そうではないか!
だからこそ、『不正選挙』しか方法がなかったのである。
これから、『不正選挙』が悪の常道になるだろう・・・
いや、それ以上のことが起こる!
覚悟しなければならない!!
これに対抗するには、覚醒者が増える以外にない。極論すれば、覚醒者が100%になれば、選挙そのものが、『不正選挙』そのものが無為になるのだ。
<総選挙、草加開票所、無効票の山>
今、覚醒者は有権者の5%だろう。投票者の一割に満たないと読んでいる。
これが、
有権者の2割となれば、絶対に『不正選挙』成り立たない。一割でも困難になるだろう。
着実に覚醒は進んでいる。焦っているのは既得権力側である。
焦っているからこそ、犯罪的所業も手を染めなければ、その権力を維持できないからである。
<自民党下っ端議員も驚く、自民党不調出口調査?!>
脱原発が、経済的理由で論議されているが、この経済的理由は、既得権力側の経済的理由であることは明らかだ。脱原発で、巨額の資産が不良化する。原発新設凍結で、莫大な工事受注がフイになる。
しかし、その原資は税金であり、電気料金という公共料金である。そして、それに当て込んだ大銀行団の融資特需である。その担保はすべて国民の懐からかすみ取る算段であるのである。
そして、それは国民の命と引き替え、環境資源の犠牲の下に立っている。又、そのことは試算にも計上されていない核廃棄物の保管という未来資源の犠牲の下に存在することは明白な事である。
どんなに考えても割に合う投資行動ではない。少なくとも国民と国土保全に鑑みて、割に合わないことは明らかなのである。
しかし、それを推進する動機は、今の損益計算からはじき出されている。今、豊かな既得権にしがみついているが故の行動である。既得権を理由に、命と環境と未来の資源を犠牲にしているのが実態である。
このために福島原子力発電所の事故が発生した。そして、その実態が奇しくも明らかになった。明らかになったにも関わらず、それを必死で隠している。それは既得権が失われては困るからだ。
このことは国家国民の目線で観れば、明らかである。原発推進は長期的展望で愚かな投資行動であると言うことが明らかになった。そして、多くの人々がそのことに覚醒した。
だから、
『不正選挙』をしなければならなくなったのである。
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たかが一つの原子力発電所の事故と過小評価は出来ない。既得権力はこの原子力推進の下にすべて結びついている。それ以上に、20世紀最大の権力維持手段である核武装と結びついているから、根が深い。
何よりも権力維持手段は、武力だ。このことは古今東西、例外はない。これまでの歴史は、理屈よりも武力であった。その亡霊に生きている人々は多い。
その決戦の最終段階に来ていると観れば、この戦いは熾烈を極めることが分かる。
私は、何でもありだと思っている。『不正選挙』は手始めに過ぎない。
これまでも既得権力の手段は、あらゆる手段を弄してきた。世界に目をやれば、自ずと分かるであろう。陰謀は数限り、際限がない。買収、恫喝、冤罪、そして、暗殺など日常茶飯事である。最後は、戦争まで行く。
と言うわけであるから、覚醒とともに戦いは熾烈を極め、激化すると考えなければならない。その覚悟を元に、対策を練る必要がある。
最後に勝つのは、覚醒である。最初に戻るが、極論すれば100%覚醒すれば、問題は無かろう。それは現実あり得ない。
既得権力の人間は一握りである。そして、その取り巻きを全部合わせても少数である。その数は、1%に満たないのである。残り99%は洗脳により、目を眩まされている。そして、唯々諾々として、従っている。
心根は同じである。
つまり、
今さえ良ければ、自分さえ良ければという、心根に根ざしている。それを今問われているのだと思われる。この試練は、個々の試練であり、全体の試練である。
人間は、個性を抱いた全体の一部であろう。そして、地球は宇宙の中の個性ある惑星であるが、宇宙の一部であろう。それは孤立から、連帯への通過点と観れば、現時の事象を大局的に感得できよう。
日本が連帯するとき、世界が連帯し、地球が一つの契機となるかもしれない。そんな気がしている昨今である。
【転載開始】2012年12月21日 (金)
第二次安倍政権が発足することになるが、今回の選挙で壊滅的な打撃を受けた主権者国民勢力は、2013年夏の参院選に照準を合わせて、体制を再構築しなければならない。
主権者国民勢力が政権を奪還するための三つのキーワードは、
「覚醒」
「大同団結」
「連帯」
である。
「覚醒」とは、主権者国民の課題。
多くの主権者国民が「洗脳」状態にある。大きな理由は日本の腐敗したマスメディアが偏向した情報しか流さないことにある。
歪んだ情報が常に主権者国民に刷り込まれている。メディアの歪みは2001年の小泉政権発足時から顕著になった。
2009年以降は、米国・検察権力・メディアが三位一体で日本の情報空間を占拠して汚染し続けてきた。
この影響で、主権者国民の多くが「洗脳」、「汚染」状態に置かれている。
日本政治を刷新するには、主権者国民が「覚醒」しなければならない。
今回総選挙で大勝した自民党が比例代表選で得た得票率は、全有権者の16.4%に過ぎない。
全有権者の16.4%の投票を得ただけで、衆議院480議席の定数のうち、294議席を占めたのだ。
自民党が国政を仕切る十分な正統性を持たないと言えるが、同時に主権者国民の2割の支持を得れば、政権を奪取することができるという意味では、大いなる希望の光を見出す事実でもある。
『ルネサンスとは何であったか』の著者塩野七生氏は、同書のなかでルネサンスについて次のように記述する。
「ルネサンスとは、一言で言えば、今までの自分に疑いを持つということですね。そこから始めて、あらゆることに疑いをもっていく。」
主権者国民は、あらゆることに疑いを持たなければならない。
あらゆることを疑って、もう一度、自分の目でものを見て、自分の頭でものを考える。
このプロセスを重視することによって、まったく違う現実が見えてくる。これが「覚醒」だ。
政治のレベルは国民のレベルを超えて存在しない。日本政治を刷新するには、日本の主権者国民のレベルが日本政治を刷新するレベルに昇華する必要がある。
全員が覚醒するのは困難だろう。しかし、2割の国民が覚醒することは十分に可能だ。これを実現すること。
第二の「大同団結」は、「主権者国民の政治」実現を目指す政治勢力が大同団結すること。
特定のイデオロギーに縛られていては、主権者国民の支持を引き付けることはできない。
これまでの鎧を捨てて大同団結し、主権者国民の側に立つ新しい勢力を結集することが必要だ。
最大の敵は「党利党略」だ。
そして「我欲」も排除しなければならない。
自分が中心でなければならない人は大同団結にふさわしくない。
大同団結とは自分を捨てることでもある。
「無私の精神」こそ「大同団結」に必要不可欠なものだ。
西郷南洲翁遺訓に、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
との言葉がある。
私は為政者に求められる資質は、「無私の精神と徳の高さ」だと考えている。
この資質を備えた者が中心に位置しなければ「大同団結」は達成されないだろう。
「主権者国民の政治」の実現とは、「米国・官僚・大資本」という「既得権益の政治」を排除して、「主権者国民のための政治」を確立することである。
今回の選挙でも、この方針を提示した政治勢力は存在した。「未来」がその中心であった。さまざまな謀略によって、「未来」の議席数は激減させられたが、こんなことでくじけていては日本政治刷新など実現しようがない。
この瞬間から出直しを図り、必ず「主権者国民の政治」を確立しなければならない。
そのための「大同団結」こそ求められている。
三番目の「連帯」は、「主権者国民の政治」を確立するために、ネット上に「主権者国民メディア」を確立することだ。そのためには「連帯」が不可欠だ。
ここでも敵は「党利党略」である。「自分が中心」の人が多数存在してもまったく力にならない。
「連帯」のためには身を投げ出すことが必要だ。
マスメディアの威力は1000万人単位の情報伝達にある。
これに対抗するには、ネット上に100万人単位のメディアを創設することが必要だ。
「日本版アルジャジーラ」の創設だ。
すでに、ネット上には市民メディア構築の試みがいくつか存在する。
これらが「連帯」して、共通のプラットフォームを構築することが必要である。
この課題を解決するために、具体的な方法を現在検討中である。【転載終了】
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