サイケデリック・ペンタトニック!?

カリメロレコード(架空)の店主の何でもござれの日々の音楽コラム

マイルス・デイビス再度紙ジャケ化!~イン・ア・サイレント・ウェイ

2006年10月29日 19時55分50秒 | 洋楽
再度マイルス・デイビスの紙ジャケ化が実現!
前回、前々回のものは、それぞれ「赤帯」「黒帯」という名称でマニアの間で呼ばれ、
音が違う事からどちらもコレクターズアイテムとなっていましたが、
2006年にまさしく「待望」ということばが相応しいでしょう、
再び紙ジャケ化と相成りました。

やはりビパップ期もいいですが、
ロックファンとしてはこの「イン・ア・サイレント・ウェイ」を挙げなければなりますまい。

1969年に発売されたこのアルバムは、マイルス・デイビスの当時の若い奥さんが、
マイルスにジミヘンやクリームを聞かせ、彼をロックの方面、
つまりエレクトリック化たらしめた重要作品。

マイルス・デイビスを筆頭に、
ウェイン・ショーター, チック・コリア, ハービー・ハンコック,
ジョー・ザヴィヌル,ジョン・マクラフリン,ジャック・ディジョネットなどの面子が参加。

今考えても豪華すぎるが、
特にジョン・マクラフリンの活躍にロック・ファンとしては要注目。

後にマハビシュヌ・オーケストラやシャクティで超絶な技巧を披露したギタリストであるが、
このアルバムの特に表題曲での、日本のわびさびにも通じるような、
非常に思慮深い印象的なリフをコード弾きしている。

この曲は1971年にはサンタナがカバーしたことでも有名で、
映画『フィルモアの最期』にも収録されています。

のちにサンタナとマクラフリンが二人で、
『魂の兄弟たち』というアルバムを作りあげるわけだが、
運命めいたものを感じます。

しかしこのアルバムは次のアルバム『ビッチェズ・ブリュー』への布石のような
捉えられ方をされている節があるが、そんなものよりもずっと凄いアルバムで、
このアルバムによってジャズのその後の歴史はもとより、
確実にロック、そしてその他のジャンルにも影響を与えている。

でもあまり深く考えず、
朝や真夜中のまどろみの中で聞くのがとっても似合うアルバムです。大好き。


クイック・ジャパンの岡林とサンボマスター

2006年10月24日 20時22分56秒 | 邦楽
全国の男子諸君!

クイックジャパンの最新号を君は読んだか?!

ほしのあきちゃんに、しょこたんに、いいよねぇ・・・

って違う違う!

男子諸君はグラビアアイドルは勿論ですが、
あの岡林信康とサンボマスターですよ!
これを読まにゃあ、あきまへん。

最近はまったく表舞台へ出てこない為、噂さえ聞こえてこなかった岡林信康が、
時代の兆児ともいうべきサンボマスターと対談するという夢の企画。

これが面白い。サンボの山口さんは日本のロックの造詣がもの凄く深く、
また岡林の影響が大きい(と文面で語っている)ことから、
物怖じする事なく、対等に、いやむしろ岡林を牽制するがことく、
次々と質問を投げかける。
それに対し、一つ一つ持論を展開する岡林。

細かいやり取りは、実際に対談をお読みいただくとして、
あの岡林信康が表立った場所で近年これほど、
快活に自身の活動を語った事があっただろうか?
私はそれを知らない。

対談の中で岡林信康のバックをサンボマスターに務めさせてください!
と山口さんが言っておられたが、これは是が非でも実現して欲しい。
岡林本人は「いや、大きい音でやるのが辛い」みたいな事を言ってかわしていたが・・・

対談の中でも語っておられたが、
岡林は昔の音源の復刻に対し、「NO」を突きつけている。
(*最近ソニー時代の3作品が紙ジャケで復刻されたが、
  これはソニーが独断で踏みきった話だという・・・)
オリジナルアルバムも手に入りにくく、
例えばフォークジャンボリーでの音源も今は復刻の際にカットされている。

岡林よ、それで自由になったのかい?
自分がフォークの神様と崇められることを嫌った事は分かるが、
自分で生み出した歌だもの、最後まで責任を持たねばならないのではないだろうか?
自分の過去の作品を提示した上で、現在氏がもっぱら推進しておられる「エンヤトット」
「御家囃子」を実践すべきなのではないか?

歌は例え、自分の中で封印したとしても、人から人へと伝わっていくものである。
是非岡林氏には、今の若い人たちの前で演奏を行って欲しい!

それにしてもロック画報のコラムで曽我部恵一氏がいっておられたが、
前回のサンボ×大滝詠一といい、今回といい、
大御所の前でよくあれだけしゃべれるものだ。すごい。

P.S.余談ですが、山口さんとは接客で何回か接したことがありますが、凄いいい人です!
  しかし、これだけ今回言いましたが、実はサンボマスターは一枚も持っていません。
  いいとは思うんだけど、ちょっと大仰な感じがしてしまいまして・・・人柄は好きですが。。。

あのFREEのアンディ・フレイザーが・・・

2006年10月19日 10時15分25秒 | 洋楽
引き続き「フリー」ネタでいきます。

レココレ特集面白かったですね。

ポール・ロジャース、サイモン・カーク、アンディ・フレイザーの
三人の最新のインタビューは読み応えがありました。

中でもベーシストであったアンディ・フレイザーは何年か前には
死亡説が流れたくらい、情報がなかったので素直に嬉しかったです。

しかしそのインタビューの中で、
アンディが「実はゲイなんだ」とカミングアウトしており、
非常にびっくりしてしまいました。

ゲイに対してとやかく言う積もりはありませんが、
その突然の告白にびっくりしてしまったのであります。

ただ最近は「ゲイ」だと告白するロック・ミュージシャンも多く、
それだけ市民権を得ているのだなぁということも実感するわけですが。。。

とにかく全盛期のFREEは以前にも書きましたが、
サイモン・カークのシンプル極まりないドラミングと、
アンディ・フレイザーのやたらと音数の少ないベース
(たまにハイフレットでおかずを入れるのが格好良い)のうえに、
ポール・コゾフの強烈な泣きのギター、
そしてポール・ロジャースの「ハッ!」という声も勇ましい、
なんとも渋いボーカルがあってこそのバンドである。

BBCのライブCDと全盛期の姿を収めたDVDの発売によって再評価される事を切に願う!
*どうやらストレンジデイズの最新号もフリー特集のようです。

フリー、フェイセスのベーシスト山内テツの『TETSU』

2006年10月17日 19時05分34秒 | 邦楽
11月にフリーのDVDとBBCの音源を収めたCDが発売されるということで、
にわかに盛り上がっているフリー!(今月のレココレの表紙もFREE)
もう私は凄い大好きで、絶対にこのDVDとCDも買ってしまうと思うんですが、
先日数年探していたCDをようやくGET出来ました!

それがタイトルにある山内テツの初のソロアルバム『TETSU』です!

山内テツはそもそもマイク真木のバンドでギタリストとして、キャリアをスタート。
そしてミッキー・カーティスがヨーロッパを放浪中に組んだニューロックバンド「ミッキー・カーティス&サムライ」にベーシストとして参加。
しかしこの時に初めてベースを弾いたらしい・・・
おそらく1970年前後にヨーロッパにいたので、強烈に当時の空気を吸い込んで、
ベースを練習したんでしょう。そして元々のセンスも良かったのかメキメキとベースの腕を上げていったという。

その後帰国後、1971年のフリーの初来日時にセッションしたのが縁で、
フリーの解散後のポール・コゾフとサイモン・カーク、そしてアメリカ人のラビットとバンドを結成。アルバムを一枚残したのち、再結成フリーに参加。
その後フェイセスにも参加と、当時まだまだ日本がロックで遅れをとっている時期に、
「世界で活躍する日本人ベーシスト」として山内テツの名前は知れ渡ったのである。

そんな彼が1972年に残した初のソロアルバムは、
角田ヒロや大野克夫(そしておそらく「KEN」とクレジットされているのは成田賢)ら
日本のミュージシャンが絶妙なサポートをした名盤。

やはりどこかFREEなどイギリス色が濃いサウンドに仕上がっている。
とは言ってもアンディ・フレイザーがいた時のフリーではなく、勿論後期のフリーである。
後期のフリーがどことなくアーシーかつレイジーなのは、山内テツの力が大きいはず。
そんな後期のフリー、そして後に参加するフェイセスにも通じるダルさみたいなものがある。
(ここではもちろん格好良いと言う意味です。)
ちなみにボーカルは山内さんが連れてきた外国人が歌っている。
インストなども非常にファンキーで、当時の国内のミュージシャンよりも
やはり感覚が先をいっている感じです。

今現在気軽に山内テツのCDが聞くことが出来ない状況は非常に悲しい。
一刻も早くCDの再発を!

でもこのアルバム本当に探していて、
これでこの「ニューロックの夜明け コロンビア編」がコンプリートに!
二度嬉しいです。


MAD3新作『LOST TOKYO』発売!

2006年10月14日 18時58分36秒 | 邦楽
先日大の親友に指摘されまして、
またちょくちょくと更新していこうかと思ってる今日この頃です。

で、今日の話題は、我らがロックン・ロール・キングダムの王様!
そう!MAD3の新作『LOST TOKYO』です!

いや~待望の新作です。
前回のリリースは自らレーベルを興し、
そこからの発売で、しかもピラミッド型の変形シングルでした。

このシングルは彼等の新しい音楽性を示した偉大なる一枚にして必聴盤!
だったわけですが、そのリリースが2004年の12月ということで、
約2年ぶりのリリースで、これが待望といわずして何であろうか!

さて今回のアルバムは、前回のシングルを更に推し進めた、
期待通りの、いや、期待以上のアルバムでした!

MAD3といえば、革ジャンで決めたイメージがありますが(これはこれで凄く格好良い)、
それが最近は長髪にベルボトムとなんとも妖しく、
私好みなスタイルに変容したかと思えば、サウンドもガレージ/ロックン・ロールと
いった趣きからハードロックやプログレささえ見え隠れする、
それこそニューロックなサウンドへ移行しているではありませんか!
きっとまだまだ完成形ではないはずなので、早くも次のアルバムに期待!

まずは皆さん、このアルバム聞いて下さい。
格好良いですよ。MAD3は貴方を裏切りません!

デキシード・ザ・エモンズ解散!

2006年10月11日 18時30分20秒 | 邦楽
また一つ好きなバンドが解散してしまう・・・

デキシード・ザ・エモンズ

溺死と土佐衛門をかけたネーミングが素晴らしいバンド。
60'sの偉大なミュージックに影響を受けつつも、
自分達のサウンドとして消化(昇華)した日本の偉大なバンド。
本八幡出身ということで地元が近く勝手に親近感を感じていたバンド。
服装がおしゃれなバンド。
ライブがとにかく熱いバンド。

そのどれもが私に影響を与え、一時の熱の入れようは半端でなかった!

気が付いてみれば何時の間にか16年も活動していたらしい。

残念で仕方がないが彼ら自身で決めた事、今は素直にお疲れ様と言いたい。

最後に10/28に日比谷野音でフリーライブがあるというので、是が非でも見たい!
と思って彼らのHPを見たら、どうやらフリーライブでも抽選などもあるらしく、
一筋縄ではみれないらしい・・・早速応募したので、ホント当たってくれ!

でもファンとしては、下北QUEでラストライブを何日か連続で・・・
みたいなのもありだと思うですが、皆様いかがでしょう?

上の写真は、
彼ら自身のレーベル「GOLFレコード」からリリースされたシングル『HIGHLAND PARK』。
ジャケ・内容ともに相当イカしたシングル。勿論捨て曲なし。

頭脳警察のPANTA氏と仕事!

2006年10月09日 18時43分44秒 | music
流石に更新しないとまずいっすね。

ということで、
今日は9月にあの頭脳警察のPANTA氏と
お仕事をさせて頂いた話をちょこっと。

実は音楽業界の端っこで仕事をしている私ですが、
9月にある方の縁でバンドコンテストの審査員をさせて頂きました。

その審査委員長がPANTA氏だったのです!

当日社会人のマナー違反である遅刻を少しだけしてしまった私に対して、
PANTA氏は優しく「よろしく」と手を差し伸べてくれました。
憧れの人なだけにむやみに物凄く緊張していた私ですが、終始物腰が優しい方でした。

バンドのコンテスト自体が終わった後でも、
一バンド一バンドにアドバイスをされている姿は「さすが」であり、
頭脳警察のPANTA氏の偉大さがどれだけ分かっているかはともかくとして、
出演バンドの皆さんは本当に貴重かつ素晴らしいアドバイスを受けたと思います。
是非今後のバンド活動に活かして頂きたいです。

さて本番はおわり、打ち上げの席でも、頭脳警察のデビュー頃のお話であったり、
昔のこともざっくばらんに話して頂き、貴重な体験をすることが出来ました。
コンテスト中は仕事の席なので、ファンであることを隠していましたが、
打ち上げでは「ファンなんです!」と打ち明け、
見事頭警の1STのCDにサインを頂くことが出来ました。

パンタ氏に関しては一つ疑問がありました。
頭脳警察の前に「ザ・モージョ」というバンドに在籍していたとどこかで読んで、
一体何をやっていたのか、という疑問です。
弘田三枝子のライブ盤とシングル一枚しか残っておらず(どちらも和モノ名盤!)
情報が少ないのですが、本人からちょろっとだけお話を伺うことが出来ました!

なんとパートはギターではなく、ボーカリストとして、
スペンサーデイヴィスグループなどを歌っていらしていたとのこと!
過激なパフォーマンスやアジテーション、また発禁などで頭脳警察は
デビュー当時話題を振り撒いておりましたが、
そのPANTA氏がそれ以前になんとR&Bを歌っておられたとは!

今思い出しても本当に素晴らしく貴重な体験でございました。

ちなみにバンドコンテストの優勝者は「フレアオッズ」!
でも出来レースではないですよ、これだけは言っておかねば。
その彼等は日本代表として、12月に英国で決勝戦を行なうのである!