tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

大学の心臓部「図書館」

2005年08月21日 23時24分03秒 | Weblog
いつかこのブログでも書いたが、懸賞論文の計画を実行に移すにあたり、資料収集を行う事した。しかし、図書館の蔵書検索をインターネットで調べてみると、大阪府立図書館の場合、関係資料がみんな貸し出し中となっている。どうも同じような魂胆で動いている人間がいるみたいだ。それもめぼしい資料がほとんど借り出されている。

奈良にもそれなりの県立図書館があるが、こちらは3月の終わりに閉館し、11月に移転してオープンするとか、そんなに待てないし、よくそれだけも閉館していられるなとさえ思う。

結局のところ、資料のアクセスがかなり限られた状態になる。やれやれと思うが、こちらにはかつて東洋一と言われた図書館に入れる資格が存在する。なぜなら、その大学の卒業生だからだ。

パソコンの検索方法が、今のようなアイコンをクリックという方式ではなく、いわゆる簡単なプログラムの文章を放り込んで、検索画面を出す方式だった学部生の頃は、大学図書館はかなり縁の遠い存在だったが、この方法がわかるようになると、入り浸るようになった。大学4年になると、書庫に入る資格が得られて、入っていることも多くなった。それで大学院に入るのだけど、大学院も二年目になると、ゼミでさえ得るものもなく、ただ漫然と話を聞くのが嫌になって、授業に出ずに、図書館の書庫で本を読んでいる事が多くなった。後輩たちはいう。「tyokutakaに会いたければ、図書館の書庫へ行け。」
「院生は主体性をもって授業に出て、研究する。」とは、建て前で、毒にも薬にもならない授業を院生に押し付けられるのはかなりの苦痛である。更に上への進学を考えなければ、授業に出ずに好き勝手に研究していられるから、気楽なものであるし、実際、その道を進んだ。
もうその時点で、大学という場所に籍を置いて、研究などと称した演技をうつことに魅力を感じなくなっていたのかもしれない。

閑話休題。

そこで、出身大学の大学図書館を使おうかと思って、ホームページを開いてみるが、どうもつながらない。スケジュールを見てみると、いま盆休みみたい。しかし、サーバーのスイッチくらい入っているのが普通だから、検索用のページくらい開くものだがそうでもない。メンテナンスの関係上、落としてあるというのもあるが、大学の発表した注意書きを見ていると、この期間、停電・断水の状態にすると書いてある。

家庭の待機電力がバカにならないと、こまめにコンセントを抜くというのがあるが、あれと一緒で、停電の状態にしているみたいだ。
小銭をかせいでいるみたいだ。

でも、月曜日から復旧するようだ。今週の土曜日に時間があったら、行ってこよう。