何気ない動物の仕草
物憂げな表情
屈託のない動作にも
思いは人間を勝るとも劣らない深みを見せる・・・!
知能だけではない心の存在を垣間見る。
心には、生命体の共通するキャパシティーが内在しているようである。
問題は、
表現力の差だけであろう。
それを埋め合わせることができれば、人間とそんなに変わらない。
感情や理性、そして、知性は同じ質のものがあると断定してよかろう。
知らないのは、その表現力に制限があるからだ。
表現力は、脳の処理能力であろうから、それを埋め合わせることで、
結構対話が成立するのではなかろうかと思われる。
気づかないけれども、
人間も心の裡に思う全てが表現できているわけではない。
寧ろ、
その一部に過ぎない。
悶々として湧き上がる思いを、
全て表現できれば、なんとさわやかなことだろうと思うことは、
しばしばある。
人間の脳の処理能力も限度があるからだ。
トレーニングして、慣れて、コツを掴めば、それは上達する。
要するに、学習能力を秘めて創られているのが脳という器官なのであろう。
実際に使用している脳の機能は、3%とも1%とも、あるいは5%とも言われるが、定かではない。
要するに、全部又は大部分ではないことは確かである。
大体は、惰性で生きているわけで、
意識していることは、別、ということはしばしばある。
つまり、上の空で生きている場合も多いということである。
言い換えれば、表面意識の自動スキャンで過ごしている場合が多い。
本然の願い、思いとは別である。
一体、自分とは何か?
何のために生きているのか?
生まれてきた分けとは、なんだったのだろうか?
ということとは別に、煩悩の渦の中で漠然と生きている場合が多いということである。
それと比べてみると、
純粋に生きている動物の場合、
案外と自分と世界を素直に見つめて居る事が察せられて、
ハタと驚かされるのである。
天与の生命をありのままに生きる。
自然の哲人を動物たちに観るのは一人ではあるまい。
驚いた。
手話で人間と話せるゴリラの“死生観”に胸を打たれる
شاهد هذا الحمار ماذا فعل و قل سبحان الله
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