、もう既にそれなりのポジションについているのだろうが、いまだに入社案内に登場している。地位はそれなりだけど、結婚はまだ。以前ここに書いた印刷関係に入った高校の友人も、コツコツ稼いでいるが、いまだに独身。大学卒業時に就職が決まらず、その後美容関係の営業マンになった友人は結婚こそしたけど、どきどき実家に帰る。ストレスのせいでヘビースモーカーになり、一晩で灰皿はてんこもりになるとか、仕事以外にも、家庭を持つストレスがあるのだろう。

「結婚したい」という女性が多い反面、「結婚したくない」男性が増えている。
戦後60年の風景である。

なら燈花会に行ってきました

2005年08月14日 23時45分27秒 | Weblog
さて、ホームアローン エピソード2.5くらい(←まだ言うか)
本日も家人はいません。

そこで奈良まで夕食を食べに行ってきました。
大体、17時ごろでかければいいのですが、少し遅く行くことにしました。
夕食の後、なら燈花会に行くためです。
さすがに、盆休みがないとはいえ、土日は休みなので、遊ばなければ損です。
過去に一度見に行きましたが、今回の目的は、ストロボを使わない写真撮影の勉強も兼ねてです。

前回は家人もいて、あまり多くの場所へ行くことが出来なかったのですが、今回は、1人で自転車を使い移動したので浮見堂、浅茅ヶ原、浮雲園地の会場を回ってきました。写真は浮雲園地会場のものです。(リンクしたホームページからエリアガイドを参照)

一見して、ろうそくを入れた容器が置かれているだけですが、これがたくさんあると、風景としてきれいです。会場は勿論、若草山まで装飾が施されていました。

この燈花会は、ボランティアの人々で運営されています。途中、赤いTシャツを着たボランティアを何人も見かけました。街中の本屋はがら空きでしたが、これらの会場は大勢の見物客が来ていました。

奈良公園の夜は本当に真っ暗です。それゆえに、こういった小さなともし火がきれいに写ります。

写真はたくさん撮ったのですが、満足なものは本当に少なかったです。掲載したのは、その中でもまともなものです。やはり三脚が必要です。

ホームアローン エピソード2(笑)

2005年08月14日 00時38分51秒 | Weblog
ゴールデンウィークに続いて、またもや家人がお盆休みで長野へ行った。
というわけで、今日は家に一人。すなわちホームアローン。

前回は、外へ食べに行ったけど、今回は家で作りました。
焼肉をメインに、トマトと鞘インゲンを少々。
いやー見事にこがしました。
焼肉の状態もレアやミディアムを通り越して、ウェルダンです。
もう少し手の込んだものを作れたらいいのですが・・なかなか。

沢月亭主宰の沢月さんは、日本でブログが広まる前から、ウェブ上に日記をつけている。彼(彼女?)はその中で、1人暮らしのためのかんたん(手抜き)レシピを公開されている。また日記の中にも、その日の食事の献立について書かれている。

この通りに作れたら、もう少しボリュームが出るかも知れない。

一年でもっとも都心の人口密度が低くなるとき。

2005年08月12日 22時21分55秒 | ニュース
大阪のメインストリート御堂筋の北の突き当たりに阪急百貨店があって、道路はYの字になっている(大阪近辺在住以外の読者は、地図などで確認してね)その一方向かいに阪神百貨店がある。ちなみに御堂筋の南の突き当たりには、高島屋があるが、今回の目的はキタ(梅田)の話だ。

東京ほどではないが、梅田の交差点などはかなり多くの人が歩いている。しかし、このように普段人通りが多い場所でも、一年に一日、ものすごく人が少なくなるときがある。それがお盆の時期である。

「え?、行った事ないのにどうしてわかるかって」

実は、こちらの新聞の一面に必ず、その人通りの少なさを撮った写真が掲載されるのである。不思議な話だが、これはこれで、ニュースにもなるのだ。
毎年、この時期の新聞に目を通すけど、必ず載っていると思う。

都会のど真ん中から、人が消える(少なくなる)8月15日。
そんな日が、今年も訪れる。
実は、その日は出勤する日だ。

故人の誕生日

2005年08月10日 22時12分03秒 | Weblog
前世紀80年代後半から90年代前半にかけて、社会問題化した現象に老人痴呆の問題があった。いや、問題というのは少し間違いなのかもしれない。他人がその現象を見て「あれは社会問題である」などと誰が決め付けることが出来るのかという問いが立てられるからだ。

私の祖父もこの老人痴呆にかかった。特になくなるまでの数年間は、ひどいものであった。夜中のとんでもない時間に、家の中を徘徊する、時々凶暴になるなど。トイレもまともに出来ないくらいであった。

先の時期には、様々なドラマや小説が出されていたが、あの比ではなかった。特に世話をする母や、日中ともにいる私や妹は、その大変さが身にしみるようにわかった。そして共にいない私の父は、現状認識がはるかに浅かったし、その兄弟は、自分の父親の昔の姿しか知らないわけであるから、もっと現実の認識が浅く、孫であった私を批判する人間まで出た。様々な軋轢が存在して、いつしか祖父やおじ、おばを恨むようになっていった。

祖父は、最後、軽い脳梗塞にかかり、歩くこともままならなくなった。それなりの苦労がついたが、夜中に徘徊されるよりはるかにマシだった。

安定し、自宅で介護かと思って、帰ってきて1ヵ月後になくなった。もう8年も前のことである。あれだけ恨んでいたのだから、亡くなっても泣くこともないだろうと思っていたが、そうでもなかった。

今日は亡くなった祖父の誕生日だ。

「クールビズ」とは男性の幻想である

2005年08月09日 22時39分36秒 | Weblog
熱中症という病気(?)がある。炎天下で作業などをしていて、体温が上昇し、意識を失う現象である。下手すると死にいたる。水だけ飲んでいればいいものでもないらしい。

ところが、聞くところによると、室内でもかかるものらしい。確かに車などの密閉空間で、子供が死ぬことは一時期よく聞かれた。しかし、最近では、夏場の室内でもかなり危ないらしい。

というのも、地球温暖化への対策として、室内の温度を28度くらいに設定するところが多くなってきているが、外気温とのからみで、どうしても30度くらいになってしまう。太陽の直射こそないが、室内にいてエアコンを効かせておきながら、外の気温と同じになってしまうのである。特に都心部はこの傾向が強い。

そこでこうした政策を後押しするような形で、「クールビズ」なんてはやっているけど、実際には軽装では対抗できないくらいの暑さだと聞いた。役所に勤めている妹も、時々頭が痛いらしい。軽い熱中症にかかっているのかも知れない。他の人も汗だくだとか。

これまでの会社の冷房活用を見てみると、女性が寒さに震えているというのが一般的だった。だから、結構な話じゃないかという意見もあるが、設定温度が高すぎて、今度は男女共に暑さにまいっているというのが現実だ。

私のほうはというと、エアコンこそあるが、座る場所によって著しい格差が生じている。それでも、がんがんかけても室内の温度はそれほど下がるものでもなく、玄関のドアを閉めているくらいである。

クールビズといっても、結局は小手先のやり方であって、夏場は室内の温度を下げるほうがずっと効率的であり、必要最低限の方法になっているし、でなければ、夏場は仕事にならないと考えるべきなのかも知れない。そのくらい対策が立てられないのが、最近の温暖化である。

また選挙か

2005年08月08日 22時09分49秒 | ニュース
昼過ぎ、お昼休みを遅く取って、ネットを見ていると、参議院が郵政法案を否決したらしい。
世間の予想では、衆議院解散といっているし、おそらく実行されるだろう。

それにしても、あの自民党が必ずしも一枚岩ではなく、多数の造反者を出した今回の法案、私自身も詳しくわかっていない。ただ、これ以上民営化が進むと、どうやら50円、80円の料金で郵便物が送れなくなるということだけ。そもそも、郵便貯金は使っていないし、あと親が保険で利用しているだけか。これだけ関与が薄いと、なまじ民営化しないほうがいいような感覚になってしまう。

解散するということは、また選挙である。
こないだ選挙に行ってきたばかりだ。あの選挙も辞職や解散にともなってのことだった。
まあ、今回は選挙活動することはないから、気が楽か。