思うに、人間の深い闇を覗く思いがする。しかし、何故、そのような闇の所業を行うに至ったか、と考えると、とうてい解答は見えない。犯人とて、その理由を見いだすことは容易でなかろう。そして、視よ、成し遂げた後の犯人の憔悴しきった哀れな脱力感を.....。闇そのものがそれを必要とし、彼らを駆り立てたのである。
闇は光を嫌う。光があれば、避けるか、さもなくば光そのものの抹殺を願う。その為に、闇の増殖を意図する。闇とは、不幸であり、不幸と思う心である。光とは輝きであり、命を謳歌する心である。命とは光そのものである。
光によらぬ命は存在しないと同じく、闇は光によって相対化される現象である。闇をも光に依らずしてその存在はあり得ない。にもかかわらず、闇を粋がるのは闇の特徴。闇を誇る病み、あたかも闇が個性を主張する自己顕示性、丁度、病人が病状を誇張するかのごときである。その原動力が、光によるものであるにもかかわらず、己の闇が恰も原動力であるかのごとく錯覚をする。そして、より多くの闇の拡大生産を願う。
それは、所詮無理・無謀な思い違いであるにもかかわらず、そう思いこんでしまっている。そこに付け入るものがあるとひとたまりもない。そして、その付け入ったものは囁きかける。『そうだ、汝こそ偉大なる闇の勇者である。善などない。闇こそ全ての全てである。闇を広げよ。その先に光はある。汝こそはその最終の光に輝けるものなり』と。
サタニストが、常に真・善・光を冒涜することが、その儀式であるごとく、日夜そうしていると、その転倒が当たり前の信念となる。理性を失っているのではない。理性でもって闇を信念するようになる。
酒鬼薔薇(サカキバラ)事件が闇を増幅するための、『儀式殺人』であるならば、無差別殺人は闇に魅入られた『演舞』であり、『実技試験』である。儀式であるならば、祭司がいる。演舞・試験であるならば、闇のグル(導師)がいる。祭司・導師は姿は見せないが、必ずいる。
そして、多くは明らかにされないが、『耳元でささやいた』。その姿は洋として知れない。その正体は、獣へんの王、『狂』という。しかし、実体あるものである。最近はその正体を『電磁波』という科学が担い、助長するテクノロジーが実用化されているとも聞く。
いずれにしても、昨今の闇のあがきは目に余るものがある。末法の世とはこの事であろうか。
>>祭司・導師は姿は見せないが、必ずいる。
ホントそんな気がいたします。今回の凶行は加藤容疑者個人の問題だけでは済まないように思います。
僕は世を憂えたあらゆる者の思いや様々な感情が電磁波(念波?)となって彼を突き動かした末の結果
なのかなと、ちょっとトンデモ発想ですがそんな気もします。
また奇しくも事件の起きた日はあの池田小の事件と同じ日と言うのも…。宅間の怨念がいまだにさまよっているんでしょうか…。
ぉιょぅ 様
コメント有り難うございました。確かに、そのように感じます。荒唐無稽な話になりますので、はっきりとは言えないことなのですが、追々にその片鱗を見せてくるでしょう。
目に見える世界は、全体のごく一部です。全体の中では、理由のない出来事は有り得ません。因果律は完全であろうと思うのです。
それ以上申し上げると、誤解を招きますので、差し控えさせていただきます。(飄平)
因みに彼の父は潜水艦の電気技師。潜水艦発射対艦ミサイル・ハープーンの秘密を知るとかなんとか・・某右翼雑誌
[神戸少年惨殺事件への疑問 特殊な切断方法はなぜ問われないか]
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/toda2c/shakaiundo.htm
宮崎勤死刑囚も無罪
淳君殺害実行犯疑惑のアジア系外国人2人は新神戸駅裏手山林で首を吊って自殺 ?
2人はアメリカDIA・ソ連KGBの工作員で友人同士。俗に言う二重スパイ
両国を牛耳るロスチャイルドは忠実でない工作員は使い捨て。
<返事>
アンチ・レプティリアン 様
貴重な情報有り難うございました。検証します。飄平