tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

夏目漱石

2005年08月29日 23時43分34秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
ぼちぼち学校関係者の夏休みもおしまい。というわけで、夏休みの宿題に追われていると思う。その中にある読書感想文。私は今も人権作文と一緒で、どーやって書いたらいいのかわからない。

ケーススタディー:Tyokutakaの小学校2年生の時
教科書で、かえるを擬人化した物語が出てきた。一方のカエルは憂鬱な顔で外を眺めている。その友人のカエルがたずねたところ、手紙がこれまで来たことがないことが悲しいという。そこで友人のカエルは家に帰って手紙を書くが、その手紙の配達ををカタツムリに頼む。結果、配達に手間取り、一騒ぎが起こるが、一週間かかって、ようやく配達され友情が確認される「心温まる」ような(はずの)お話。・・・・

これに対して、私はどのように感想文を書いたか?
「私はカエルが嫌いです。」
と書いた。これには先生もどのような答えも返してくれなかった。
いまでこそ、カエルが好きでもなく、嫌いでもないが・・・。
このように、教育上作文を書くという行為は、しかるべき態度を養成するという、強制的な装置としてはたらいているのだが、それが修士論文にまで付きまとったのには閉口した。

会社の同僚が、最近夏目漱石を読んでいるらしい。
『坊ちゃん』からスタートしたらしい。まだまだ若い人だから、何を順に読むのか迷っていた。とりあえず、夏目漱石の話はどれもはずれがないから、どれでもいいのだが、別の人は『三四郎』『こころ』『道草』を勧めていた。
しかし、私の予備校時代ですでに、『こころ』の本質が理解できない人が多かったから、今じゃもっと難しいかもしれない。

本当は夏目漱石は難解で、いまだに論文がかけるほど内容が豊富だ。
そういえば、私も『三四郎』が途中だった。

「ストレイシープ、ストレイシープ」