飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その76

2010-08-12 17:46:31 | 物語

ニコデモ夜半イエスを訪う!! 


 すっかり、間が開いてしまった。理由は選挙、そして、政治的な話題に関わりすぎて、連載が中断してしまった。これは本意ではない。何せ、まだ1/3を越したところだ。重要なのはこの連載である。何故かというと、何にせよ、幹と末はどちらが重要か? 云わずと知れたことである。


 しかし、これは物語である。タグも物語としてある。にもかかわらず、真理を含んでいる。

 

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<LIVESTRONG君(中3)の撮ったケム :記事に無関係>  

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LIVESTRONG君(中3)の撮ったケム :記事に無関係


 投稿者は宗教に拘泥するつもりは全くない。しかし、真理は求める。故にイエスは実在の方であると確信している。臨在を云々する立場ではないが、思い致すとすぐ側にいる感じがする。それほどに親しい


 それは特定の宗教によるものではない。強いて言えば、聖書かも知れない。聖書は何度も読んだ。しかし、分かるところとよく分からないところも多い。それはクリスチャンではないからで、指導を受けた記憶もない。


 しかし、その殆どは箴言であると実感している。中でもこの書物はまことに素直に分かった。絶版ものである。だから、連載しているのである。


 読み方は自由だ。だが、正確を期するために原文を併記した。そして、訳文は逐条形式にした。最初に、構成文を読むだけで事が足りよう。あとはどうでも良い。好きにして頂ければそれでよい。


 あとは、投稿者が好きなことを書いている。飛ばして頂いても結構だが、再度書くが、この中のイエスは臨在そのものイエスである。確信している。イエスは生命(いのち)を語ったのであって、宗教を語ったのでは決してない。


 

ニコデモ夜半イエスを訪う。イエス新生と神の国の意昧を彼に明らかにす。

 ニコデモはユダヤ人の司で、熱心で敬虔な学者であった。彼はイエスが語っている時、その顔に教師の相を見たが、思いきって公然と自分の信仰を告白しなかった。


 そこで夜半、彼はイエスと語ろうとしてユダの家をたずねた。


 イエスは彼の来るのを見て言った、「心の清き者はまことに幸福だ。心清く恐れなき者は二重に幸福だ。恐れなく心清く、思いきって最高法延の前に、自分の信仰を告白する者は三重に幸福で.ある。」


 ニコデモ、「先生、ごきげんよう。あなたは神から遣わされた教師であることが分かります。人は自分だけであなたが教えられるようなことを教えることができません。あなたがなされたようなことも決してできません。」


 イエス、「人は新たに生れかわらなければ、王を見ることはできない。わたしの言うことも分からない。」


 ニコデモ、「どうして人が新たに生れることができますか。母の胎内にはいって、再び生れかわることができますか。」


 イエス、「わたしの言う巡生というのは肉のではない。人は水と聖気によって生れなければ聖なる者の御国に入ることはできない。肉から生れる者は人の子であり、聖気から生れる者は神の子である。

 風は思いのま.まに吹く。人々はその声を聞けども、それがどこから来てどこに行くか分からない。すべて聖気から生れる者もみなこの通りである。


 司、「わたしには分かりません。どうかあなたの言うことをはっきり言って下さい。」


 イエス、「聖なる者の王国は魂にある。人は肉眼でこれを見ることは出来ない。すべての智力理性をもってしても分からない。これは神のなかに深くかくれた生命であって、これを認めることは、内なる意識のはたらきである。

 世の王国は眼に見える王国であるが、聖なる者の王国は信仰の王国で、その王は愛である。

 人は表現しない神の愛を見ることは出来ない。そこでわれらの父神はこの愛に肉、即ち入の子の肉のころもを着せた。

 そして世の人々がこの愛の表現を見るためには、人の子が上げられる必要がある。モーセが荒野で、肉をいやすために蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。

 これは塵の蛇、即ち肉の生命の蛇に咬まれた人はすべて生きんがためである。彼を信ずる者は永遠の生命を得よう。
 これは、神が世を愛し給うことは、そのひとり子を遣わして、人々が神の愛を見るために、これを上げ給うたほどである。(ヨハネ三・一四)

 神がその子を世に遣わしたのは、世をさばくためでなく、世を救い人々を光に連れて来るためである。

 しかし人々は光を愛さない。これは光が自分たちの悪をあらわし、人々は暗きを愛するからである。

 さて、真理を愛する者はすべて光に来、自分の行為が現われるのを恐れない。」


 光が来た。そしてニコデモは去った。彼は聖気の巡生の意味を知り、自分の魂に聖気のあることを感じた。


 イエスは数日問エルサレムに留まり、教えまた病人をいやした。


 一般の人々は喜んで彼の言葉に耳を傾け、あらゆる肉のものを捨てて、彼に従う者も多かった。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】  

           

第十四部 イエ スのキリスト奉仕者としての第一年
 


第七十五章 ニコデモ夜半イエスを訪う。イエス新生と神の国の意昧を彼に明らかにす。


1)ニコデモはユダヤ人の司で、熱心で敬虔な学者であった。

2)彼はイエスが語っている時、その顔に教師の相を見たが、思いきって公然と自分の信仰を告白しなかった。

3)そこで夜半、彼はイエスと語ろうとしてユダの家をたずねた。

4)イエスは彼の来るのを見て言った、「心の清き者はまことに幸福だ。

5)心清く恐れなき者は二重に幸福だ。

6)恐れなく心清く、思いきって最高法延の前に、自分の信仰を告白する者は三重に幸福で.ある。」

7)ニコデモ、「先生、ごきげんよう。あなたは神から遣わされた教師であることが分かります。人は自分だけであなたが教えられるようなことを教えることができません。あなたがなされたようなことも決してできません。」

8)イエス、「人は新たに生れかわらなければ、王を見ることはできない。わたしの言うことも分からない。」

9)ニコデモ、「どうして人が新たに生れることができますか。母の胎内にはいって、再び生れかわることができますか。」

10)イエス、「わたしの言う巡生というのは肉のではない。

11)人は水と聖気によって生れなければ聖なる者の御国に入ることはできない。

12)肉から生れる者は人の子であり、聖気から生れる者は神の子である。

13)風は思いのま.まに吹く。人々はその声を聞けども、それがどこから来てどこに行くか分からない。すべて聖気から生れる者もみなこの通りである。

14)司、「わたしには分かりません。どうかあなたの言うことをはっきり言って下さい。」

15)イエス、「聖なる者の王国は魂にある。人は肉眼でこれを見ることは出来ない。すべての智力理性をもってしても分からない。

16)これは神のなかに深くかくれた生命であって、これを認めることは、内なる意識のはたらきである。

17)世の王国は眼に見える王国であるが、聖なる者の王国は信仰の王国で、その王は愛である。

18)人は表現しない神の愛を見ることは出来ない。そこでわれらの父神はこの愛に肉、即ち入の子の肉のころもを着せた。

19)そして世の人々がこの愛の表現を見るためには、人の子が上げられる必要がある。

20)モーセが荒野で、肉をいやすために蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。

21)これは塵の蛇、即ち肉の生命の蛇に咬まれた人はすべて生きんがためである。

22)彼を信ずる者は永遠の生命を得よう。

23)これは、神が世を愛し給うことは、そのひとり子を遣わして、人々が神の愛を見るために、これを上げ給うたほどである。(ヨハネ三・一四)

24)神がその子を世に遣わしたのは、世をさばくためでなく、世を救い人々を光に連れて来るためである。

25)しかし人々は光を愛さない。これは光が自分たちの悪をあらわし、人々は暗きを愛するからである。

26)さて、真理を愛する者はすべて光に来、自分の行為が現われるのを恐れない。

27)光が来た。そしてニコデモは去った。彼は聖気の巡生の意味を知り、自分の魂に聖気のあることを感じた。

28)イエスは数日問エルサレムに留まり、教えまた病人をいやした。

29)一般の人々は喜んで彼の言葉に耳を傾け、あらゆる肉のものを捨てて、彼に従う者も多かった。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

CHAPTER 75<o:p></o:p>

Nicodemus visits Jesus in the night. Jesus reveals to him the meaning of
the new birth and the kingdom of heaven
.<o:p></o:p>

NICODEMUS was a ruler of the Jews, and He was earnest, learned and devout.
2) He saw the master's signet in the face of Jesus as he talked, but was not brave enough to publicly confess his faith in him;
3) So in the night he went to talk with Jesus at the home of Jude.
4) When Jesus saw him come he said,
Full blessed are the pure in heart;
5) Twice blessed are the fearless, pure in heart;
6) Thrice blessed are the fearless, pure in heart who dare to make confession of their faith before the highest courts.
7) And Nicodemus said,
Hail, master, hail! I know you are a teacher come from God, for man alone could never teach as you have taught; could never do the works that you have done.
8) And Jesus said,
Except a man be born again he cannot see the king; he cannot comprehend the words I speak.
9) And Nicodemus said,
How can a man be born again? Can he go back into the womb and come again to life?
10) And Jesus said,
The birth of which I speak is not the birth of flesh.
11) Except a man be born of water and the Holy Breath, he cannot come into the kingdom of the Holy One.
12) That which is born of flesh is child of man; that which is born of Holy Breath is child of God.
13) The winds blow where they please; men hear their voices, and may note results; but they know not from whence they come, nor where they go; and so is every one that is born of Holy Breath.
14) The ruler said,
I do not understand; pray tell me plainly what you mean.
15) And Jesus said,
The kingdom of the Holy One is in the soul; men cannot see it with their carnal eyes; with all their reasoning powers they comprehend it not.
16) It is a life deep hid in God; its recognition is the work of inner consciousness.
17) The kingdoms of the world are kingdoms of the sight; the kingdom of the Holy One is that of faith; its king is love.
18) Men cannot see the love of God unmanifest, and so our Father-God has clothed this love with flesh ? flesh of a son of man.
19) And that the world may see and know this love made manifest, the son of man must needs be lifted up.
20) As Moses in the wilderness raised up the serpent for the healing of the flesh, the son of man must be raised up.
21) That all men bitten by the serpent of the dust, the serpent of this carnal life, may live.
22) He who believes in him shall have eternal life.
23) For God so loved the world that he sent forth his only son to be raised up that men may see the love of God.
24) God did not send his son to judge the world; he sent him forth to save the world; to bring men to the light.
25) But men love not the light, for light reveals their wickedness; men love the dark.
26) Now, every one who loves the truth comes to the light; he does not fear to have his works made manifest.

27) The light had come, and Nicodemus went his way; he knew the meaning of the birth of Holy Breath; he felt the presence of the Spirit in his soul.
28) And Jesus tarried in Jerusalem for many days and taught and healed the sick.
29) The common people gladly listened to his words, and many left their all of carnal things and followed him.

【続 く】


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今晩は。 (fukunagaayano)
2010-08-16 00:52:30
今晩は。
失礼致します。
お久しぶりです。
ご活躍を楽しみに、いつも、拝読させて頂いてます。

今年のお盆は、初盆ですね。
お父様との、お別れの際に、お悔やみをと、思いましたが…。
以前に、ご両親との写真を拝見していただけに、お悔やみ言葉の虚しさを感じてしまい、そっと、追悼の心を捧げさせて頂く事に致しました。

初盆ですね…。
暑い夏です。
お母様は、お元気ですか?
弟様と、お二人で笑い療法で、お母様を支えていられる、お姿が、浮かびます。

これからも、天のお父様、地のお母様の、愛の応援を心に承けて、益々、義と情の言葉の刀で、平和に貢献されます事を、信じております。

後、一度、見送る寂しさを、味わう訳ですが…。
両親を見送ってからが、本当の自立への、日々の様に思えます。
それまでは、どうぞ、タップリと、たまには、お母様に甘える日も、お持ち下さい。
どんな、状態の親であれ、喜びを深い所で感じている、気が致します。
愛が基盤の甘えは、親孝行のひとつの、形でも有る様に思えます。
ゴメンなさい。
私などより、遥かに頼もしいつむじ風様に、こんな手紙を、お送りして。

明日は、送り火。
お見送りですが、秋の彼岸には、又、お父様とお会いできますね。

あっ、そういえば、女性は何歳に成っても、「歳に見えない」「綺麗だね」、「その服似合うよ」等々の言葉も嬉しく、励みに為るようです。
おばあちゃんと呼ばず、お母さん、(子供の頃の呼び方)と、お呼びになると、親は嬉しいそうです。

お母様のご健康をお祈り申し上げます。

長文、失礼致しました。

<返事>
fukunagaayano 様
コメント有り難うございました。

図星です。ご丁寧なコメント本当に痛み入ります。有り難うございました。

 更新も視野に入れておりましたが、叶いませんでした。お陰様で、何とか3日間伽を済ませました。本日の送りは、姪っ子に預けて帰還しました。

 心から御礼申し上げます。

飄平
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