tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

書評:遠山 他『昭和史』岩波新書 1955

2005年08月16日 23時51分00秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
昨日も書いたように今年は、終戦60年。十年ごとの節目の歳に何らかの企画が各メディアで行われているし、本屋でもフェアを行っている。だが、戦争を知る世代がだんだんと高齢化してきて、次の70年、80年が重要な節目を迎えるだろう。
本書の出版は、終戦から10年目の1955年に書かれている。太平洋、あるいは大東亜戦争の歴史ではなく、まさしく昭和史であるが、書かれた当時の感覚では、まぎれも無く、昭和という時代が戦争ばかりをやってきた時代という感覚であったと思う。

だが、私にとっての昭和という時代の感覚とは、戦後の復興を遂げた高度成長の時代である。従って、戦争だけを行ってきた時代という認識はない。

ところで、よく歴史認識という言葉がメディアで使われるが、平たく簡単にいうと、歴史をどのように切りとって見せるかという事であろう。それゆえ、その認識が間違っている、合っているなどという事は誰にもできないはずだ。

本書の「歴史認識」、すなわち歴史の切り取り方は、労働運動や左翼の活動と、国粋主義の拮抗であるところから始まる。不況に始まった経済の混乱が、海外への植民地政策の強化につながり、実質的な行動部隊たる軍部の独走が始まり、あげくの果てには戦争が起こり、日本が負けて、振り出しに戻ったというような書き方になっている。どうせ書くなら労働運動の内容に統一すれば良いのに、最初はそういったネタでお茶を濁して、だんだんと国家中央部の政策という点に持ち込まれる。その頃には、労働者の存在など影も形も無いというような書き方になっている。やはり、昭和が始まって30年くらいしか経っていない時期でも、新書でまとめるのが無理なのかとさえ思ってしまう節がある。

話が変わるが、私が大学院生の頃、教育の社会学の範疇で歴史を研究する人が多かった。かく言う私もそれに憧れた一人であるが、後々冷静になって考えてみると、そのテーマ本来が持つ閉鎖性に、いうほどの面白みがないこと気付いた。ところが、研究を行っていた人々の間で、この本がよく参考文献として用いられることが多かった。なぜだか知らぬが、新版と称した、内容を改訂したのか項目を増やしたのかわからない本が出ているにもかかわらず、旧版の方を欲しがる。しかし、今回読んでみてもそんな関連項目がない・・・というより、退屈になってきて100ページくらいしか読んでいない。仕方なく、目次を見てみると、やれ政治の話だ、経済の話だという中に、「日本文化の特徴」という項目がある。少し浮いた存在だ。
開いてみて見るとケッサクな内容があった。どうやらこれを目当てに欲しがるらしい。少し引用しよう。

日本の文化が、国民に共通する基盤を欠いているという点は、この時期には「講談社文化」と「岩波文化」の対立という形で問題にされていた。「講談社文化」は講談社出版の娯楽中心の出版物に代表される文化で、国民の圧倒的部分に受け入れられていた。「岩波文化」は、岩波書店刊行の教養書に代表される文化で、国民の小部分の文化人に限定されていた。前者は一般人の思想・生活感情の停滞的な側面をつかみ利用し、卑俗な娯楽・実用と忠君愛国・義理人情思想とをないまぜにしてそそぎこむ内容のものであった。後者は外国の最先端思想をとりいれながら、それが生活にむすびつかず、国民にも広く普及せぬような形でのあり方の文化であった。そしてこの両者の間にはまったく通路をもたぬ断層があった。このことが文化人を国民一般の層から孤立させ、ファシズムにたいする国民的抵抗の武器を生み出すことのできぬ理由であった。

あっはっは・・・。岩波の持つ本質的な弱さを、他の出版社のせいにして、それも自社の新書の中で批判する。汚いというよりもケッサクだ。
確かに改訂版が出るはずだ。先にかいた教育の社会学における歴史の研究の本質とは、帝国大学卒業生が主体となる「知識人」の研究であったのだけど、どことなく自虐的な部分も存在した。その背景にはこうした見解もあるのだろう。
それにしても、学者をあいてに本を出していた岩波は、講談社に比べて、書籍販売という商売では、はるかに負け組の存在である事を認めていたのである。それも終戦10年目の時点である。