tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

「夏休み」をうらやましいと思うか

2005年08月23日 23時16分02秒 | Weblog
昨日は仕事が早く終わったので、早々と帰ることにしたが、梅田から地下鉄に乗ると、後の方から、親子連れが乗ってきた。何かのイベントの帰りだと思う。車両位置が到着駅の出入り口に近いことから、その車両はいつも混む。小学生の兄弟が二人と1歳くらいの女の子をのせたベビーカーだ。混んだ車両には、少し迷惑なくらいだ。その兄弟は二人とも小学生なのに眼鏡をかけていた。あの年頃から眼鏡の世話になるわけだから、ある意味、気の毒だ。かく言う私もいまや眼鏡だが、小6までは2.0あった。えらく年の離れた妹さんは、かなりグズついていた。無理もない、こんなに混んでいるのだから。
これを読んで、私がそうした小さな子供に対する関心が薄いと判断されたのならば、心外だ。降りるときに、その女の子を抱いた母親が言っていた。
「ごめんね、乗るところを間違えて」と
子供に語りかけるようにして、文句が言えるならば、それは結構なことだ。
こっちは文句も言えない。

ところで、義務教育課程と高校に通っている方々は、ぼちぼち夏休みが終わりに近づいている。私たちにもかつてはあったのだが、こんな長い休みごめんだと思う。昔からやることがなかった。だから叔母の家に行ったりしたが、相対的にヒマだった。あるとき、おばの家に行ったときから、せきをするようになった。11月くらいになると、それが本格的なかぜに変わり、夏休みのかぜがずーっと続いていたことがあった。体力のなかった小学生の頃のことだ。休みが続くと相対的に、調子を崩す。
小学生の後半から、中学、高校にかけて、塾の講習会に行くようになったが、こちらの方がずっと気楽だった。

企画力を持たない人間にとって、長期の休みは酷だ。