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タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

書評:大日方純夫 『警察の社会史』 岩波新書 (岩波書店 1993)

2005年04月03日 22時14分17秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
買った当時、どのような関心から古本屋でこの本を手にしたのかわからないが、家の本棚に並べて、その背表紙を拝むたびにあの本は明治時代から太平洋戦争終了ぐらいまでの警察の歴史について書いているのだろうと思っていた。少なくともそう思い続けていた時間が3年くらいあったと思う。しかし、実際に読んでみれば、「警察の歴史」などというものではなく、日露戦争後の日比谷公園焼打事件から、大正デモクラシーまでの非常に狭い時間(1905~1923)を中心に、警察の職務領域の限定化と天皇を中心とする国家の出先機関としての定義化、行政にとっての治安維持という社会コントロールが困難であることの確認について書いてある。

まず、序章で先の日比谷公園焼打事件の矛先が警察各所に向いたという、今日でもありそうな国家権力への反感や反発を起点とする暴動と、同時期、警察が各種の生活に根ざした規制、管理、認可(営業・祭典・公衆衛生など)にも関わらず、地方警察の縮小や合理化に伴う生活上の不便から「警察廃止反対」の暴動事件が起こったことの両極について記述し、その後10数年の警察の社会コントロール形成について説明している。

明治国家の方向性は、ドイツの国家形態や憲法を基本においており、いわゆる主権が皇帝(天皇)に存在し、なおかつ議会や国民の力が弱い特質を持たせることが目的だったことはよく知られている。

その一政策として、警察は1919年「巡査服務規程」の改訂に伴い、多くの警察官僚が「国家警察」の用語を用いて発言するが、同時に「皇室」も併用し、「国家」=「皇室」の概念を根付かせるのである。

次に、国家の望む治安を創出する必要性から、国民への警察教育や広報活動を通じて国民相互の監視システムの構築に当たるのだが、それが必ずしも国家の意図する結果を生み出すに至らないことが、関東大震災の流言飛語にはじまる民衆自警団の組織化と在日朝鮮人の虐殺という事件をもって顕在化する。

すなわち、警察組織への積極的な協力(それを植え付けたのはほかならぬ警察であるが)がかえって暴動やテロリズムを引き起こす原因となる危険性に、国家は気づくのである。あるいは誤解が生み出した事件とでも言うべきか。

国民の警察や国家への積極的な協力のもとで虐殺が起こるがゆえに、法的にも人道的にも断罪されるべき虐殺への国民一人一人の審判は非常に軽いものであった。日本人どうしの裁判だからその判決が軽かったという以前に、国家の社会コントロールとそれ自体のメンツを立たせるという欺瞞が生じるのである。

新書という体裁から、論は極めて明快なのだが、第1章で詳述した警察職務の内容は少し長く、だるさも残る。いわゆる戦争体制における、総公安化した警察に関しては、終章で少し言及している。

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