飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

9.11自作自演テロ10周年記念-懲りない連中の追悼式典!!

2011-09-12 16:17:29 | ブログ

9.11WTCテロを今だに洗脳式典を強行する
懲りない、空気の読めない(KY)首謀者・マスゴミ
とっくに自作自演だとバレているのに
知らないはずはなかろう・・・・・・??!


 昨日は、2011年9月11日であった。2001年9月11日から丁度、10年。つまり、『9.11自作自演テロ』10周年記念と言うことになる。あれは、自作自演であった。が、そう思っていない人々のために、盛大な追悼式典がアメリカで行われた。

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 何とも茶番劇と感ずる人は、真実に目覚めている。今だに洗脳に掛かっている人々も多いだろうから、やらない訳にはいかないだろうが、唾棄すべき偽善者の面々だろう。


 これについては、カテゴリー『9.11』にさんざん書いてきたことなので、改めて検証のあれこれを書くつもりはない。よく纏まっている『アメノウズメ塾中級編⑭ 911を再検証する』を転載して、改めて洗脳を解いてもらうべく掲載したまでである。

 


 昔から、『盗人、猛々しい』という言葉があるが、悪党は99%ばれてもシラを切るのが相場だ。それで一人前の悪党である。すぐに本音を明かすほど柔では、本当の悪党には成れない。


 これは、実に驚くべき事で、普通の人間には理解しがたいことであるが、本当だ。それを如実に物語る出来事が、アメリカの追悼式典であった。大きなウソほど、ケムに巻くことが出来る。ウソを吐き続けることが、本物に見せる極意だ。と思ってかどうか、そういう洗脳を受けていると思われる。


 洗脳第一号は、言うまでもなく彼らである。

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 悪党は、悪に洗脳されきっている。まさしく、『まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。』・・・・・・。


 救いがたいとは、この事だ。かつて、まむしの子らは、世に散り、まむし以上に毒をもつ洗脳者を作り出した。その末が、9.11自作自演を決行し、今だにその洗脳から懺悔の心は見いだしていない。だから、そのまま逝くべき途に邁進している。


 せめて、目覚めたならば、この茶番劇からサタニズムの救いがたき本性を肝に銘ずべきである。彼らはまことの悪である。主客転倒した悪であるから、彼らは悪は、彼らにとって正義だと確信している。くれぐれもそうした悪に魅入られないように・・・・! 


 柔な相手ではない。そして、マスゴミはそれに魅入られている。世界は今だに魅入られている。欲望という隙にそれらは付け入ってくるのである。屁理屈を並べるより、そうした現実を直視する必要に迫られる。本当に人生を大切にするならば、それが先決だろう。


 『迫ってきている神の怒りから、のがれられる』事を、真に欲するならば・・・・。


 




アメノウズメ塾中級編⑭ 911を再検証する


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1 コメント

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たまたま、わたしも先日来、「まむしの子よ」 (谷間の百合)
2011-09-14 14:46:49
たまたま、わたしも先日来、「まむしの子よ」
という言葉が日に何度となく頭に点滅していました。
「まむしの子よ」と言わずにいられないような
言葉や行いが当たり前のことのように常態化している
現実を呪詛せずにいられなくなるのです。


「まむしの子よ、あなたがたは悪い者であるのに
どうしてよいことを語ることができようか」


よいことを語るとは真実を語ることです。
悪い者には絶対真実は語れません。
しかし、悪い者はよいことを語ることはできませんが
その代わり、嘘や偽善を語るのです。
嘘や偽善は人を騙すことが目的ですから
人の耳に優しく、甘く聞こえることを言います。
そして、多くの人は偽善の耳障りのよい言葉に
すすんで騙されるのです。
人は真実など求めてはいません。
なぜなら、それはしばしば耳に痛く、こころに刺さる
ことだからです。


なぜ、かれらは神をも恐れぬことが平気でできるのか
それは瓢平様が仰るように
かれらが「洗脳する者」であると同時に
サタンによって「洗脳される者」だからなのですね。
サタンとは別名「欲望」のことだと聞いたことがあります。
かれらは、サタンに命じられるままに
喜んで欲望の奴隷になっているのでしょう。
要するに、かれらは、わたしたちが受けている洗脳とは
比べものにならない、
サタンのマインドコントロール下にあるということです。


こういう人間共が世界を支配していることを
神がいつまでお許しになるでしょうか。
「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから
おまえたちが逃れられるとだれが教えたのか」
神の怒りから逃れることはできないということを
宣言しているのですね。

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