tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

故人の誕生日

2005年08月10日 22時12分03秒 | Weblog
前世紀80年代後半から90年代前半にかけて、社会問題化した現象に老人痴呆の問題があった。いや、問題というのは少し間違いなのかもしれない。他人がその現象を見て「あれは社会問題である」などと誰が決め付けることが出来るのかという問いが立てられるからだ。

私の祖父もこの老人痴呆にかかった。特になくなるまでの数年間は、ひどいものであった。夜中のとんでもない時間に、家の中を徘徊する、時々凶暴になるなど。トイレもまともに出来ないくらいであった。

先の時期には、様々なドラマや小説が出されていたが、あの比ではなかった。特に世話をする母や、日中ともにいる私や妹は、その大変さが身にしみるようにわかった。そして共にいない私の父は、現状認識がはるかに浅かったし、その兄弟は、自分の父親の昔の姿しか知らないわけであるから、もっと現実の認識が浅く、孫であった私を批判する人間まで出た。様々な軋轢が存在して、いつしか祖父やおじ、おばを恨むようになっていった。

祖父は、最後、軽い脳梗塞にかかり、歩くこともままならなくなった。それなりの苦労がついたが、夜中に徘徊されるよりはるかにマシだった。

安定し、自宅で介護かと思って、帰ってきて1ヵ月後になくなった。もう8年も前のことである。あれだけ恨んでいたのだから、亡くなっても泣くこともないだろうと思っていたが、そうでもなかった。

今日は亡くなった祖父の誕生日だ。