サイケデリック・ペンタトニック!?

カリメロレコード(架空)の店主の何でもござれの日々の音楽コラム

フリー/トンズ・オブ・ソブス

2005年04月20日 22時26分37秒 | 洋楽
フリーの偉大なるベーシスト、アンディ・フレイザーが死亡したという説が、
最近まことしやかにささやかれていたが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。
死亡説否定の記事
またボーカリストのポール・ロジャースは、フレディー・マーキュリーの後釜として
あのクイーンに加入。ツアーを行い話題をよんでいる。
デビュー作「トンズ・オブ・ソブス」が1969年から35年もの月日が経とうというのに、
まだまだ話が尽きない”フリー”。
そんな彼らの記念すべき一作目を今回はとりあげてみよう。

彼らがデビューした1969年の英国というのは、
その前年のサマー・オブ・ラブやクリームとジミ・ヘンドリックス・ヘクスペリエンスの
二大バンドがロックの可能性という扉を大きく開けたことを受けて、
サイケデリックやブルース、R&B、トラッドなどが
絶妙に混ざり合った正しく百花繚乱といった様相を呈していた。

そんな中で産声をあげた彼らは、ブルースを基本に持ちながらも、
それだけに収まらない曲のバラエティさと歌心と熱い魂をもったグループだった。
それはこの一作目を聞いていただければ分かるだろう。
そもそも「フリー/FREE」という名前は、ブリティッシュ・ブルースの父、
アレクシス・コーナーが名付け親だというのは有名な話であるが、
アンディ・フレイザーがコーナーの娘と付き合っていたからというのは
あまり知られていない。

彼らは同時代のバンドマンたちよりも若い。当時のバンドマンが、
ベビーブーム世代(1945~47年辺り)やそれよりもっと前から活躍していた
年代が中心であったのに対し、ボーカルのポール・ロジャースが1949年、
ギターのポール・コゾフが1950年、ベースのアンディ・フレイザーが1952年、
ドラマーのサイモン・カークが1949年と20歳にいくかいかないかというくらいの
若者たちである。あまりこの点は語られないが、そんな若者たちがシーンで
のし上がって行く上で、アレクシス・コーナーの後ろ盾というものが
大きくものをいっていたのは想像に難くない。

さてそのアレクシク・コーナーも認めたそのサウンドは、今聞いても実に恰好良い。
一聴するとこのアルバム、暗い。でもポール・コゾフのギターの切れ味といったら
ないし、ポール・ロジャースは今につながる評価の素晴らしいブルース・フィーリング
あふれる歌声を早くもデビューアルバムで惜しげもなく披露している。

ことさらに特徴的なのが、ベースとドラムのリズム隊。
ベースとドラムの音数が非常に少ないのだ。
時代は1969年。クリームのジャック・ブル-スのブリブリ・ゴリゴリした
ソロもはれるベースや、ジンジャー・ベイカーのタムタムを多用した手数の
多い-ソロで30分も叩く-ドラムとは極致にあるリズム隊である。
バンドを経験したことのある人なら分かるかも知れないが、
音数が少ないということは、隙が出来てしまうことで非常に難しい。
そこを彼らは音数が少ないながらも歌心のあるベースラインと
印象的なドラムの使い方、更にこれが一番重要なのだが、
バンドがノリにのっていたことをあらわすグルーヴでもって埋めていたのである。
仮に今、腕に覚えのある人を集めてスコア通りフリーの曲を演奏しても、
全く似て非なるものになってしまうだろう。

このアルバムは、その後のライブレパートリーとして重要な「Walk In My Shadow」や
「I’m A Mover」「The Hunter」などがはいっているし、彼らとしては珍しい
カバーソング「Goin' Down Slow」が収められている。更には一曲目とラストを
「Over The Green Hills」part1とpart2に分けることによって、統一感を出すことに
成功している。
しかし彼らが世界的な成功を収めるにはまだしばらく時間を要するのである・・・

と能書きをたれてきたが、「Goin'Down Slow」の出だしのポール・コゾフの
チョーキングを聞けば良い。なぜ彼らがこの8分にもわたるブルースカバーを
収めたのかが分かる素晴らしい演奏である。

そんな私は彼のチョーキング一音目でいつもノックアウトされてしまうのであった。